ヴォルゴグラード逆奇襲
崩壊暦215年9月10日03:24
「ユースフ元帥閣下!」
「何だ?そんなに急いで」
「ソビエト共和国軍に新たな動きを確認し、敵は7個艦隊全てをここに向けて動かしています!」
「何だと?きちんと確かめたのか?」
こうしてもたらされた報告は、紛れもない真実であった。ソビエト共和国軍は日本軍との前線を事実上放棄し、ここを全力で落とそうとしているというのである。
「増援の期待はなし、それどころか本土に守備隊が残っている訳でもない。正に絶望といったところだな」
「か、閣下?危機感というものは…」
全ての軍を外征に回しているアラブ帝国軍には後がない。この北方軍が敗北した場合、リヤドやアレッポを守る艦隊はないのである。
しかしこちらは3個飛行艦隊で敵は7個飛行艦隊。絶望するしかない状況なのである。
「だが、諸君、我々にはまだ切り札が残っているということを忘れたのかな?」
「切り札?」
「おっと、口が滑った。まあいいか。いずれ諸君も知ることになる。今のうちに話しておこう」
「は、はあ…」
「我らの切り札。世界唯一の核融合レーザー砲、ジブリールのことだ」
ジブリール、西洋などではガブリエルとか呼ばれる大天使の名である。有名なのは受胎告知の絵だろうか。まあ名前なぞどうでもいい。
レーザー砲とは即ち、非常に大きなエネルギーを持った光を照射する兵器である。それによって装甲やらを溶解させ、艦を破壊する兵器である。またそのエネルギーを確保するのには核融合炉が用いられている。
現在アラブ帝国が保有しているのは旧文明が残した兵器であり、同種の兵器は世界に二つと存在しない。
「まあ知らないのも無理はない。あのクーデタに参加した兵士と国家元首級の用心しかジブリールの存在は知られていないからな。これで諸君も仲間入りだが」
「それで、そのジブリールを使えばソビエト共和国軍も撃退出来るのですか?」
「少なくとも、相当な時間稼ぎにはなるだろう。或いは、恐れをなしたソビエト軍が撤退するか。だが、奴らのこととなると、それは考えにくいな」
「確かに。ではやはり日本軍に動いてもらうしかありませんな」
かつてのソ連で逃げたら銃殺とかいうふざけた命令が出されたように、ソビエト共和国は本質的には人名軽視の軍隊である。
レーザー砲の欠点は、同時に一隻しか叩けないことだ。犠牲を省みない突撃があれら、ジブリールの処理能力も飽和してしまうだろう。
「そうだな。では早速スルタン陛下と鈴木大将に連絡を取るとしよう」
「はっ。直ちに」
まずはスルタン・サッダームに通信をかける。まあこちらは何も問題はないだろうが。
「ですから、陛下、ここでジブリールの使用許可を願います」
「なるほど。出来れば最後まで取っておきたかったものだが、なければならんか」
スルタン・サッダームとしては、これを正に最後の切り札として取っておきたかった。これはユースフ元帥とて同じである。しかし、その前に帝国が降伏してしまったは意味がない。
「はい。残念ながら北方軍だけでは敵の軍団に抗えません」
「わかった。ならば許可する」
「はっ。ありがとうございます」
「大天使の力、見せてもらうことにしようじゃないか」
これでジブリールの確保は完了。スルタンも案外乗り気であった。そして次は日本軍に増援を要請する。
「我々としても、状況は把握しております」
鈴木大将は言った。まあ当然のことだが、日本軍もソビエト共和国軍の動きは察知しているだろう。
「では手短に離しますが、大将にはこのヴォルゴグラードに増援を送って欲しいのです」
ユースフ元帥は、あえてジブリールについては触れずに言った。
「しかし、未だ我らの間には広大な共和国領が広がっていますよ」
ユーラシア大陸の外を回るルートでは時間がかかりすぎる。そうでなければソビエト共和国領を突っ切るという荒業をこなすしかない。
「無理は承知。しかし、貴軍ならば、ソビエト共和国の都市など無視してここまで来ることも可能でしょう」
「閣下、本気ですかな?」
「ええ。本気ですよ」
東部にソビエト軍が存在しないという異常な状況だからこそ為せる荒業。敵飛行艦隊が不在ならば、敵の都市を無視するというのは不可能な話ではない。
「いっそここで合流を果たしてしまえば、モスクワもすぐそこです。悪い話ではないでしょう」
「ほう。なかなか大胆な策ですな」
ソビエト共和国軍は、完全な勝利の可能性と引き換えに縦深を捨てたのである。ここでヴォルゴグラードを守りきれば、戦局は一気に傾く。
「どうですか?」
「悪くない話です。なればいっそやってやりましょう。いつかこの貸しは返して頂きますがな」
「ははっ。それは頼もしい。感謝します」
さて、これで日本軍の増援を約束された。この戦争、案外早く決着が付きそうである。




