アラブ帝国の策謀
崩壊暦215年9月3日02:12
「日本とソビエトが和平だと?クソッ」
スルタン・サッダームは吐き捨てた。彼は平和を願わない。アラブ帝国の影響力拡大の為には、両勢力が膠着状態の時に参戦し、ソビエト共和国への侵略と同時に大日本帝国に多大な恩を売るのが最良の選択肢であった。
彼はそれを実行する期を見ていた。ところが両国が戦争を継続することはなく、平和な時代が訪れようとしている。それはならない。
「陛下、どうか落ち着いて下さい」
ユースフ元帥は言う。
「これが落ち着いていられるか?このままでは我々は六大勢力の中の末席という立場からは脱出出来ない。千載一遇のチャンスを逃そうとしているのだぞ!」
「でしたらば、最早新たな戦争を起こすしかありますまい」
「は?何を言っているんだ?」
「陛下の望みを叶える為には、今すぐにソビエト共和国を奇襲するしかありません」
流石のスルタンもそこまでしようと思っていた訳ではなかった。と言うより、それではアラブ帝国が得られる利益があまりにも少ないのである。
「それでは我々が単身でソビエト共和国との戦争を行うことになる。仮に勝てたとしても、我々は多大な戦力を損耗し、立て直しは困難だろう」
現状、アラブ帝国の軍備は欧州合衆国の残党を迎え入れることによって拡大されている。しかしそれは国力に見合わない軍備でもある。一度消耗すれば、もう回復は出来ない。そんな状態でソビエト共和国に有利な条件を突きつけられるともお前ないし、最悪の場合はヨーロッパ国の介入によってアラブ帝国の方がタコ殴りにされる可能性すらある。
「それでは確かにいけません。ですが、大日本帝国を戦争に引きづり込む策がございます」
「何だ?言ってみろ」
「あえてヨーロッパ国とアフリカ帝国にも宣戦を布告するのです」
「元帥、気が狂ったのか?」
一気に3正面作戦を始めてどうするというのだ。最初の1、2ヶ月こそ何とかなるかもしれないが、すぐに逆転されるだろう。ユースフ元帥がそんな世迷言を吐くとは。だがユースフ元帥は本気らしい。
「いいえ、私は今でも健常です。そして、私はあくまで大日本帝国を戦争に引きづり込む方法を申し上げたのです」
「どういうことだ?」
「我が国が滅びることは、大日本帝国にとっては痛手となります。彼らは彼らの国益を守る為、我が国に加勢せざるを得なくなるのです」
「本気か?」
だが、それは全くあり得ない話でもなかった。自国を滅亡の危機に置くことによって同盟国を無理やり戦争に引きづり込む。同盟の友誼などは関係なく、アラブ帝国が滅ぶのは困るという理由で大日本帝国は参戦するだろう。
いや、それすら確定的な訳ではない。仮に大日本帝国に見捨てられた場合は、アラブ帝国は建国1年も保たずに滅び去ることになるだろう。
「私は最後の手段としてこれを提示しました。お選びになるのは陛下です」
「最後は私か」
国益増長の為に国家存亡の危険を冒すか、或いはこのまま現状維持か。選択はスルタンに委ねられた。
「いや、待て、まだ早い。将校や閣僚に諮問せねば」
「残念ながら時間がありません。少なくとも戦争に踏み切るには。日本とソビエトは、未だ公式な講和条約を結んだ訳ではありません。外交的には未だ戦争状態と言えます。その今しかないのです」
「だが、せめて軍部とは話をしよう。1日だ。それ以内に決定する」
しかし、たった1日の軍議でこれ程の重大事項が決定できる筈がない。この計画を知らせた者は軍の上層部のみで、軍議もかなり少人数で行われたのだが、結論が出る筈はなかった。
「最早、陛下の裁定を仰ぐしかあるまい。よいな?」
ユースフ元帥はそう呼びかけた。結局こうなるのである。全てはスルタンに委ねられてしまった。
「私は…」
スルタン・サッダームとてこれ程の決定を簡単に下せる程強い人間ではない。だが、国家元首となったからにはこれを決定しなければならなかった。
「陛下、さあお決めください」
「わかった」
スルタンは深く息を吸った。
「私は決定した。これより直ちにソビエト共和国、ヨーロッパ国、アフリカ帝国に奇襲を仕掛けよ!」
「陛下、ご立派なお言葉です」
恐らく、この規模の世界大戦が起こることはもうないだろう。それはつまりアラブ帝国の躍進の機会もなくなるということだ。
これが賭けであるのは否定出来ない。しかし、少なくとも大日本帝国が参戦してくれるだろうという見解については賛成派も反対派も共有していた。十分な公算を持った賭けなのである。
スルタンは、何よりも帝国の国益を選んだ。




