ソビエト共和国の対応
崩壊暦215年8月24日08:09
「日本が和平の申し込みか」
「はい、書記長閣下」
「で?どういう条件を突きつけてきたんだ?」
アメリカ連邦を下した大日本帝国からの和平の提案がモスクワに舞い込んできた。さてどんな条件が付されているのかとジュガシヴィリ書記長は詳細を尋ねる。
「ええ、要求は、賠償金の支払いと軍備の縮小、のみです」
「本当か?」
「この文書にはそうとしか…」
「そうか。いや、そう軽いものでもないか」
日本からの提案は、本当に交渉する気があるのか疑わしい程に大雑把なものだった。賠償金の金額も、軍備をいかほど縮小するのかも、一切書かれてはいない。
「賠償金は、まあ金を刷れば何とかなるか」
「か、閣下?本気で仰っておりますか?」
ジュガシヴィリ書記長の暴言に瀕死の形相で問い返すのは大蔵大臣である。
「一時のインフレは避けられんだろうが、後々には何とかなるだろう」
「賠償金を新札で払った国がどうなるかはご存知のはず」
第一次世界大戦後のドイツが良い例だ。戦後の驚異的なインフレによって紙幣は紙切れ同然となり、ドイツ経済は崩壊した。それがヒトラー誕生の遠因であるのは間違いない。
「だが、君、当時と今では世界が違うのだ」
「と言うと?」
「そもそもドイツのインフレは、賠償金の支払いを外貨でしなければならなかったから起きた。しかし、この時代に国際的な基軸通貨は存在しないのだから、日本は我々のルーブルで請求することしか出来ないだろう」
自国通貨払いを要求されれば対応は余裕も余裕である。金を刷って自国通貨安にしてしまえば、固定の金額しか約束出来ない講和条約など簡単に履行出来る。
それをされないようかつての国々は外貨か金貨での支払いを命じた訳だが、金本位制は遥か昔に潰えたし、かつてのポンドやドルのような基軸通貨も存在しない以上、外貨での支払いも要求しずらい。
「しかし、まだかなり強いライヒスマルクがあります。ライヒスマルク払いとなればどうするおつもりですか?」
アメリカ連邦が滅亡したことでドルの信用は消滅、アフリカも長きに渡った内戦の直後で信用は薄く、南米と中東はそもそも経済力が弱すぎる。よって、今現在世界レベルでマトモに使える金は円かライヒスマルクかルーブルがある。
そのライヒスマルクでの支払いを条約に記された場合、確かに面倒なことになるかもしれない。
「ライヒスマルクか。ならば問題はなかろう」
「な、何故ですか?」
「ヘス総統は我々の友人であり、また我々は彼女に貸しを作っている。それなりの頼みなら聞いてくれるだろう」
実際、欧州独裁化革命の成功は、かなりの割合でソビエト共和国の功績でもある。仮にソビエト共和国がヘス総統を国外追放にでもしていたら、彼女の党、NSEAPが政権を握ることはなかったであろう。
「何を頼むと…」
「簡単だ。仮にライヒスマルク払いを命じられたとしたら、ライヒスマルクを刷ってもらってライヒスマルク安にしてもらえばいい。そうすれば万事解決だろう」
「さ、流石のヘス総統とは言え、そこまで友情に篤いとは思えませんぞ」
「いやいや、彼女は案外人間的だぞ。政治家に向いていないとも言うな」
「そうでしょうか…」
ジュガシヴィリ書記長は、ヘス総統がその権力に相応しい程の実力を兼ね備えていないことを見抜いていた。人格的には素晴らしいが、それでは政治家は、ましてや独裁者は務まらない。ヒトラーと全く同じである。そういう人間は御しやすい。
スターリンはヒトラーの情熱の巨大さを見誤り、彼を国益に忠実な男だと誤解した結果、大祖国戦争初期の大敗を招いた。しかしジュガシヴィリ書記長はヘス総統の情熱を利用する。
そういう訳で大蔵省からの文句は黙殺し、議題は進む。
「ジューコフ大将、軍備の縮小には応じられると思うか?」
「はい。表向きは軍備を縮小しつつ、あらゆる形で非常時の戦力を蓄えるのは容易なことです」
「おいおい、話の先を読みすぎだ」
「は、これは失礼致しました」
軍備の縮小と言われてやることは決まっている。表向きは条約に従って戦力を削減するも、警察や民間企業の備品に偽装して兵器を保存することは十分に可能だ。それに、この時代ならではのやり方として、地上の大半を占める屍人の領域に兵器を隠すことも出来る。奴らは人間意外に関心を示さない。
ただ、ジューコフ大将が先を読みすぎて発言したのは確かで、ジュガシヴィリ書記長の質問への答えになっていなかったし、軍人以外の人間にはほぼ理解されていなかった。
ジューコフ大将は説明に暫しの時間を要したが、国益に忠実な官僚たちがこれに反対することはなかった。
「では、総じて、交渉の価値はありということでいいか?」
反対者はなし。
ソビエト共和国とて、大した傷もなく戦争を終えられるなら願ったり叶ったりである。少なくとも戦争終結の糸口は見えてきたという訳だ。




