10話 自称紳士は健全男子
オレは鞍馬に手を引かれながら歩き続ける。
「おい! いつまで手を繋ぐんだよ? そろそろ恥ずかしさの限界なんだが……!」
「恥ずいセリフ吐いて制服渡しといて、そんなの今更っしょ」
「恥ずい!? 紳士的に貸しただけなんだが!? どうしてそういう解釈したんだよ!?」
「うーさい! あんたは黙って歩く!」
理不尽だ。
鞍馬は前を向き、一切こっちを向くことなく歩いていた。
学校から変わらず先導されてるのは、今この瞬間も変わらない。
その学校からは大分離れ、現在は人もまばらな住宅地を歩いている。しかし日が落ち始めたせいか、オレたちの周囲には人影がまったく見当たらない。
そんな状況でも羞恥心が歩みを鈍らせてくるもんだから、正直しんどくってしょうがなかった。
そもそもオレたちはどこに向かってるんだ?
「なあ、手は百歩譲って諦めるとして、オレはどこに連れてかれるんだ?」
「……あーしんち」
亜々新地? どこだそこ? この辺に関係がある名前か?
「分からん」
「だから、あーしの家だっての!」
「あー、お前の家かよ。…………え?」
オレは聞き間違いでもしたのだろうか?
てか、どうしてあいつの家に向かう必要がある?
も、もしかして――!
『ここがあーしの部屋ね』
『お前の部屋!? なんでオレはこんなとこに通されて!?』
そうだ。きっとギャルっぽいファンシーな内装の鞍馬の部屋にまで案内されたオレは――。
『わかってるくせに♪ ねえユーヤ、今あーしんち親いないんだー。言ってる意味わかるよね?』
『は? いやちょっと待て! てかお前っ!』
『そーゆーこと♪ まさか、女の子の家に連れ込まれて何もしないヘタレじゃないっしょ? それとも、ユーヤは女の子に恥かかせる気なのかにゃー? ちーちゃんはそんな男のこと、好きにはならないんじゃないのかにゃーん?』
『――ちょっ!?』
あいつは挑発するような表情でオレごとベッドの上に倒れ込むと、馬乗りであの豊満な胸を揺らし――。
『く、鞍馬……っ!?』
『ユーヤ……しよっ♪ あーしの初めてもらってほしいよぉ……♪』
『お、オレには倉田が……!』
『ユーヤぁ……♪』
そして、鞍馬の情熱的なアプローチに耐えきれなかったオレは! オレは――!
「――だあああ!? ダメだろそれはあああッ!!」
「いっ!? な、なにいきなり!?」
「はっ!? す、すすすまん! なんでもない!」
いかん! オレはなんて妄想してるんだ!?
そもそも! 鞍馬は自分で貞操概念は高いって言ってたんだぞ!
簡単にエロいことなんてしてくるはずないだろ!
オレは昂ぶる感情を抑え込んで深呼吸をする。
ここは住宅地。ここは住宅地。騒いだら迷惑かかるんだぞ。
エロい妄想とか、鞍馬にも申し訳なくならないのかオレよ!?
「だ、ダイジョブ?」
「うひゃおうっ!? だ、だだだ大丈夫だ!」
「ダイジョバナイっしょそれ……」
鞍馬が呆れたような、困惑したような顔でこっちを見てくる。
自分でもキモいと思えてきた。きっと、さっき見た鞍馬の生足のせいだ。
そのせいでピンクな妄想までしてしまったんだと、オレは脳内で鞍馬に責任転嫁していた。ごめん鞍馬。
「……と、とりあえず聞きたい。今日、お前の家には親いるよな?」
歩みを再開させたオレたちだったが、念のため、鞍馬にそう尋ねてみた。
「はあ? おかーさんは専業主婦だから家にいるし。なに? 家に誰もいない方が、ユーヤにはつごーがいいってことー? へんたーい」
「逆! いない方がまずいだろ!」
「なんで? もしかして家上げるとか思ってんの?」
え? お礼にお茶の一杯でも、みたいな感じで家に入る展開すらないと? なんて困惑していると。
「はい。ここがあーしんち」
「って着いた!?」
目の前には洋風の一軒家が佇んでいた。まだ新築のように見える綺麗な外装だ。
白い柵に囲まれ、色鮮やかな花が庭先に植えられていた。更には、車が二台まで停められそうなガレージまである。
鞍馬の家って結構な金持ちなのか……?
