パヴロフ少将Ⅰ
と、彼のデバイスに表示された報告の中に、興味深いものが一つ。
「『パヴロフ少将が面会を望んでいる』か」
その報告は、以前平壌で捕えた捕虜の内最も階級の高かった男、パヴロフ少将が、鈴木大将との面会を希望しているというものだった。
「仕事も飽きたしな。会ってやろう」
鈴木大将はサッと椅子を立った。正直なところ、大将に降りかかる書類の山こそが、彼にとって最大の敵なのである。これは敵からの緊急回避である。
その後、鈴木大将はパヴロフ少将の移送許可を出した。今からオホーツクに来てもらう訳だが、とは言え、平壌からオホーツクまで、近代文明が本気を出せば20分程度で着く。今から支度をしてもいいだろう。
帝国軍人らしく整った軍服を身に纏い、お気に入りの二角帽を被っていく。そういうところは多少無礼に行くのが鈴木大将であった。
さて、パヴロフ少将は和泉の会議室に招かれた。一応それなりの礼服を与えられて。会議室には数脚の椅子と一つの机が置かれていた。
「パヴロフ少将、まずは、そこにお座り下さい」
森大佐は優雅な仕草でパヴロフ少将を椅子へと案内する。
「ありがとうございます。では、遠慮なく」
パヴロフ少将は小さく腰掛けた。
「鈴木大将閣下は、もうじき到着されます。今暫くお待ち下さい」
「はい。そうしましょう」
しかし、どうも鈴木大将は現れず、気まずい沈黙がただただ流れる。それを打破したのは森大佐であった。
「少将閣下、閣下は、家族をお持ちですか?」
かなり唐突な質問である。
「家族は、います。妻と子供3人で、モスクワに住んでいますよ」
「なるほど。時折、その方々と会いたい、と、お思いはしませんか?」
パヴロフ少将は薄々と森大佐の真意を理解してきた。なるほど、恐らく森大佐は、パヴロフ少将が帝国に寝返る、そうでなくとも多少は情報提供してくれることの期待し、揺さぶりをかけているのだろう。
「確かに、そう思う時はいくらかありますが、もとより生きて帰らない覚悟ですから、こうして家族を思えるだけでも、私は幸運です」
「そうですか。ならば、よかったです」
「ああ、そ、そうですね」
パヴロフ少将は盛大に動じてしまった。森大佐は本当に良心から彼を心配してくれていたと?彼には理解しかねる感覚だった。
「では、今の、何というか、獄中の暮らしは、如何ですか?」
「そうですね、三食付きで、睡眠時間は6時間を保証、読書までなら何でも自由、動けないことを除けば、理想的と言っていい生活ですよ」
「それは良かった。帝国は、八紘一宇の観念に基づき、誰に対しても、平穏無事な生活が送れるよう、支援を欠かせませんから」
もっとも、それが帝国の国庫を圧迫しているのだが。そのせいで、寧ろ帝国臣民の方が貧しい暮らしをしているという試算すら出る始末である。
「しかし、それで国は回るのですか?私一人にここまでのものが与えられていて、それが捕虜全員でも一様なら、その資金は莫大となります」
「ええ。確かにそれも事実です。その為、帝国は国民精神総動員運動によって、辛うじて苦しい生産を維持しています。こればかりは、根本的な解決が難しい」
「では、いっその事、捕虜の扱いを下げてはどうですか?」
「それは断じて出来ません。帝国は、信義の国なのです。帝国に降伏すれば必ず安全な生活が得られると、全世界の軍人に信用してもらわねばなりません。それを裏切るような行為は、天皇陛下が最も戒められることなのです」
「なるほど」
つまり、上半分は軍事的な理由、つまり、敵が容易に降伏出来る心理的効果を生み出すというものだ。
もし敵が捕虜など取らない野蛮人であったなら、兵士は死に物狂いで抵抗するだろう。それは双方にとって損である。だが、帝国のような相手なら、敗北を悟ると同時に降伏も決断し易い。これは双方にとっての利益となる。
だが、下本文はプライドのようなものなのだろう。あくまで正義の国という面子は潰したくないらしい。どこぞの三枚舌国家や、どこぞの大正義民主主義国家とは別である。あくまでも、行動で示すのが帝国のやり方だ。
「ああ、閣下、鈴木大将閣下がお越しになりました。お話はここで終わりです」
「そうですか。楽しい時間でしたよ」
そして、パヴロフ少将の言葉が終わるのと、鈴木大将がドアを開けるのは、殆ど同時であった。




