イタリアでの大演説
崩壊暦214年12月27日10:56
イタリア王国が首都、ローマにて。
ミネルヴァ王女は王宮のバルコニーから人々を見渡している。王女様直々の演説とあって、人々はそれなりの関心を寄せているようだ。ただ、そこらで出店が開かれている辺り、真面目な雰囲気は全然ない。
王宮そのものは24世紀初頭に建てられたものだが、建材はあえて石とコンクリートであり、見た目では中世のそれと見分けがつかない。
それは醸し出す雰囲気は、かつてムッソリーニが人々に演説した時と似ていた。残念なことに、彼が観光都市として整備した方のローマは今や屍人の巣窟であるが。
昨日、ベルリンからとある決定が届いた。それを伝えるのもまた彼女の役目である。
「イタリア人の皆さん。こんにちは。イタリア国王エマヌエーレ陛下の子、ミネルヴァです。今日は、皆さんに伝えなければならないことがあり、ここに立っています」
ミネルヴァ王女の声は凛々しく、いつもの漫然とした口調は何処かへ棄て去っている。
「実は、私、政府の許可など取っておりませんので、手短に話したいと思います」
広場はざわつく。何とまあ殿下は現在進行形で法に触れていらっしゃると。だが、それに怖気付く民衆ではなく、「もっとやれ!」などと、ミネルヴァ王女を応援する野次も飛んでくる。
やはり、どこの国でも、王家の人気は高い。
と、そこで疑問が一つ。では、ここを囲んで警備している兵士は何者なのかと。声に出しはしない聴衆の疑問をしかし、ミネルヴァ王女は感じ取った。
「ここを警備している方々は、王室がお雇いした傭兵です。偶には古代ローマ式もありかなと思いまして」
確かに、帝国の段階に発展した古代ローマ帝国は、その軍事力を蛮族の傭兵に頼っていた。ただ、そのお陰で傭兵隊長オドアケルに西方正帝が廃されたのだが。
つまるところこういうことだ。この時代、イタリア王室はあくまでも名目上の君主であり、政治的な実権は持たない。だが、彼らの財産は莫大だ。国庫に頼らずともである。
王室が独自の軍事力を持つことなど、当然、禁じられているのだが、傭兵を雇ってはいけないという規則はない。これは、ただ単に、自分のお金で好き、なものを買ったに過ぎない。
「では、そろそろお話しましょう。私が話したいには、皆さんはもうお察しだと思いますが、ドイツ帝国のとの同盟に関しての話です。一言で言うと、皆さんには、これに加わるべく、政府を対して頂きたいのです。既に、ポーランドとスペインはこれに参加しています。私たちも、乗り遅れてはなりません」
このご時世に演説するのだ。そうだろうとは誰でも思っていた。故に、同様の類は見られなかった。
「それと、まだあります。これまで私たちは、これを、『ドイツ帝国との同盟』など、特に名前を付けて呼んできませんでした。ですが、つい先日、これの名前が決定しました。その名も『Europäische Reich』です。ドイツ語のライヒの解釈が別れますが、ここでは概ねヨーロッパ国という意味合いで使われています」
「Europäische」は「ヨーロッパの」という形容詞であるが、その修飾先の「Reich」は他の国にはない概念を表す。
通例では「帝国」と訳されるが、ヴァイマル共和制の国名にもライヒと付いていたことから、少なくとも帝国というのは誤解を招きやすい翻訳と言える。
本来の意味は単に、大きな面積を持った国、というものしかない。本来的に、それと政治体制やイデオロギーは関係ないのだ。因みにだが、れっきとした皇帝(kaiser)が統治するライヒの場合、これを「kaiserreich」と呼び、区別する。
つまるところ、現在の連邦制を廃止し、より強固な体制を造ろうという意志の現れである。
また、ドイツ式の統一を目指すという意味もある。そもそもかつてのドイツは、神聖ローマ帝国の名の下に、完全な主権を持った領邦国家が寄せ集まったもの以上の何物でもなかった。事実上、ここに統一国家は存在しなかった。
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だが、後に勢力を拡大したプロイセン王国により、ドイツは統一された。この歴史から、今のドイツの皇統は、プロイセン王家のそれを延長した先にある。
現在の欧州合衆国は神聖ローマ帝国のようなもの。まずは、ドイツ帝国をプロイセン王国とみなし、統一国家を作らねばならない。
そういうプロパガンダである。勿論、実際の欧州合衆国はそこまで酷くない。
「このヨーロッパ国によってのみ、私たちは、真の繁栄を手にすることが出来るのです。そして、それを導く国家社会主義ヨーロッパ労働者党は、我が国の英雄ムッソリーニの思想を継ぐ人たちです。ムッソリーニの国民である私たちは、これに加わらないわけはないのです!」
最後にミネルヴァ王女は力強く訴えた。ムッソリーニを生み出した国がファシズムを拒絶する筈がない。彼女に思惑は当たったようである。賛美の声が木霊した。
デモ隊が国会を占拠したのは、その日のうちの出来事であった。




