バルカン半島ー2
ルーマニアはブルガリアに続いてハンガリーを支配下に置き、列強国ほどではないにしても非常に大きい発言力を得た。しかし、ルーマニアは大海に面する港を持たない。そんな中、ギリシャに矛先を向けることは当然であった。
1936年11月7日
ルーマニアはまたしても、ギリシャに対して政府の交代を欲求した。しかしながら、1週間後のギリシャ政府からの回答は、ルーマニアのみならず、世界を驚かせた。
「ギリシャは民主主義に乗っ取り、国民以外の理由で政府の交代は行わない。ルーマニアの要求は侵略行為に相当するものであり、主権を脅かすのであれば全力を尽くして守るだろう」
これがギリシャ政府の回答であった。ギリシャはすでに国内に多数の防御陣地を構築していた。
そして、それは有効かどうかはさておき、使われることになる。
そう、無言を貫いていたルーマニアは、ブルガリアとともに1936年12月2日、午前8時にギリシャに対して宣戦布告、2時間の準備砲撃と制空戦、本格的な航空偵察の後に機甲師団による侵攻が開始された。
第一次バルカン戦争の勃発である。
実はギリシャも東方化...する予定...です。多分。