ヴィルヘルム5世との会談
「これが宮殿ですか。実物を見るのは初めてです」
東條少将は言う。
「私も、ベルリン生活で幾度と見ましたが、入ったことは一度もありません」
ヘス総統は応える。
彼らは今、ベルリンの外れに佇む広大な宮殿の前に立っている。外れとは言っても、所詮は人類の生活圏内。市の中心部から車で30分程の距離だ。
中世封建社会を彷彿とさせる黄金に煌めく宮殿は、さながら星空のようである。
パリのフランス皇帝の宮殿も、ウィーンのオーストリア皇帝の宮殿も、この壮麗さには敵わない。ドイツ皇帝こそが、欧州合衆国で最大の富を築いている。
だが、ヴィルヘルム5世は、ルイ14世のように散財に走ることはなく、その財を広く臣民に分け与えている。ドイツ帝国では、一種の社会資本分配システムが非公式ではあるが形成されていた。
ヘス総統はそんな皇帝に面会しようとしているのだ。皇帝の身辺の安全の為、同時に宮殿に入って良いものは10名までとされた。ここの皇宮警察は政府と一切関わりがないから、大統領官邸が消滅しようとも、平常運転を貫いている。
牟田口大尉がここの占領を試みたが、相手が無抵抗だと知るや、周囲を包囲するに留め、こうして宮殿内の主権は守られている。実際、宮殿の警備は皇宮警察に任せた方が合理的でもある。
謁見室の前には高さ十数mにもなる鉄扉が聳える。あのムスペルすら歩いて入れそうな扉だ。そしてやがて、扉はぎーぎーと音を立てながらゆっくりと開いた。
謁見室に入り、数m進んだところで、一行は赤と金のカーペットの床に膝をついた。
「皇帝陛下。私は、国家社会主義ヨーロッパ労働者党の党首、ジークルーン・ヘスという者です。この度は、僭越ながら、陛下にこのような貴重なお時間を賜りましたこと、非常なる感謝を申し上げます」
ヘス総統は、いつもの強気な態度を捨て、皇帝にひれ伏して見せた。他の者もそれに倣う。
「それで?何を言いに来たのだ?」
皇帝は無意味な賛辞を嫌う。あくまで彼は武断の人なのである。
「はっ。畏れながら、陛下には、我が党にお力をお貸してして頂きたく、ここに参った所存でございます」
「ほう。党。まずは、お前の理想を語るが良い。朕は、それで全てを決めよう」
「御意。我が党は、ファシスト党、ナチ党の流れを汲む国家社会主義政党であります……」
ヘス総統は全てを語った。ヨーロッパにファシズムを。ヨーロッパに統一を。ヨーロッパに正義を。ヒトラー大総統が為し得なかった事業を、今、為さねばならないと。
「それで良い。十分ぞ。そして、お前たちは、朕の威光を利用しようとしているのだな」
「そ、そんなことは……」
「隠さずとも良い。朕は元からその気であった」
「何と?それはどういう……」
皇帝はヘス総統の反応を見て半ば遊んでいるようであった。しかし、ヘス総統からすれば、一世一代の大勝負なのである。気が気ではない。ヘス総統は必死で皇帝の真意を確かめようとした。
「はあ。冗談の通じぬ奴だ。つまるところ、朕は、お前に力を貸してやると言っているのだ」
皇帝はそう言い切った。
「っ!ほ、本当ですか?」
「本当だ。嘘など吐かん」
その時、冷徹であった皇帝の顔がほころんだ。それは万人を包む優しい目であった。皇帝の器ここにありと、こういう時に言うのであろう。
「朕は皇帝である。皇帝が臣民の幸せを願わずして、何を願う。朕は帝国貴族の筆頭だ。政治屋どもとは違う。自らの身など顧みない」
「そ、それでは!」
「ああ。ジークルーン・ヘス。汝に組閣を命じる。また汝の政府は、欧州唯一の正統政府と見なす。今日より、ドイツ帝国は合衆国を離脱し、新たな国家の礎となろう」
皇帝はヘス総統を全面的に認めた。ヘス総統は組閣の大義名分を得たのだ。
ドイツ帝国は欧州合衆国を離脱し、欧州合衆国は公式に分裂した。この瞬間から、NSは、ドイツ帝国内では完全に正統な政府となる。ヘス総統の使命は、欧州合衆国の全ての領域を党の支配下に置くこととなった。
実質は兎も角として、これから始まる紛争は、内戦ではなく戦争である。ドイツ帝国と欧州合衆国の戦争である。
「誠に、誠に、陛下の尊大なる御心には、感服の念を禁じ得ません」
「そうか。だが、ここでそんなことを言っている暇はないであろう。すぐに宮殿を出、戦争の仕度をせよ」
「御意!」
ヘス総統は誇らしげであった。




