独裁者としてⅢ
これで目的は完遂した筈である。しかし、ナーセル中将には新たな見ておきたいことが出来ていた。
「もっと西だ。西の果て、第34地区あたりに行こう」
「閣下、しかし、あそこは、スラムです。あそこに行くのは、お勧めしかねますが……」
ナーセル中将の言葉に、ナーセル中将は苦い顔をした。ナーセル中将が行こうと言った場所は、アフリカ最大とも名高い貧民街である。犯罪者が蔓延る街路で、身の安全など保証出来ない。ましてやカイロの支配者をそのような場所に連れて行けようか。
「そのくらいのことは、分かっている。だが、私は、カイロのことぐらいは、自分の目で見たいんだ」
「閣下……了解しました。絶対に、護衛達から離れないよう、お願いします」
カッザーフィ大佐はこれを渋々受け入れた。どうも、ナーセル中将は本気のようであった。こうなると、彼を止めるのは不可能だ。最後の妥協として、彼は、護衛を多くつけることにした。
「ああ。そうだな。では、行こう」
「はい。行きましょう」
そして両名は歩き出した。西のスラムは遠い。ざっと70分は歩いただろう。そして、彼らが進む度に全てが貧しくなっていた。中心にはあった高層ビルなどは皆無であり、あっても5階建てが限度である。道はゴミや廃材で汚く、辛うじて死体は転がっていなかったが、全く酷い町並みであった。
そして第34地区に入った時、それは頂点に達した。建物は無秩序に建てられ、異臭が漂ってくる。道路はゴミ箱と見紛う程のもので、マトモや店もなかった。
そこに闖入するナーセル中将らには、奇異の視線が集まった。彼は明らかにこの空間から浮いている存在だったのだ。だが、人々は比較的善良で、彼らに危害を加えてくることはなかった。
その時、一発の銃声が響いた。
「閣下!伏せて下さい!」
カッザーフィ大佐は叫ぶ。
「くっ、何処からだ!?」
「総員、戦闘用意!」
すぐに護衛らは、ナーセル中将を囲みながら、銃を四方八方に構えた。だが、何かが来ることはついになかった。全ては取り越し苦労であった。それは笑い話にもなるだろう。
だが、ナーセル中将が一番驚いたのは、住民の無反応であった。
銃声が聞こえても、一瞬周囲を見渡しただけで、平常通りの活動に戻ったのだ。また、怯えきっているナーセル中将らを、馬鹿を見る目で見物していた。彼らにとっては至って普通のことなのだろう。
「カッザーフィ大佐。ここは、これ程、なのだろうか?」
「恐らくは、そうでしょう。彼らにとって、死は最早身近なことで、何ら気にしてはいないのです」
「そうか……」
だが、ナーセル中将はこの現実に激しい怒りを覚えた。彼らの生きる環境は、軍人のそれより悪いのだ。そして、それが見出されることはなく、放置されていた。いや、自分が放置していたのだ。
「彼らには、せめて、普通の暮らしを送らせたいな」
「ですが、それには、資金が必要です。情だけで世界は動きません」
「いや、金はある。軍事費を節約すれば、かなりの金が浮くだよう。やはり、戦争は避けなければ」
ここに、ナーセル中将の不戦の新たな理由ができた。戦争していなければ、彼らに回せる金もある。軍は縮小し、余剰を彼らに回せば良い。やはり、自由アフリカと大々的に戦争するのは愚策だ。
「社会主義への第一歩ですね」
「ああ。資本主義者のように、弱者を餌にして成長するのではなく、社会主義として、平和共存への道を歩むのが、理想の独裁者だと、私は信じているからな」
「ごもっともです」
これを契機に、カイロ社会主義は一層の拡大を果たすことだろう。古今東西、戦争は革命を引き起こして来たが、それは下からの革命の場合である。
ナーセル中将率いる上からの革命ならば、寧ろ不戦がその発端となり得るのだ。
スラムを数時間回った後、ナーセル中将らはカイロ市庁へと戻っていった。




