バルカン戦争ー2
1937年1月5日
ルーマニア軍は破竹の勢いで進撃を続け、ラリサ、トリカラに続いてラミアを占領した。もはやギリシャの運命は風前の灯火であり、ギリシャ内部でも降伏と徹底抗戦で意見の二分が起こっていたのだった。
1937年1月8日
ルーマニア軍はギリシャの首都アテネに近い、テーベを占領、これに伴いルーマニア軍は主力の2/3を動員した大規模攻勢の準備を始めた。そしてギリシャ政府に対し、独立を保証した上での無条件降伏を勧告した。
ギリシャ政府は降伏を渋るが、マンドラ、カパンドリティに砲兵隊が展開したことを知り、更にルーマニアからの最後通告を受けて無条件降伏を受諾する。
これによりバルカン戦争は終結、バルカン半島でのルーマニアに敵対的な国家はユーゴスラビアのみとなった。
独立こそ保たれたものの、ギリシャは事実上の従属国となる。列強国すら無視できないほどの力と地理学的特性を得たルーマニアはどこへ向かうのか、だれにもまだ分からない。
しかし、何よりも問題なのは、レミリアが次期ギリシャ首脳に指名したのがよりにもよって九十九弁々だったことだろう。
議会はすっかり形骸化しているルーマニアは、レミリアのカリスマでファシズムのようになりつつある。そして、議会の意味を無くす法律を立法させたギリシャもまた、そうなりつつある。
そして、彼女の中に秘める野望も色付きつつある。