日ソ会談Ⅱ
「なるほど。書記長閣下の言わんとすることは分かりました。しかし、そのような重大な提案に対し今即座に返答をすることは叶いません。お時間をもらえますかな?」
「ええ。勿論のことであります」
ジュガシヴィリ書記長との通信は一旦切り、これについて決定があり次第、また彼にかけ直すこととなった。再び御前会議が始まる訳だが、今回のそれは天皇が自ら主導するという異例の形を取った。
「して、諸君。この提案、受け入れるべきか?」
「私は、受け入れるべきではないかと存じ上げます」
原首相は言う。
「何故か?」
「ジュガシヴィリ書記長はアラブ帝国自体は存続させると言いましたが、軍隊のないアラブ帝国など大した戦略的意味を持ちません。加えて、彼等が約束を守るという保証もありません。この場合、帝国は公式には『何もしていない』ということになりますから、万一の際口出しが出来ません」
まず第一に、中東はヨーロッパやアフリカに対する防波堤として機能しなければ存在意義がなく、従って、軍事的には、その軍隊が壊滅した時点で大日本帝国はアラブ帝国を失ったも同然の状況になる。
また、この取引は端的に言えばアラブ帝国を見捨て取引の材料にしたことに他ならない為、大日本帝国はこれを公に出来ない。よって、ジュガシヴィリ書記長の言葉は信用に値しない。
「私も同意致します、陛下」
陸軍大臣も原首相に続いた。珍しい連携である。
「何故か?」
「アラブ帝国のみを戦わせるというのは、純軍事的に考えれば戦力の分散に該当する愚行であります。アラブと帝国の軍事力を合わせればユーラシア北西の同盟にも勝てましょうが、片方ずつがぶつかった場合、双方ともに撃滅されるのは目に見えております。
例えジュガシヴィリ書記長がこも口約束を履行したとしても、将来的に帝国が他の列強との戦争状態に突入した場合、誠に遺憾ながら、我らに勝ち目はないと言わざるを得ないでしょう」
ある部隊の強さは、その数に比例しない。その二乗に比例する。故に、1を2回ぶつけるのと2を1回ぶつけるのでは、後者の方が圧倒的に有利なのである。そして、アラブ帝国をここで見殺しにするということは、国家規模で前者を取るに等しい。
しかし、陸軍大臣が自ら帝国軍の敗北を宣言するとはこれまた珍しい。まあ、それだけ帝国が戦略的にものを考えてきたことの裏返しでもあるが。
「山本参謀総長、陸軍大臣の意見は真っ当か?」
「はい。戦略的に考えますと、ここでアラブ帝国を見捨てるのは自殺に等しい行為かと思われます」
「なるほど。これらより強い意見を持つ者はあるか?」
誰も手を上げない。趨勢は決したようだ。
「ならば、ジュガシヴィリ書記長の要求は呑まぬと彼に伝えよう。再び彼に繋いでくれ」
そして再び議場のメインスクリーンにジュガシヴィリ書記長の姿が映る。
「天皇陛下、随分と、お早いですな」
ジュガシヴィリ書記長に平時なら見える余裕を持った様子は最早見えなかった。ただ天皇の言葉に期待と恐怖を抱いているようである。
「うむ。ではまず結果を伝えましょう」
「どうぞ」
「我らは、書記長閣下の要請を拒絶することに決めました。貴国との更なる戦争、ひいては人類の文明全体を巻き込んだ戦争は、避け得ないでしょう」
「やはり、ですか。しかし、せめてどうしてかだけでも、教えて頂けますかな?陛下のようなお方でも戦争を望まれるのか?」
「全て国益の追求の為。これしか言えることはありません。我らは、我らが考えうる中で最も帝国を利する道を選んだ。ただそれだけのこと。我が私情は、全くもって関係はありません」
君主制は偉大だが、君主が感情のままに国を動かし始めれば、それはもう国が傾く予兆である。それは大衆迎合の愚と何ら違いがない。
「しかし、陛下は正義を重んじる方と聞きます。人類の文明をも破却しかねないこの戦争を始めようと仰られるのですか?」
「正義とは、法を守ることです。我らは法を守り出来うる限り多くの生命を守りますが、それは決して国益の追求に優先し得るものではない。勿論他国への不当な侵略行為は是認しませんが、そもそも貴国との戦争は貴国が始めたことにあれば、これを不当とは見なせません」
「確かに。言われてみれば不法な奇襲を仕掛けた我々が和を請うなど虫の良すぎる話だったやもしれませんな…」
元はと言えばソビエト共和国側が朝鮮半島に奇襲攻撃を仕掛けてきたことが全ての発端だった。最早、観念的な意味でも正義は大日本帝国にあることは明らかとなった。
「では、この続きは戦場で致しましょう」
「うむ。これこそ我らが定めなれと見える」
結果、大日本帝国はこの数時間後にはヨーロッパ国およびアフリカ帝国に宣戦を布告。ソビエト共和国への攻撃も再開されることとなった。




