スルタンの行く末
崩壊暦217年12月6日07:46
現在世界に存在する勢力の中で最も安定感がないのはアラブ帝国である。
「陛下、先日の報告に参りました」
ユースフ元帥は言った。
「何だ?」
「先日は、穏健な反体制的な運動が5件起こりました。いずれも自然な解散まで手出しはしなかったとのこと」
まずアラブ帝国の正統性に異議を唱える者がある。スルタン・サッダームは何ら特別な血を引いていないからである。
そして外には既存の政府そのものに対して異議を唱える者がある。人類を狭い壁の中に閉じ込めていた責を負い、政府は解体されるべきであるという過激な思想だ。
先日は起こらなかったものの、それなりの頻度で武力を伴った攻撃が行われこともある。
この二つの勢力が結託するせいで、アラブ帝国は地盤を固めることが出来ないでいるのである。
「私はやはり、スルタンなどという存在の器ではなかったのだろうか?」
スルタン・サッダームは弱々しい声で尋ねた、
「いいえ。そのようなことは、断じて御座いません」
「世辞はいい。逆に私が何を成したというのだ?」
「遅れた民主主義を取り払い、アラブ世界に光明をもたらしたではありませぬか」
「それも、成果が出せねば意味がない。ヘス女帝などは私とは正反対だな」
「そ、それは…」
ユースフ元帥はその言葉への反論を、少なくともこの瞬間には考え付けなかった。
ユースフ元帥も内心ではわかっているのである。この革命が失敗に終わったということを。
「そういえば、最近日本の天皇が事故死したらしいな」
「暫し前のことですが」
「私もそうしようか」
「なりません。陛下にはまだ世嗣ぎがあらせられません。ここで陛下が死ねば、帝国は大混乱になります」
日本の場合は誰が次に皇位を継ぐべきかがはっきりしている。それ故に当代の訓が死のうとも、国政が混乱するようなことはない。
しかしアラブ帝国は未だに何も決まっていない。スルタン・サッダームが死んだとしたら誰が帝位を継ぐのか、帝位継承のルールはどうするか、何も決まっていない。
「いっそ帝国はおしまいでいいのではないか?アラブ連合に戻せばいいではないか」
「陛下、この時期にそのような混乱をもたらしては、苦しむのは民ですぞ。そのような愚行は、陛下も望まれない筈」
スルタン・サッダームは庶民の出だ。民を苦しめたくないという気持ちは本物ではある。
「ではどうせよと?」
「何事も準備が肝要です。然るに、アラブ帝国を解体するにしても諸国と事前に協議を行わねばなりません」
「つまり、何だ?」
「つまりは、陛下にはそれまでの間、お飾りであったとしても、スルタンであってもらわねばなりません」
「お飾り、か」
「こ、これは失礼を」
「いいんだ。私を敬う必要などない」
ユースフ元帥も最早スルタン・サッダームの退位を前提として会話をしていた。それが暗黙の了解となる程度には、スルタン・サッダームの覇気は失われていたのだ。
「或いは、帝国の機構を残したままで、皇帝たるに相応しいお方に帝位を与えるのも良いかもしれません」
「そんな者、いるか?」
「皇帝といえば、イランには未だかつてのペルシア皇帝の末裔の家計があります。それに、イラク王やサウジアラビア王も十分な家格があると思われます」
「そうだな。案外いるか」
こうすれば、少なくともスルタン・サッダームの血統に異を唱える勢力を味方に出来る。国としての安泰を保ちやすくはなる。
「元帥は、帝国を残すか継がせるか、どちらがよいと思うのだ?」
「私は、帝国は残すべきかと」
「何故だ?」
「今や合議制は時代遅れ甚だしいものです。君主制を失えば、我らの国運は永遠に損なわれるでしょう」
「なるほど。やはり民の為か」
民の為を思えば民主主義的な要素は廃するべきだ。それは歴史が証明している。
「なれば、早急に帝位を継ぐに相応しい人間を探し出せ。そして然る後に私は帝位を捨てる。よいな」
「御意」
「それまでは、まだスルタンをやることにするよ。私の下らん私情で民を苦しめる訳にはいかないからな」
「ご立派なご判断です。私も最後までお仕え致します」
「そうか。頼んだぞ」
方針はかくして決定した。帝国は帝位に相応しい皇帝に引き継がれるのである。
「しかし、元帥はやはり、私が退いた後も帝国で働くのか?」
「そういうことになります。軍人は国家に仕え、君主に仕えませんから」
「もっともだ。私は、元帥の活躍を眺めていることにするよ」
「私も老い先短い身ですから、陛下にはその先まで栄える帝国を見届けて欲しいものです」
「そうだな。そのくらいはしておくよ」
いずれの国も正統性を求める。その為ならば旧き者を捨て去るのだ。




