荒れる大本営Ⅰ
崩壊暦215年9月9日04:12
アラブ帝国による電撃的な奇襲より数時間後。その報は大日本帝国にも入った。だがそれは所謂スパイからの情報であって、外交ルートでの公式な通知は未だに来ていない。
それを巡り、大日本帝国の指導部は急遽皇居に招集された。
「何を考えているのだ!アラブ人の馬鹿どもが!」
と叫んだのは陸軍大臣。だが、それは決して彼だけが激昂しているのではなく、誰もがそれに近い感情を抱いていた。
アラブ帝国がヨーロッパ国とアフリカ帝国とソビエト共和国に喧嘩を売ったのだ。その衝撃は余りにも大きい。しかも余りに非合理というだけではなく、帝国の安全保証にも関わってくるのだからタチが悪い。
「我々の平和への計画を…」
原首相の今日は殺気に満ち溢れていた。何故ならば、彼が提唱し実行したソビエト共和国との講和が完全に崩れ去ろうとしているからである。
「こうも怒りをぶつけているだけでは何も起こりません。皆様一度落ち着いて下さい」
山本中将は言う。
「我々が決めるべき問題は、まず第一にソビエト共和国とこのまま講和に入るかどうか、そしてヨーロッパ国に対してはどう振る舞うか、これにつきます。皆様お怒りのようですが、ここは早急な決定が必要です」
「…すまんな、中将」
まず第一の問題は、ソビエト共和国との講和を破棄して戦争を再開するか、或いはアラブ帝国など気にせずこのまま講和に踏み切るかである。
「ええ、私は、これは好機であると考えます。アメリカ連邦を下し、戦力に余裕がある中、更にソビエト共和国軍は戦力を分散させている。これは、ソビエト共和国を完膚なきまでに撃滅すべき時であります」
陸軍大臣は言う。確かに、ソビエト共和国を徹底的に叩くなら今しかない。それ自体は成功するだろう。だが、ことはそう単純には運ばまい。
「陸軍大臣、それをヨーロッパ国が許すとお思いか?」
原首相は言った。
「と言うと?」
「ヨーロッパ国はソビエト共和国と準同盟国的な立ち位置にあります。また、勢力均衡という視点からも、帝国がソビエト共和国にまで強い影響力を残すことを嫌うでしょう」
「つまり、ソビエト共和国との戦争を邁進すれば、自ずと全世界と戦うことになるという訳か」
「その通りです」
結局のところ、山本中将が二つの問題として挙げたそれは、事実上一つの問題なのである。ソビエト共和国とだけ戦争をすることは叶わない。大日本帝国が選べる選択肢は、アフリカ-ヨーロッパ-ソビエトの同盟と戦うか、一切どことも戦わないかの二択なのである。
「あくまで仮定の話ですが、彼ら西ユーラシアの同盟と戦って、帝国が勝利を得ることは可能なのですか?」
珍しい華族の発言。伊達公爵は尋ねた。華族はあまり国政に口を挟まないが、今回のは議論を円滑に進めようという計らいだろう。
そして山本中将が答える。
「単純な飛行艦隊の数で比べれば、帝国軍とアラブ帝国軍を合わせて18個艦隊、対して敵側は19個艦隊と、ほぼ拮抗しております。その他戦力においても、ほぼ互角かと」
「アメリカ帝国軍などは含めないのですか?」
「アメリカ帝国軍は、一応存在はしていますが、極めて弱体につき、自警団以上の役割は今の所果たせません」
現有の戦力ではほぼ互角。しかし戦争というのははそう単純ではない。大事なのは長期戦に耐え得る国力である。いくら当初の戦力が少なくとも、降伏に追い込まれない限り、いずれは生産力が高い方が勝つ。
「双方の生産力はいかがですか?」
「それについては私から」
陸軍大臣は続ける。
「双方の生産力と致しましては、まず結論から言って我が方が有利かと思われます。ええ、欧州は特にグレートブリテン島が内戦による疲弊で大きく生産力を減じており、アフリカ帝国は全土が疲弊、ソビエト共和国は既に帝国軍が東半分を奪取しておりますから、彼らの工業力は事実上、大陸ヨーロッパとウラル以西のソビエトだけを考えればいいでしょう。
そしてまず、この二者を合わせたものと大東亜連合の生産力を比べますと、大東亜連合の方が若干だけ劣ると推計されます。しかし、それに無傷のアラブ帝国、疲弊しているとはいえアメリカ帝国の国力を加えれば、我が方が有利かと思われます」
纏めると、生産力では若干有利、艦隊戦力では若干不利と言ったところだ。仮に戦争を始めたとすると、勝てなくもないが負ける可能性もある、そんなところだろう。
「寧ろ微妙な差になっていますな。これでは思い留まることも進むことも出来ません」
原首相は言った。
もしこちらが格段に不利であったら平和に、有利であったら戦争に舵を切れたのだが、どうも世界情勢はそんな明快な判断を許してくれないらしい。




