アテネ上陸Ⅰ
「では、まずは全周波数で避難勧告を発せ。時間は1時間。安全地帯も忘れずに送れよ」
人道上の文句を食らわない為の工夫だ。
だが、これは政治的な必要からの行為であるが、同時に東條少将の本心からの言葉でもある。実際、制限時間は1時間とは言ったものの、もしも避難民が確認出来れば、攻撃を延期する構えである。
「果たして、本当に避難なんてするんですかね?」
当の発案者、近衛大佐は言う。全くと言っていい程アテネを信用していないと見える。
「避難なんてしないだろうという前提で話していたのか?」
「まあ、8割方、無理だろうとは思っていましたね」
「やっぱり、そういうものか」
「ええ。軍人は国民を守る為に在るっていうのは、あれは嘘です」
近衛大佐は急に真面目に話し始めた。まあ実際、軍務は彼の方が遥かに長く、最近までは彼の方が上司だったと考えると、説教するのは彼になるだろう。
「じゃあ何を守ると?」
「国ですよ。自国の市民を生かしても、国がなければ元の子もありませんからね。肉を切らせて骨を断つんですよ、軍隊ってものは」
「そう言われてみれば、そうかもな」
確かに、例え国民が全員生き残ったとしても、国が滅んではどうにもならない。どうせ苦しむことになるし、未来も絶たれる。そうなるくらいだったら、国民皆兵総玉砕をしてでも国家を生きながらえさせた方が希望はある。
「だが、これは好かんな。結果として国民が犠牲になるのは仕方ないが、自ら国民を盾にするなど、軍人として恥ずかしくないのか?」
「それは好みの問題ですね。純軍事的には間違った選択ではないでしょうし、事実こうして我々が動けないのですから」
「好み、か。じゃあ、私は嫌いだと宣言しておこう」
「それが良いです。ですが、あまり、人の命を気にされ過ぎないように」
「ああ。わかっているさ」
東條少将は、自分が優しい性格なのだと自覚している。今回の件でより一層そう思わされた。
しかし優しさは美徳ではない。将官たる身からしては悪そのものである。敵将はその点において非常優れている。恐らく東條少将より上手だ。
心を凍らせて戦わなければ、勝利をもぎ取るのは難しいだろう。そう、心に刻み込んだ。
そして気付けば刻限の10分前。
「避難の様子は、見られるか?」
東條少将は恐る恐る尋ねた。
「いいえ。一切、確認出来ません」
「そうか。わかった」
つまり敵は意図的に市民を盾に使っているということだ。いけ好かない。しかし引き下がる訳にはいかない。
「牟田口少佐」
「はっ」
「上陸の準備だ。刻限となり次第、直ちに作戦を開始する」
「了解致しました。では、私はこれにて失礼させていただきます」
「ああ。頼んだぞ」
「お任せ下さい」
そう言った牟田口少佐の声は暗かった。
既に準備は整っている。ヨーロッパ国から取り寄せた艦艇、自由アフリカから引っ張ってきた艦艇、のべ、200隻ほど。そのうちの40隻が輸送艦である。
他の艦は護衛に回る訳だが、今回の場合は護衛というより囮になる。
アテネに至る道中では、当然、ギリシャ軍の砲撃があるだろう。そこで、その処理能力を遥かに超える数の船を突っ込ませることで、敵の迎撃能力をして飽和せしめるのだ。
「刻限の1時間、経過しました」
「ああ。全軍、アテネ上陸作戦、開始。まずは既定の計画を実行せよ」
エーゲ海に浮かぶ軍艦らはボイラーを一斉に拍動させる。そして複数の部隊に分かれ、アテネへと向かっていく。
今のアテネは、かつてアテネがあったアッティカ半島の更に先っぽの方を核攻撃し、南になみ防壁を建造する形で再建された都市だ。珍しく文明崩壊以前と同じ場所にはあるが、代わりに文化財の類は全て灰となってしまった。
そして、その構造は屍人からの防衛には最適だが、人間からの攻撃には脆弱である。南を除いた全方位から上陸が可能だからである。
もちろん、全方位から上陸を仕掛ける。
「敵艦隊の射程に入りました」
「了解」
飛行艦隊の方も前進している。敵飛行艦隊の攻撃を引き付ける為である。人道上反撃が出来ない状況下、完全に案山子そのものになる。
「敵艦、発砲!」
「回避行動を取れ。また、絶対に、対艦ミサイル以外で反撃はするな」
撃ち返すことの出来ないというのは非常に歯痒いものだが、これも長期的な世界戦略の為と耐え忍ぶ。
攻撃は度外視の回避行動が取れるから被弾は少ないが、とは言え当たる時は当たる。最前列の艦船が煙を上げ始めた。
「巡洋艦ミュンヘン、中破」
「下がらせろ。後ろと交代だ」
「はっ」
こんな状況で艦が撃沈されたら士気も下がるだろう。今回の東條少将の方針は、一隻も艦を沈めないことであった。まあ流石に損害皆無というのは難しいが。




