皇居にて
崩壊暦217年11月6日13:45
大日本帝国政府もソビエト共和国と同様にかつての首都を求めた。その中でも最初に復興したのは皇居であり、既に人が難なく住める程度にまで復旧がなされている。
天皇は重臣らと共にここを訪れ、国民勤労隊の視察を行ったり、国会議事堂などのかつての面影を見物したりしていた。
そして皇居に戻ってきた天皇は、側近中の側近、伊達公爵と二人で皇居を歩いていた。
すると、廊下をしとやかに歩く叡子内親王とすれ違った。
内親王殿下は軽く礼をして歩き去ろうとする。まあこの時代、それ自体は何らおかしなことではない。
しかし二人は彼女を引き留めた。
「暫し待て、内親王」
「は、はい。何でしょうか、陛下」
「私に話したいことがある。少し部屋に来てくれるか?」
「構いませんよ。しかし、伊達公爵も、ですか?」
「ああ。公爵は、私の友だ」
と言うわけで、天皇、叡子内親王、伊達公爵の三名は、誰も入れぬようにした部屋を用意し、向かい合った。
「それで、何のお話でしょうか」
「そうだな。何から言おうか…」
天皇はまだ言いたいことの整理がついていないといった様子である。すると伊達公爵は彼の背中を押しに入った。
「陛下、これは、陛下がもう決められたことです。何を迷うことがありましょうか」
「そうだな。そうであったな。たった一人の前にたじろぐとは、帝王の足下にも及ばん」
天皇は深呼吸をして続ける。
「心して聞いてくれ」
「は、はい」
「お前の父は、誰だ?」
「それは無論、陛下、ですよね?」
「違うと言ったら?」
「そ、それは、どういう…」
内親王殿下は不安げなような、悲しげなような顔をした。
「違うのだ。お前の父は、私ではない」
「な、そ、そんなことが…いえ、でも、それはおかしいです」
叡子内親王は、まあ簡単に言えば相当な特権的な地位にある。心で下々の者に寄り添っていたとしても、その事実は変わらない。
しかし、その地位は天皇の娘、内親王という立場に起因する筈である。そうでないのなら、一体何だというのか。
「おかしくはない。全く正しいことだ」
「し、しかし、もし私が陛下の子でないのなら、私は今すぐ内親王などと名乗るのを止めるべきです。何が、正しいと?」
「逆だ」
「逆?」
「私がそもそも神武天皇の血を引いていない。それだけのこと」
「え?そ、そんな、ことが?」
神武天皇の血を引いていない、それ即ち、天皇ではないということである。
予想だにしない言葉に、叡子内親王は心底困惑させられた。
「はい。陛下は、いえ、楠という名の我が友は、万世一系の皇統を継ぐものではありません」
伊達公爵は言う。
「そして、内親王殿下が本当にお生まれになられた宮家こそ、真の皇統を継ぐ家。殿下こそ、神武天皇、天照大御神の血を引いておられるのです」
「に、にわかには信じられませんが、理解は、出来ました」
伊達公爵の言葉を信じるとすれば、ここにいる天皇は天皇ではなく、叡子内親王殿下こそ、天皇たるに真に相応しい方と言うことになる。
しかし、内親王殿下には気になることがあった。
「しかし、それをどうして私に?私の、父上、などの方が余程知るべきことでしょう」
叡子内親王は、神武天皇の血を引くとは言え、皇位を継ぐべき人物かというと、そういう訳でもない。
天皇は基本的に男性が世襲すべきものであるし、彼女の本当の親などもまだまだ健在である。
「これは、ただの、一人の人間としての情に過ぎない。私は、お前のことを、少なくとも養子のごとくは愛していた」
「それは、ありがとう、ございます。陛下もやっぱり人間らしいところがあるのですね」
「陛下、陛下と呼ぶのはもう止めて、頂きたい、内親王殿下」
「では私も、殿下などと呼ぶのは止めてもらおうか、陛下?」
「何だかんだで仲の良いお二人だ…」
伊達公爵は、この後に待ち受ける運命を知っている。だけらこそ、この微笑ましい光景を見るのが辛い。
「それで、陛下は今後も天皇として働くのですか?」
内親王殿下は、そう、尋ねてしまった。
「私は、今日限りで政治から手を引く。今こそ大政を奉還すべき時が来たのだ」
「え?では、陛下は…」
「そうだ。もう私は消える。恐らくは、事故死と言うことになるだろう。お前とはもう、会えなくなるな」
「そ、そんな…」
「すまないな。そもそも私がこのような愚かなことをしなければ…」
そうして天皇は「死んだ」。公的には建設現場の視察中の事故による薨去とされた。
新たな天皇、第137代の天皇には、叡子内親王殿下の実父が践祚した。
ここに大日本国の皇統は、その皇統譜にだけは嘘を刻みながらも、正当な血統のもとに戻されたのである。
その3000年の皇統が途絶える日は、人類の文明もまた滅亡する日であろう。




