古典的な宗教
謎の何か。
人類の殆どは、どんなに隔絶された地域に住む部族であっても、大陸のど真ん中に住む部族であっても、ある共通点を持っていた。それは宗教である。
宗教を持たず、無神論を貫いた部族は皆無といっていい。遥か極東の倭国から、「新大陸」の人々まで、殆どの部族が固有の宗教を持っていた。
まず初めに、ここでいう「宗教」とは、キリスト教や仏教やイスラム教やヒンドゥー教のような新興宗教ではなく、最早その発生が先史時代に遡るような、人々の自然な信仰から生まれたものを指す。
さて、これら民俗宗教には、ほぼ全てのものに適用出来る共通点がある。それは、極めて人間らしく振る舞う神々が、人間とかなり近い距離に存在しているということである。
日本神道から、メソポタミア神話、ギリシャ神話、エジプト神話、北欧神話、アステカ神話まで、世界各地でこの特徴は良く見られる。まあ、逆に一神教に自然と至る方が不自然だ、と言ってしまえばそれまでなのだが、それは置いておこう。
この特徴が見られる理由は、現代科学においても明確には証明されていない。そんなことは恐らく、タイムマシンでも完成しない限り、不可能であろう。我々はただ仮説を述べることしか出来ない。
良くある、かつ最も合理的である仮説は、多神教は人間に本能的に備わっている精神を具現化したものである、というものだ。人間が普遍的に自然や家族に持つイメージが宗教になったのだという。
ただ、果たしてこの「イメージ」が本当に人類全てに共通するものなのか、そもそもどうしてそんなものが有るのか。その証明は未だにない。
では、こう考えてみてはどうだろうか。
神々のモデルとなった存在が実際に存在し、宗教というものは、その記憶を伝えたに過ぎないと。
そうすれば、神が人間の姿をしていること、時に人と交わること、およそ聖人君子のような性格の神が少数派であること、全てが説明出来る。
そう言えば、北欧神話は以下のようなことを説明している。
かつて世界には多くの神々や巨人や魔物が存在したが、それらの殆どはラグナロクによって死に絶えてしまったと。
ちゃんと本文と関係ありますから。