「そ。ここがあーしんち。んでさ」
鞍馬は手を離すと、オレが貸したブレザーを腰から取り、軽くホコリを叩き落としてから手渡してきた。
「はい。あんがとユーヤ」
「あ、ああ」
オレは返事をしてブレザーを受け取る。
「……ホントはね、ユーヤといろんなとこを回ろうかと思ってたんだ。でも、このままだとユーヤの身体が冷えちゃうし、早く家に帰って、ユーヤに服返してあげなきゃ……って思っちゃってさ」
「え……?」
鞍馬の奴、オレの身体を気にかけていたから早足で自分の家に?
「そーゆーわけで、ホントに服、あんがとね♪」
鞍馬は屈託のない笑顔を浮かべた。
こいつはそこまで考えていた。それなのにオレは、あんなエロい妄想をして勝手に騒いで……。
自分の愚かさが不甲斐ない。鞍馬の方が、オレよりも何倍も考えて行動してくれていたなんて。
オレはやるせなくなって拳を握りしめた。
「ユーヤ?」
「あ、いや……これくらいなんでもねえよ。それよりも、色々と気を遣わせちまってすまん……」
「それこそ言いっこなしじゃん。あーしが待ってなければ、ユーヤにめーわくかけてなかったわけだし」
「いやでも!」
「だからさ!」
オレたちは互いに見つめ合って無言になる。
そのまま数秒経ち――オレたちは二人揃って吹き出した。
「あははっ! お互いに気ぃ遣いすぎっしょ!」
「だな! ははっ!」
鞍馬は相当面白かったのか、目を擦って涙を拭う。
オレはというと、憑物が落ちたように身体が軽くなっていた。
「しかし、せっかく家に着いたのにこのまま立ち話なんかしてたんじゃ、また身体を冷やしちまうな」
「あはっ、言えてる! ……じゃあ、今日はここまでだね」
「……ああ」
ブレザーを着直しながら、途端に物悲しさがあふれてきた。
ただのクラスメイトにすぎない、昨日からやっとまともに話せるようになった相手。
それなのに、どうしてかノスタルジックな気持ちに包まれる。
こんな感覚、前にもあったっけな……。
懐かしさと共に脳内に浮かんだ光景は、さっき見た夢の続き。
そう。どうしてかは分からないが、オレは教室で見た夢について思い出したんだ。
もう会うこともないだろう、ナナシと名乗った眼鏡の根暗女。
あの夢は、そいつに起こされたときの記憶だったんだ。
母さんの病気が癌で、もう余命いくばくの命だと知らされた日の翌日。
オレは放課後、当時通っていた中学の、施錠された屋上の扉の前で眠ってしまった。
泣き疲れて眠ってしまったオレを、そのナナシが見つけて起こしたのが最初の出会いで――。
「ユーヤはここから帰れそー?」
「んっ? ……まあ、スマホに地図機能があるし、家に帰るのは問題ないはずだ」
「そっか」
「おう。そんじゃあ、オレは帰るとしますかね」
「……うん」
オレは名残惜しくなりながらも、来た道の方へと振り返った。
「あ、あのさ!」
「なんだ?」
声に釣られて鞍馬に視線を向ける。
「……夜、ラインしてもいーい?」
「え? あ……お、おう!」
返事を聞いた鞍馬が、はにかんだ顔で「んじゃ、家に着いたらラインで報告してよー?」と言う。
それに対してオレは「分かった」と一言だけ告げることで答えた。
スマホを取り出し、マップのアプリを立ち上げる。
姉ちゃんが勝手に自宅のポイントを登録しているから、ルート検索で帰ることが可能だ。
けど、その前に新規でポイントを設定する。この場所を『鞍馬家』と登録しておくために。
「送ってもらう形になっちゃったけど、ホント、今日は制服あんがと。また明日ねユーヤ」
「ああ。また明日な」
オレは歩き出す。ときたま振り返ると、そのたびに鞍馬が手を振って応えていた。
ったく、早く家入れよ。じゃないと風邪引くぞ? なんて思いながらも、オレは姉ちゃんが待つ我が家へと歩き続けた。
「……お?」
ふと、スマホから視線を上げて気付く。
見上げた夕焼け色と夜の色が混じり合った空で、鮮やかな一番星が輝いてることに。
……うん。今日はなんか、悪くない日だったな。