キエフの戦いⅤ
種は簡単だ。
クラミツハは人間ではない。その体はほぼ屍人だ。故に彼女は体を数発撃ち抜かれた程度では死なないし、それどころか痛がりすらしない。
その特質を利用し、クラミツハでロコソフスキー少将の視界を遮り、その後ろから狙撃を行ったということだ。人間業ではない。
だが、ロコソフスキー少将とてヤワではない。この程度、まだ耐えられる。しかし、最早クラミツハと対等の戦士とはなりえなかった。
「どうします?降参しますか?」
「降参?俺の辞書にそんな言葉はないな」
ロコソフスキー少将はクラミツハを斬りつける。だが、その威力は弱く、いとも簡単に受け止められた。
また、瀕死の少将の姿に兵士らは浮き足立ち始めていた。
「まあ、あくまでも戦うというのなら、殺させてもらいますよ」
「望むところだ」
「では。遠慮な…ッ」
その瞬間、両名が同時に力を失った。刀を落とし、胸を押さえる。ロコソフスキー少将は、その心臓を射抜かれたのだ。
「クソ…」
少将は倒れ込む。同時に、クラミツハも倒れ込んだ。
「まさか、味方にやられるとは、不覚、でした…」
「残念な、幕引きだな…ま、俺は最後に、華を添えるがな」
「どうぞ、ご自由に」
クラミツハは微笑んだ。少将のやろうとしていることを察したからだ。
ロコソフスキー少将は最後の力を振り絞り、腹部に手を伸ばした。ちょうどその時、呆気に取られていた両軍が動き出す。ロコソフスキー少将の上を日本兵が駆ける。
「そうは、させるか…」
刹那、少将の体が爆発した。いや、そう見えただけで、実際には彼が身につけていた爆弾が炸裂したのだ。その威力は凄まじく、日本兵の十や二十は吹き飛ばした。
無論少将の体は粉々になり、見る影もない。クラミツハの体も日本兵の死体に紛れ消えた。
「ロコソフスキー少将戦死!」
「嘘だろ…閣下」
その方はすぐに艦橋に届いた。彼の死は余りに唐突で、皆呆然としていた。だが、彼の死を悼んでいる時間などない。
「防衛戦を続けるぞ!閣下のご遺志を無駄にはするな!」
マレンコフ大佐は叫んだ。彼が死んだからといって敵も死ぬ訳ではない。戦闘は継続中だ。まだ戦いは終わっていない。
「大佐殿、クラミツハ死亡とのことです!」
「閣下がやったのか。奴が死んだなら希望はある!まだまだだ!」
ソビエト共和国軍はロコソフスキー少将という希望を失ったが、敵もまた同等のものを失った。まだ絶望するには早い。
「震洋の新手です!数は7!」
「撃ち落せ!一機たりとも近寄らせるな!」
しかしその命令は叶わず、新たに2機の震洋の突入、その分の敵増援を許してしまう。
「第2陣地!突破されました!」
「増援を…」
「第5陣地もです!」
「クソッ!後詰を二手に分けるしかない!やれ!」
機動防御のシステムも崩壊を始めていた。後方の火消し役であったロコソフスキー少将が死んだことで、その打撃力は低下、回り続ける火の手に火消し役が追いつかなくなり始めているのだ。
「第3陣地、再び突破されました!」
「もう送れる増援がありません!」
「わかった。現防衛線を放棄!艦橋の直下で防衛を行う!」
「了解しました!」
残り時間は30分。それを艦橋に立て籠って耐える。キエフは艦橋さえ生きていれば他の全てを操作出来る為、このような策を取ることが可能だ。
しかし、これで耐えられるかどうかはわからない。マレンコフ大佐自身も正直なところ不可能であると予想していた。
「最終防衛ライン、会敵!」
「後は、見守るだけか」
ここまで来れば艦橋の仕事は操舵だけだ。白兵戦に関しては、もう現場に任せるしかない。もう全ての部隊を一ヶ所に集中させた。
敵は屍人のようだ。先程は人間の部隊にやられたが、屍人なら、体勢を立て直せばまだ耐えられる。
「震洋、新手です!」
「またか」
今度は1機だけ、突入を許した。だが、ここから出てきた部隊が勝敗を決することになる。
「大佐殿!人間の部隊です!」
「持ちこたえるか!?」
「既に数人、やられました。このままでは…」
「クソッ…」
前線の機関銃手がやられると、屍人の攻勢が一気に強まった。その僅かな隙で、防衛ラインは屍人の波に飲まれていく。
「大佐殿、まだ暫し耐えられますが、最早、目的の達成は不可能です」
「ダメ、だったか…」
艦橋の下にはまだ陣地がある。しかしこの勢いでは、簡単に呑み込まれてしまうだろう。
「地上に降りるぞ。地上に降りたら主機を破壊する」
せめてもの抵抗、日本軍にキエフは使わせまいと、キエフの核融合炉は破壊する。今の人類の科学技術では、その修理は不可能だ。
「全力降下!」
キエフは自由落下に近い速度で高度を落とし、地面との激突直前で原則、屍人の流域に無事に落下した。
その時、艦橋への入り口の向こうから銃声が直に聞こえた。
「もうそこまで来ているのか!核融合炉破壊!急げ!」
核融合炉の破壊とあらば、当然、それなりに面倒な工程を踏まねばならない。平時であればあって当然の安全装置だか、この時ばかりは全て飛ばしたいものだ。
そして、そんな事情はつゆ知らず、屍人の軍勢は、着々と迫っている。
「まだか!」
背後からはゴンゴンと扉を叩く音。
「きました!」
と、その瞬間、艦内の照明やモニターが一斉に動作を停止した。それどころか、艦の全てが静止した。
間に合ったのだ。




