撤退計画
「とは言え、閣下はあくまでも国の将来を考えたまでのこと。閣下に罪はございません」
「ほう、何が言いたい?」
ヒムラー大佐は、急に手のひら返し、ライエン大将の擁護に主張を転換させたのだ。何がしたいのか全然不明だ。
「つまり、閣下が屍人に頼るなどと言い出さない限り、この場の指揮権は依然として閣下にあるということです」
「なるほど。アデナウアー大統領の命令からすれば、確かにそうなるな」
アデナウアー大統領が命じたのは「Iの力の行使の阻止」であった。それ以外、それ以上の権限は、ヒムラー大佐に与えられていないのだ。
「ええ。ですから、閣下にはロンドンで如何に時間を稼ぐか。それにご注力して頂きたいのです」
「私に銃を突きつけておいて、よく言うな」
「その非礼については、素直に謝罪します。しかし閣下も公僕の一員です。閣下は私怨で動くような男でしたか?」
「いいや。私はそのような下劣な人間ではない。よかろう。私の名にかけ、合衆国最後の勝利の為に」
「ありがとうございます」
かくて二人とも平生の調子を取り戻した。
最悪の場合、内戦がこんな狭い都市の中で起こる可能性もあっただけに、双方ともに無意識のうちに安堵を共有していたのだ。
「まず、ヒムラー大佐、貴官が隠していた兵力は幾らだ?」
「およそ200です。これからは閣下の指揮下で予備として動かします」
「そこそこの数がいるではないか。ではまず、その200に、ロンドン中の砲台の破壊を命じる」
「了解しました」
先人の努力を無に帰すのは心苦しいが、仕方ない。種々の高射砲、ミサイルランチャー、掩体壕がロンドン中に隠されている。今後来る反撃の際に脅威足り得ないよう、それらは全て破壊する。
上からの攻撃には滅法強いが、内側から爆発すれば簡単に吹き飛ぶ。200人もいれば、一日のうちに完了出来るだろう。
「それに、やるならば、徹底的にやらねばならない。ロンドン市民を全員、南区に移動させ、またそこから一切の軍事力を移動させる」
「少々、それも数日は時間がかかります」
「構わん。兎に角、市民を非武装地帯に集めよ。これは今すぐに全軍に通知せよ。前線に近い市民かれ順にだ。完了し次第、敵軍に通知しろ」
それは、ロンドン市全域を戦場とするという覚悟に伴う決定である。市民を集める地域はどちらの攻撃も浴びてはならない安全地帯となり、逆に親衛隊はそこに立て籠らないと誓う。
それ以外の全ての地域が戦場だ。両軍とも遠慮なしに戦争が出来る。向こうは向こうで戦争犯罪を犯す心配がなくなるし、こちらは遅滞戦闘に専念出来る。ウィンウィンの関係とはこのことを言う。
「もっとも、奴等が国際法を厳密に履行するかはわかりませんが」
ヒムラー大佐は皮肉気味に言う。欧州合衆国からすると、ヨーロッパ国は政府などではない。ただの反乱軍である。
彼らは国際法上の主体ではないのだから、国際法に縛られてはいない。しかし今は国際法を守って欲しい。つまりはヨーロッパ国を立派な政府として認めないとならないのだ。
「大丈夫だ。奴等がどんな悪魔だろうと、利益がそれを抑止する。ヨーロッパの正統政府を主張する奴等が、仮にもその国民を虐殺などすれば、離反する者も出よう」
「確かに。奴等は少なくとも合理的には動きますからな」
まあ実際、良心で動く国家も軍隊もない。「平和を希求する」などと仰る国も、またそのように振る舞う国も、世界からの批判を受けない為にそうしているだけに過ぎない。
ある意味「平和」という言葉こそ、最も戦争を呼び寄せる言葉なのだ。「平和を守るが為」と言ってしまえば、どんな汚い戦争も正当化出来るのだから。
そういう訳で、ヨーロッパ国が市民の虐殺に走ることはまずないだろうという結論が得られた。
「市民の避難が完了した場所から、随時ゲリラ戦の舞台とする」
「後方を気にする必要がなくなるとなると、かなり自由に大胆に行動出来ます」
「ああ。兎に角あらゆる手段を尽くし、敵を一日でも長くロンドンに張り付けるのだ」
かくして、以前サンフランシスコで繰り広げられたような激戦が再現させることとなる。しかしそれはサンフランシスコのそれを上回る激甚たる戦いとなる。
ロンドンの至るところの砲台は、ロンドンの至るところの防空壕と呼び替えられた。神出鬼没に兵士が現れ、敵に出血を強制する。
その陰惨たるは、突撃隊の兵士に数百人規模の精神病患者を出す程であった。
親衛隊は戦った。ただ、最後に勝利するのは我らの合衆国であると信じて。
崩壊暦215年2月9日、絶望を味わうのはアデナウアーかヘスか、誰にも判らなかった。
これで今章は終わりです。かなり世界情勢複雑怪奇なりになってきましたね。僕も色々と考えるのが大分大変になってきました。(絶賛自分で自分の首を絞めている)




