戦術的降伏
さて、2分後、ジューコフ中将は無事に逃げおおせたようた。ここのトップはパヴロフ少将である。
「閣下、どう、されますか?」
「どうするか、か。お前達、ここで、艦とともに死ぬか?」
パヴロフ少将はそう問い掛けた。もちろん、建前上は、それこそが軍人の名誉ではある。しかし、それに頷けるものは誰もいなかった。
「だろうな。ならばどうする?」
「ど、どうと言われましても……」
選べる道などない。勝てる見込みは絶無。ここで殉死するか、或いは。
「降伏という道がある。どうだ?」
艦橋は静まり返る。しかし、徐々に頷く者も出てきた。どんな屈強な兵士でも、彼らは人間なのである。死ぬのは怖い。
「よし。降伏しよう」
「か、閣下ぁ??」
「何をとぼけた顔をしてるんだ。さっさと動け」
「は、はいっ!」
威風堂々たる覚悟にて、パヴロフ少将は、降伏を決断した。士官らは動き出す。降伏の意思を伝える最上の方法は、放送で呼び掛けることだ。
音響センサーを最大感度にし、マイクの音量を最大にし、パヴロフ少将はマイクを取った。
「そこで爆弾を設置しているレディに告ぐ。我々は、降伏を決断した!然るに、直ちに現下の攻撃を中止し、話し合いの席に着かれよ!」
せっせと爆弾を置いていた彼女は、すぐにその声に反応した。
『おやおや、やっとですか。正直、面倒くさかったので、どうぞ、降伏しに来て下さい。殺したりはしませんよ』
とまあ、この世で信用出来ないものを上げたら、五本の指に入る言葉が返ってきた。だが今は、それに従う他にない。どうせ降伏しなければ死ぬのである。
「そこで待っていてくれ。我々が降りよう」
『はい。早くして下さいね』
パヴロフ少将はマイクを離す。
「ふう……じゃあ、行ってくるぞ」
「閣下お一人で?」
「ああ、そうだな。二人ばかりは書記が欲しいが、後はここに残れ」
こんな人数で行けば、確実に疑われる。やはり、不要な不安を招くべきではない。たったの3名の交渉団は、階段を降りていく。中途で見送ったのは、生き残りの白兵部隊であった。
そして一行は隔壁の前に来た。本来ならば今頃破られている筈の隔壁も、まだ健在である。ひとまずは上手くいったのだろうか。
「開けろ」
「はい」
重い隔壁が、金属の軋む音を立てながら、ゆっくりと上がっていく。そして、ゆっくりと彼女の姿が見えてくる。右眼が潰れ、体のあちこちに穴が開いている、正に化け物といった風貌であった。しかし、今回ばかりは、化け物も静かにしていた。
「こんにちは。先日、大日本帝国に雇われました、クラミツハと申します」
クラミツハは恭しく礼をした。
「あ、ああ。こんにちは。ソビエト共和国国家人民軍のパヴロフ少将だ」
日本的なお辞儀には余り慣れないが、一応、真似をしておいた。
「それで、降伏するのですか?」
「ああ。そうだ。これ以上戦っても、我々に勝ち目はない」
「賢明なご判断です」
こう見ると、本当にただの淑女だ。しかも、血の気の多い兵士よりも、圧倒的に知性的も見える。これが百をも超える兵士を殺したとは、とてもそうは思えない。
「そうですね、まず、降伏は受諾しましょう。但し、条件があります」
「何だ?」
それを決める為にここに来た。
「まず、この艦の制御は、我々が貰います」
「ああ」
当然の要求だ。
「そして、あなた方には、少々、ソビエト艦隊を混乱させてもらいましょう」
「どうやって?」
「ソビエト艦隊に偽電を流し、暫く動きを止めてください」
「我々に、ソビエト艦隊を潰させるのか」
「はい。さもなくば、皆殺しにしてからするまでです」
クラミツハは、やはり悪魔か何かだ。極東艦隊の総旗艦であるソビエツキーソユーズに彼女が来たのも、そういう訳なのだろう。だが、同時に、それをことわりという選択肢はさらさらない。
「わかった。要求はそれだけか?」
「ええ。後は、確認しておきたいことなどは?」
「ひとつある。他はどうなってもいいが、乗組員の命だけは保証してくれ」
「命。なるほど。いいでしょう。ソビエツキーソユーズの乗組員には、一切、手を出しはしません」
「ありがとう。以上だ」
不要なことを要求し、交渉が決裂してはたまらない。相手からすれば、いつでもこちらを皆殺しに出来るのだ。交渉は決して対等なものではなく、いわば、こちらの命乞いのようなもの。これが通れば目的達成なのだ。
「はい。では、ひとまずは艦橋の皆様にはそこにいてもらって、他の皆様には、後方の区画に行ってもらいましょう」
「わかった」
クラミツハの指示で、乗り物の大半は、艦の後ろに押し込められた。また、クラミツハは艦橋へと登っていく。クラミツハは、ジューコフ中将の席を分捕った。
「ああ、そうそう。これから帝国軍の皆さんが来ますので、不要ないさかいは起こさないようにして下さいね」
「帝国軍?」
暫くすると、クラミツハが言った通り、日の丸の機動装甲服を纏った兵士がやって来た。間違いなく日本軍だ。
かくして、戦艦ソビエツキーソユーズは敵の手に落ちた。




