バルカン戦争ー1
バルカン半島での、近代初めての「戦争」がバルカン戦争であった。果たして、これが最初で最後の戦争になるだろうか?
1936年12月9日
防御陣地を固めていたギリシャであったが、ものの1週間で戦線は大きく後退することとなった。大規模な軍拡を行い、人工妖精すら戦力としているルーマニア軍は質、量と共にギリシャには太刀打ちできるものではなかった。
更に、防衛陣地の1/3が準備砲撃で無力化され、爆撃機をはじめとする航空支援のもと、十六夜咲夜を軍団長とする第2軍、5個機甲師団とそれを先頭に第3軍、14個歩兵師団が進軍した。
対するギリシャ軍は、予備役や臨時志願兵をかき集めてなお17個師団、戦車や戦闘機はおろか、野砲や対戦車砲すら敵に対抗するには不十分だった。
1936年12月21日
ルーマニア軍第1空挺師団が夜間に空挺降下、第5機甲師団と交戦中であったギリシャ第11師団の後背を突いて撃破。この突破口に第2、第5機甲師団が進撃し第2師団がセレを占領、続いて2日後には第5師団がテッサロニキを占領する。
更に後続に3個歩兵師団が続き、これで東部方面のギリシャ軍は孤立することとなった。
1936年12月25日
ルーマニアは孤立したギリシャ7個師団へ全面攻勢に出ていた。海路での撤退を阻止すべく、アレクサンドルポリスへ集結したギリシャ軍へ追撃を行った。2個師団は海路での撤退に成功するも、砲爆撃により5個師団が壊滅ないし降伏。アレクサンドルポリス撤退戦にギリシャは惨敗、戦死者約1万5000人、行方不明者約2万2000人という、血に塗れたクリスマスになったのだった。