静まりかえった都市
崩壊暦215年3月15日16:21
ギリシャ軍の防衛線を突破して数時間、牟田口少佐の部隊は一度も敵に遭遇していない。また、他のの部隊も全て同様の状況にあった。
海岸では呆れるほど頑強な抵抗を見せたというのに、一度過ぎれば何もない。敵は信じられない程の無計画なのか、或いは未だ予備戦力を温存しているのか、それはわからない。
だが牟田口少佐は進むしかない。市内に点在する砲台と空港と基地を制圧せねばならない。
「少佐殿、第三部隊が敵四番高射砲陣地を制圧とのこと」
「よし。じゃあ、ええと」
牟田口少佐はすかさず地図を開く。
「地図くらい暗記しなかったんですか?」
「いや、努力はした。ただ、少し、ド忘れしただけだ」
「はあ。そうですか。で?」
「ああ。第三部隊は六番高射砲陣地の制圧に向かわせろ」
「了解です」
そんな調子で、作戦は順調だ。いや、順調過ぎると言った方がいい。これは作戦というより散歩だ。何かがおかしい。何かが起ころうとしている。
「違和感だ。感じないか」
「そりゃ、違和感しかないですけど」
「どうすればいいんだ…」
と唸っていた矢先、誰もいない大通りに人影が飛び出てきた。
「止まれ!」
牟田口少佐は瞬時に銃を向ける。彼の部下、戦車の同軸機銃も、全て、その人影を狙った。
「う、撃たないでくれ!」
声からして若い男だ。そして彼は両手を上げる。
「取り押さえろ」
牟田口少佐の一言で、数名の兵士が素早く走り寄る。そして彼の両腕を拘束した。牟田口少佐はそれにゆっくりと歩み寄る。
服を見たところ、合衆国軍の軍服を着ている。それも士官用のものだ。
NS(国家社会主義ヨーロッパ労働者党)が政権を握って以降、軍服は全く違うデザインのものに置き換えられる計画があり、また実行されている。しかし全兵士の軍服を一気に生産するのは困難であるから、まずは士官から軍服の更新が始まった。
そして現在、少佐以上の階級の軍人は全て新たな軍服を着ている。だが目の前のこいつはそうではない。つまり敵なのだ。
「で、お前は何者だ?」
牟田口少佐は、機動装甲服のヘルメットを外さぬまま、非常に高圧的に尋ねる。
「が、合衆国陸軍中佐のロンメルだ」
「ほう。ドイツ人か。ギリシャなのに?」
「そりゃ、合衆国軍だからだろうが。今あんたらが戦ってるのは、ギリシャ軍じゃない。合衆国軍だ。勘違いしない方がいい」
「覚えておこう」
確かに、欧州合衆国の時代もライヒの時代も、その構成国の軍隊というものは、ほぼ儀礼的にしか存在しない。旧アメリカ合衆国で言うところの州兵のようなものはない。
そう考えると、確かに、ギリシャに何人が居ようが、ヨーロッパ人(ロシア人は除く)である限り、何らおかしくはない。
「で、何をしにのこのこと出てきたんだ?」
「ああ。そいつだ。軍の奴ら、今からアテネを爆撃する気だ」
「何?」
「本当だ。奴ら、血も涙もねえ。アテネごとあんたらを殺すつもりだ」
この男を見る限り、嘘を吐いているとは思えない。必死の形相で訴えかけてくる。敵軍のことをこうも心配している。牟田口少佐はロンメル中佐に好感を持った。
ヘルメットを外し、顔を見せる。
「その根拠は?」
「話を聞いた。俺の上官の将軍が、上と話しているのを」
「待て、アテネに軍がいるのか?」
牟田口少佐は気付く。ロンメル中佐はギリシャ軍の部隊から脱走してきた。つまり彼から部隊の居場所を聞き出せるかもしれないと。
「ああ。全員、北の基地に籠っている。俺も最初は、何で出撃しないのかと思ってた。そうなんだが、奴らの魂胆は、基地以外を全て爆撃することだったんだ」
「なるほど…」
少なくとも牟田口少佐が得ている情報とは矛盾しない。敵がいない理由も、もっともらしく思える。
「か、考えてる暇はない。もうすぐに爆撃が来るぞ」
「わかった。全軍に特別警報。直ちに近くの爆撃から身を守れる場所に逃げろ」
「ありがとうよ。ああ、あんたの名前は?」
「牟田口少佐だ」
そして牟田口少佐は考える。命令を出したはいいものの、具体的にはどうすれば良いのかと。
「近くの高射砲陣地は?」
「2km先です」
「それは、マズいな…」
平静を保っていた牟田口少佐も徐々に焦りが出てくる。この辺りに隠れられる場所がない。このままでは、死ぬ。
「なあ、少佐、地下鉄に逃げるってのはどうだ?」
「近くにあるのか?」
「ああ。地図を見ればわかるさ。まあ戦車は捨てることになるが」
地図を見ると、確かに近くの入り口がある。ここならいけそうだ。
「じゃあ、第一部隊、地下鉄に向かえ。あと、この男も連れて行け」
「了解です」
彼らは走り、あっという間に目的地に辿り着いた。
電気は恐らく止まっており、入り口から下は真っ暗だった。中に進めば本当に何見えなくなるだろう。
「ライトはあるか?」
「あまりないですが、一応」
戦車の中などからそれなりの数が確保出来た。




