崩壊した陣地
だが、逃げると言っても、あんな化け物相手では、逃げようもない訳である。見るに、数秒に一人のペースで人が死んでいる。
「そこで止まれぇ!」
ある兵士は化け物を止める為、時間を一秒でも稼ぐ為、それに飛びかかった。歩兵用の小銃が効かないことなど、とっくに知れているからだ。
「おやおや、残念な方ですね」
しかし、化け物はヒラリと身を翻し、倒れ込んだ兵士の心臓に銃を突きつけた。
「後ろから。映えませんがね」
そう言ったのは、既に引き金を引いた後だった。床に倒れ伏せたまま、兵士は死んだ。床に鮮血が広がっていった。
この化け物は、余りにも、強い。その見た目は、華奢とも言える体型の女だ。しかし、いくら屈強な兵士が束になってかかろうとも、いとも簡単に全てを殺す。
その機動装甲服が特殊というだけではない。確かに、銃弾が通らないというのは大問題だが、それ以上に、身のこなしが悪魔的だ。
ヤケクソに肉弾戦を挑もうと、その拳が届くことはない。また、例え掴みかかれても、ゴミのようにその体を吹き飛ばされる。
死屍累々の有り様に、抗える者はなかった。
ある者は、対物ライフルを構えた。当然、化け物は彼を撃つ。しし、彼は狙いを外さなかった。
「当たれ!」
「うっ」
化け物はよろめく。弾丸は、化け物の体、それも左胸を貫いたのだ。そして、まもなく兵士は倒れる。
「死んだ……か…?」
兵士は、か細い声で戦友に尋ねた。
「い、いや、死んでは、いない」
「失敗、か……」
そう言い残して、兵士は死んだ。だが、彼は決して失敗してはいなかった。化け物の体には綺麗に穴が開き、背中からも化け物の傷を見れた。明らかに、その穴は、心臓を抉った筈である。
「残念ですね。私の心臓は、そこにはないのです」
化け物はそう言った。化け物の動きが鈍ることはなかった。兵士達は、ただ、化け物に慄くことしか出来なかった。
さて、そんな地獄の一丁目で、化け物は何かを見つけたようだ。
「そう言えば、これがありましたね」
化け物は、閃いた、と言わんばかりに声を上げると、足元に落ちている重機関銃を手に取った。それは、まともな人間ならば、持ち上げることすらやっとの代物である。しかし、この化け物にとっては精々、両手持ちの銃としかならない。
「では皆様、まとめて、サヨウナラ」
化け物は、引き金を無慈悲に引いた。重機関銃弾の前には、機動装甲服など紙屑にしかならない。命からがら逃げようとしていた兵士も、背中を貫通してきた銃弾を見ることとなる。風に凪がれる稲穂のように、兵士は、揃いも揃って倒れていった。
虐殺の開始よりおよそ10分。少なくとも、生きている人間は化け物しかいない。
逃げ延びた兵士65名。そのうち32名は檣楼への駆け込んだ。これが、ジューコフ中将に残された最後の戦力である。
檣楼への隔壁は閉鎖したが、重火器は尽く喪失し、兵士もおよそ六分の一。言ってしまえば絶望である。
「閣下、お逃げ下さい。ソビエツキーソユーズはもう持ちません」
「し、しかし……」
パヴロフ少将は、ジューコフ中将に、戦艦ソビエツキーソユーズの最後を宣告した。
「ヘリを手配します。閣下は、それでお逃げ下さい」
「じゃあ、少将は、どうするんだ?」
「私は、ここに残ります。私はあくまで、第六艦隊の総司令官。しかし閣下は、極東艦隊の総司令官です。ここで死んではなりません」
パヴロフ少将に逃げる気はない。断固たる意志を以て、彼は、ジューコフ中将にそう告げた。確かに、そもそも、極東艦隊の総司令官たるジューコフ中将がここにいるのは、いわば、偶然に過ぎない。ここに留まる必要もないのだ。
「わかった。どうか、死ぬなよ」
「もちろんです。閣下」
ジューコフ中将及び、極東艦隊直隷の士官らは、艦橋を後にした。他方、生き残った地上部隊が艦橋へと上がってきた。
「少将閣下、最早、万策尽きました」
「ああ。わかっているさ」
兵士が手に持つ自動小銃、それと、腰に提げたグレネード。ここに有る武器はそれくらいだ。陣地を作ろうにも重火器はなし。
戦場でなければ、上官にこんな言い訳はしないだろう。兵士ならば何とかする道を見つけろ、と怒鳴られるだけだからだ。だが今は、誰もがそれを事実として受け入れている。
隔壁が破られれば、ここは数分と持たないだろう。




