欧州合衆国の姿
サブストーリーです。
欧州合衆国というのは、その名が示すように、欧州諸邦の連合体である。その構成諸邦について語ろう。
まず、これを構成する国家を列挙する。北から、デンマーク王国、スカンジナビア連合王国、イングランド王国、ポーランド王国、オランダ王国、ベルギー王国、ドイツ帝国、フランス帝国、スイス共和国、オーストリア帝国、スペイン王国、イタリア王国、ギリシャ帝国、の計13の国家が欧州合衆国を構成している。
まず総論から。
第一に、上に挙げた国家の殆どは、帝国や王国を名乗っており、その名にそぐわず君主を戴いている。しかし同時に、これら国家は全て立憲君主制であり、君主に与えられた大権はそれ程大きくはない。最も保守的とされるオーストリア帝国ですら、皇帝の権力は大日本帝国第二帝政(皇統が変わったという意味ではない)のそれ程度のものだ。
故に、国家の事実上の指導者は首相や大統領に相当する者達であり、君主制と合衆国は矛盾せず、それらを束ねるのもまた大統領なのである。
第二に、かつて数多く存在した世界地図に写らない程の小国の数々は、文明崩壊の時に消滅し、大国に併合された。つまり、上に挙げた国は、主要な国を挙げたのではなく、本当に全ての構成国なのである。もっとも、既に何もない土地を得ることを「併合」と表現するかどうかは微妙なところだが。
次に、これら国家の中でも、近代に著しい変化を経験した国を挙げ、紹介しよう。
まずはイングランド王国。これは、「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」の通称ではなく、正式な国名である。つまり、その他の王国はイングランド王国に完全に併合されたということだ。
理由は簡単であり、文明崩壊後の世界では、連合王国を構成する王国の主権を維持など出来ず、強力な中央集権体制が必要とされたからである。
次にスカンジナビア連合王国。これは、文明崩壊以前の「諸国民の戦争」前夜において、アメリカの侵略に対抗する為、北欧諸国が同君連合を組んだ形となる。だが現在では、フィンランド東部の主権をソビエト共和国に譲っている。
次にオーストリア帝国。これは、ハプスブルク家を皇帝に戴く国家ではあるが、20世紀に存在した方のオーストリア帝国とは全くの別物である。
これが形成されたのは西暦2159年のことである。その理由は、EUのそれと同じように、中欧を政治的、経済的に統一する為に、中欧諸国が互いに対等に作り上げた連合帝国である。また、その旗印として、かつてこの地を治めたハプスブルク家が担ぎ上げられた。
だが、時代が下るにつれ、自らをオーストリア帝国臣民とするナショナリズムが勃興し、かつてのオーストリア帝国の版図を再現しようとする運動が起こった。これによってオーストリア帝国は拡大し、かつてのオーストリア帝国と地図上では全く同じ姿を得たのだ。
次にギリシャ帝国。これは、かつてのギリシャ共和国を中心とし、バルカン半島諸邦とトルコを纏め上げ、文明崩壊後に発足した国家である。そして、オーストリア帝国と同じように、統合の旗印に使われたのは古代の東ローマ帝国とその帝冠であった。
当時のギリシャ政府は、首都をビザンチウム(イスタンブール)に遷し、パレオロゴス朝の末裔を探し出し、東ローマ帝国の復活を謳った。但し、西ヨーロッパやローマへの領有権を唱えることはなく、平和共存の道を選んだ。
国号は一応「東ローマ帝国」である。そしてこれは略称ではなく正式な名称である。
と言うのも、かつてのギリシャ人は「ローマ帝国」と名乗るのを流石に憚り、一段位を低くしたこの名を採用したからだ。故に「西ローマ帝国」なるものは存在しない。
だが、実際のところ、殆ど誰もがこれをギリシャ帝国と呼んでいる。
最後に、最も可哀想な役目を押し付けられたのがポーランド王国である。ポーランド王国は、その領土をソビエト共和国に取られた挙句、ドイツ帝国にもケーニヒスベルクを取られ、その領土は大幅に減少し、更にはソビエト共和国に対する盾の役目を押し付けられたのである。
歴史的に見ても散々な目に遭ってきたポーランド王国だが、その不運は未だに尽きなかったようである。
そんなこんなで、中世の多くの伝統を復活させた(ボナパルト朝フランス帝国辺りは微妙だが)ヨーロッパは、本来あるべき平和と共存を保ち、世界の極の一端を担っている。
ヨーロッパカオス。




