治安維持Ⅰ
それからというもの、彼らには悩む以外の道はなく、殆ど無意味な時間が過ぎていった。
だが、そんな折、帝国本土から通信がかかってきた。皇居からのものである。また、伊藤中将宛ではあるが、別に誰がいても構わんとの但し書きもある。そういう訳で、伊藤中将は会議室のメインスクリーンにこれを映すことにした。
「中将、ご苦労」
御前会議の映像が映るや否や、一人の優しげな顔立ちの男、原首相が声をかけてきた。
「これは原首相。ありがとうございます。それに、首相も、御元気なようでなにより」
「なに、これでも、私も疲れているんだぞ」
「そうですかね?まあ、そういうことにしておきますが」
「ああ、そうしてくれ」
会議はまだ始まっていないようだ。と言うか、始まる気配も見えない。雑談のはっきりとしない声ががやがやと聞こえてくるだけだ。
「どうして私を呼んだんですか?今呼ぶ必要はなかったのでは?」
「ああ、そうだな、今は、人を待っているんだ」
「誰です?」
「鈴木大将だ。あいつ、近衛大将であるのとにかこつけて、見事に遅参しているのだ」
「ふっ、あの方らしい」
話を聞くことには、なんとその鈴木大将自信が、今回の会議を招聘したという。まさかその本人が遅れるとは。二等兵に至るまでに呆れられるだろうと言ってやりたい。
「で、今回の案件は何ですか?私を呼ぶということは、それなりに軍に関係すると思われますが」
「ああ。今回のそれは、占領地の治安維持についてだ」
「おお、それはいい。実は、我々も、そこを悩んでいたところです」
いずれは本土と掛け合うつもりであったが、まさか向こうから建議してくるとは、何という幸運。しかし、対ソ戦の鈴木大将もまた、同様の問題に悩まされているという。これには帝国の限界というやつを感じざるを得ない。
「そうなのかね?それは奇遇だな。ちょうどいい、じっくり話そうか」
「ええ。お願いしますよ」
そしてそれからおよそ半刻、ついに鈴木大将がやって来た。立て掛けたモニターに姿が映るだけという滑稽なことは、誰も触れてはならない禁忌である。
「申し訳ありませんね。鈴木大将、ただいま参りました」
「遅いです。はあ、まったく」
山本中将は言う。参謀総長というのも大変そうである。まあ知らんが。
「すまんすまん。そして、ええ、では、早速会議を始めましょうか」
「はい。始めます」
会議は唐突に始まる。
「まず、議題は、占領地における治安維持。それで間違いないでよね?」
皆、首を縦に振る。
「はい。もっとも、私の方で結論は出ておりましてねぇ、今回はご裁可願いたいと思い、はるばるペトロパブロフスクより、通信をかけた訳です」
「何なのですか?それは」
通信に距離など関係ないだろうと思いつつも、伊藤中将は思わず問うた。これはなかなかに気になる話だ。
「まず、短期的には大東亜連合からの警察力の大量投入、長期的には、現地人と軍を混合した治安部隊を作ることです。当然、それなりに強力な傀儡政府も必要となりますね」
「なるほどな。確かに、それならば何とかなりそうだ。だが、他に問題がないとも言えんだろう」
「ええ。その為の話し合いですから」
これは、一見有効な策と見えるが、間違いなくその他の場所に皺寄せがくるものだ。
「そうですねぇ、まずは短期的の方の話をしましょう。山本中将、それでいいかな?」
「ええ。構いません」
「よし。しかし、どうですか?これを今すぐに裁可して頂ければ、楽なのですがね」
こちらは誰もが考え込んだ顔をして動かない。
「大将、国内から警察を消せというのか?」
「はい。暫くの間は、そういうことになりましょう」
「仮にも帝国の国務大臣が、それを簡単に承諾すると思うかね?」
鈴木大将の案では、現地で統治機構が完成するまでの間、治安維持の為に警察を東西に送り込むことになる、だが、それでは国内の治安機構が全く空洞化してしまう。その任務がただの治安維持ばかりではなく、武装勢力等との衝突も考えられる以上、かなりの頭数を送り込む必要があるからだ。
「まさか。しかし、ここは認めて頂くしかないのですよ。このままでは、帝国は緩慢な死を迎えますよ」
「なっ、何を言う!帝国に敗北などあり得ないだろうが!」
とっさに叫んだのは例の陸軍大臣である。そして、これは渇れだけに限った話ではなく、一部(伊藤中将含む)を除き、寧ろ大半が彼を批判した。
「お静かに!よろしいですか!」
鈴木大将は叫ぶ。
「帝国は、残念ながら、長期戦に耐え得る能力を持ちません。よって、私は、帝国の為、短期決戦を主張しているのです。寧ろ、国内が手薄になる程度で、私の意見に賛同しない臆病者を、私は糾弾させて頂きます。以上」
一気に誰もが黙り込んだ。沈黙がその場を支配した。彼らは自らの愛国心の中途半端なことに驚き、或いは自らの愚鈍さを悟ったのだ。
警察予備隊が出来た時ってこういう感じだったんですかね。




