共和国側の体勢
崩壊暦215年3月8日05:34
「日本軍、ハルビンを発つ」という報せがやって来たのはおよそ30分前である。各人、ついに来たかという面持ちである。
事前に決めていた通り、ジューコフ大将はソビエツカヤロシア、ロコソフスキー少将はキエフ、クズネツォフ少将は湖上要塞に乗っている。
とは言え、各々の艦のモニターでテレビ電話でもすれば、何ら支障なく意思の疎通が出来る。
「では、申し上げます。陸軍情報部からの報告です」
ロコソフスキー少将は言う。
「現在、イルクーツクに迫る敵艦隊は、その戦闘艦においては、およそ160隻、整った5個艦隊であります」
「戦闘艦においては?」
「はい。通常でも輸送艦の類いはついてくるものですが、今回の日本軍は、その数が異常に多いとの報告があります」
「それはやはり、水上艦を運んでいるとの認識でよろしいですか?」
クズネツォフ少将は言う。日本軍が湖上要塞攻めの時に多数の輸送艦を擁しているとなれば、そこから導きだされるのは、またもや五大湖の再現、駆逐艦を空輸するというそれである。
「現時点では判断出来ない。だが、その公算は大きいでしょう」
「なるほど。まあ輸送艦の中身など、誰にも判りはしません」
「そうでしょうな。ですが、取り敢えず、クズネツォフ少将は万一の事態に備え、白兵戦の用意をすべきでしょう」
「勿論です」
どんなにレーダーで網を作ろうと、艦の中身までを知ることは不可能だ。であるからには、少しでも可能性がある事態に対して、最大限の対策を取っておくべきだろう。
古今東西、基本的には有利な防衛側であるが、こういう時は費用対効果において不利を被るものだ。
「でだ、話を戻そう。ロコソフスキー少将」
「はっ」
「敵は戦闘艦だけでも5個だそうだが、貴官の3個艦隊で戦えるのか?」
現在、キエフを含め、ロコソフスキー少将の手元にあるのは3個艦隊である。但し、ジューコフ大将の近衛として1個艦隊が後方に残る算段だ。
正直なところ、ロッキー山脈で日本軍があそこまで快勝するとは想定出来ておらず、ここに攻め込んでくる日本軍も消耗した状態だろうと予想されていた。
「我がキエフならば、勝てます」
「その言葉、信用していいんだな?」
「はい。キエフは、通常の艦隊と組み合わせることで、更なる威力を発揮します」
「わかった。私は、万が一の時の予備兵力となろう」
「ありがとうございます」
「願わくは、私が遊兵として戦闘を終えることを」
ジューコフ大将はロコソフスキー少将を信用している。彼が勝てると言うのなら、勝てるのだろう。
「ならば、出来るだけ、敵の輸送艦を沈めてくれますか?」
クズネツォフ少将は頼み込む。やはり敵の輸送艦は脅威なのだ。特にこのひとつに繋がったバイカル湖では。
「それはなかなか厳しいでしょう。輸送艦なのですから、そりゃ、艦隊の遥か後方、射程外にいるでしょうな」
「キエフなら、と問うのは野暮でしょうか?」
「なに、それは……」
ロコソフスキー少将は、それをした結果に待っているキエフの英雄譚に行き着いてしまった。それはとても甘い果実であった。
「それは、無理だ。その間に艦隊がやられては、もとの子もない」
「なるほど。そうだろうと思いました」
「は?何だ、貴官は?」
クズネツォフ少将は急にロコソフスキー少将のことをからかいだしたのだ。何事から突っ掛かるのも当然だ。
「試してみただけです。もし少将閣下がここで違う方を選んでいたら、危うく閣下を銃殺するところでしたよ」
「まったく、面倒なことをするな……」
「最も楽かつ効果的な確認の方法がこれだったもので」
「ああ貴官はそういう人間でしたな」
クズネツォフ少将の合理癖は疲れる。それも変なユーモアが混じると拍車がかかる。悪い人間ではない、ないのだが。
「ではやはり、クズネツォフ少将には、本格的に白兵戦を覚悟してもらうしかないでしょう」
「そのつもりです。その為に、湖上要塞の改装や、兵士の訓練を重ねてきました」
「湖上要塞が奪われれば、我々の軍は瓦解してしまう。どうか、頼みます」
「それについては、一切の心配は不要ですよ」
「なに?」
またこうも突拍子もないことを言う。
「もしも白兵戦で敗北し、湖上要塞が占拠された暁には、直ちにそれを自爆させます」
「少将、そんなことをすれば、必ずや兵士が巻き添えになるぞ」
ジューコフ大将はこれを諌めざるを得なかった。そのような自爆戦術をするくらいなら、素直に降伏した方がいい。
「巻き添えになる兵士など、逃げ遅れて少数です。対してこちらは乗り込んで来た敵兵全てを殺害出来る。こちらの方が遥かに効率的ではないでしょうか?」
「それは貴官が言うところのアンフェアじゃないのか?」
「屍人をけしかけてくる時点で、既にアンフェアです。こちらも多少のズルはしょうがないでしょう」
確かに、最早当たり前になりつつあるが、屍人を戦術的な運用するというのは、文明崩壊後にあっても狂気の沙汰そのものだ。




