バイカル湖にてⅠ
崩壊暦215年1月2日07:21
バイカル湖は今やソビエト軍の最前線である。それより東の都市は全て放棄し、東方に投入し得る全ての戦力がここに結集された。また、欧州合衆国でナチスの勝利が確定している為に、西方から1個艦隊が増派されている。もっとも、南方軍は遊兵とせざるを得ないが。
戦艦ソビエツカヤ・ロシアが降り立ったのは、バイカル湖に浮かぶ湖上要塞の甲板である。その隣にはキエフも並ぶ。
この湖上要塞、実はというかお察しというか、水深などを考慮した若干の差異はあるが、五大湖に浮かんでいたそれとほぼ同じ設計は為されている。
かつてこの辺りはアメリカの傀儡、ロシア帝国の領土であった。諸国民の戦争では、バイカル湖は中国に対する要塞としてアメリカに重要視された。そこで五大湖湖上要塞の技術を持ってきたのが始まりだ。その後、文明が崩壊した後も湖上要塞は依然として浮かんでいた。図面が残されていたこともあって、ソビエト軍はこれを参考に湖上要塞を多数建造し、今に至る。
湖上要塞は広く、半ばレストランと言うべき食堂まで付属している。今日は、その一角にて、一級品の料理を味わいながら深刻な会談を行う者たちがいる。
「ジューコフ大将閣下、ロコソフスキー閣下は遅刻なさるようです。暫く待つと同時に、幾らかお話ししたいこともあります。まずは座りましょう」
そう言ってジューコフ大将に椅子を引いた男は、腐ったもの、曲がったものが大嫌いな真面目者、クズネツォフ少将である。また、キエフは到着しているのに、何故かロコソフスキー少将は降りてこない、そのことにクズネツォフ少将は既に苛立っている。
さてジューコフ大将も座り、ちょっとした話し合いが始まった。
「まずは、我がバイカル湖にようこそ、閣下。我ら湖上艦隊は、閣下を歓迎します」
「ありがとう。そして、こちらこそ、よろしく頼む」
そう、クズネツォフ少将は、バイカル湖に浮かぶ海軍艦艇全ての総司令官である。ソビエト軍においては、湖上要塞は海軍の隷下なのである。
「そして、まず我々が直面する問題は、指揮系統についてのそれです。従来、地面と空の連携は不要と考えられてきましたが、目下の世界大戦を鑑みるに、そのパラダイムは捨て去るべきであると愚考致します」
「つまり連携を取ろうということか」
「はい」
確かに、湖上要塞の重要性は低かった。結局勝敗は全て飛行艦隊が決し、湖上要塞の任務は軽く援護射撃を飛ばすくらいであった。それならば、各軍の連携よりも、水面の用兵に長けた人間を育てるべし、というのが共和国参謀本部のパラダイムであった。
だが、五大湖で日本軍が見せた奇策や、オホーツク上陸の件もある。ある意味空という二次元に膠着していた戦場観は、今や三次元に移行した。湖からの攻撃という事態への対応策は必要である。そしてその為には陸海の連携が必須なのである。
「端的に申しますと、私はこれより、陸軍将校になろうかと思います」
「は?いや、色々と突っ込みどころが多いんだが、何処から突っ込めばいいのかな?」
こういう時でもユーモアを忘れてはならない。それが戦士というものだ。
「まずは、その理由から、でしょうか。それが解ればおおよその疑念は払われると確信しています」
「じゃあ、聞かせてくれ」
「了解しました。端的に申しますと、私はこれから閣下の忠実な駒となるからです。閣下は私に命令を下して下さい」
「なるほど、理解した」
海軍と陸軍というのは根本的に違う樹上に位置する組織だ。例え海軍元帥であっても、陸軍に対しては、その二等兵に対してすら、命令する権限はない。双方への命令権を持つのは適切ではそれこそジュガシヴィリ書記長くらいである。名目上、共和国の全ての軍事力は彼を最高司令官としている。
「では、これから少将は私の部下となるんだな」
「その通りです。それが最も円滑に作戦を遂行する方法です」
「実に合理的だな」
「よく言われます」
クズネツォフ少将は海軍の総司令官。彼が誰かに膝を立てるということは、海軍全てがその者の指揮下に置かれるということと同義だ。それをこうも易々と、理想的な軍人であることに間違いはない。
「しかし、ロコソフスキー閣下、なかなか来られませんね」
「確かに。どうしたものか」
ここに来る予定だったロコソフスキー少将がどうあっても来ない。ここでキエフのお披露目をする筈だったのだが。何かあったのだろうか。




