第二次フィンランド内戦ー2
1937年9月15日
とうとう体勢を整え、ドイツの支援を受けた共和国軍は反攻作戦を開始しようとしていた。
連邦軍は中立を表明していたソ連国境地域を除いた北方を占拠、コッコラ-クオピオを結んだ防衛線を構築していた。しかしすでに武器弾薬、なにより食料の不足が起こっていた。特に食料は尽きかけているわけではなく2ヶ月ほどの備蓄はあった。しかしそれは戦闘員のためのものであり、市民は糊口に喘ぐこととなるのはそう遠いことでは無かった。
1937年9月20日
共和国軍はとうとう大攻勢へと転じた。鉤十字の入った戦車が、ろくな対戦車装備を持たない連邦軍へと襲いかかった。緒戦の結果、連邦軍は惨憺たる有り様であり、好転するとは思えなかった。
1937年10月2日
連邦軍は先の防衛戦で惨敗を喫した。被害は大きく、防衛線の維持が難しくなったために後退し、最終防衛線としてオウル-ブオランカ防衛線を構築する。敗北したものの、連邦軍上層部は未だ抵抗を諦めてはいなかった。
1937年10月9日
鉤十字の入った輸送機から、オウル市民へ向けたビラがまかれた。そのビラのタイトルは「共和国は安全とパンを保証する」であった。
すでに市民の間で食料の枯渇が起きていたオウルで、このビラの効果は大きかった。すぐさま市民の反響を呼び、敵対行為を行い始めた。さらにとある連邦軍兵士がこれに発砲、瞬く間に噂が広がり始めた。
もはやこの動き止めるだけの力は連邦軍には無く、かくして連邦軍最大の拠点オウルは無血で陥落することとなる。