最終防衛線
「あいつは?」
ジューコフ中将は尋ねる。
「廊下を悠々と歩いています」
艦内は全てセンサーによってモニターされており、全ての物体の動きが三次元的にここへ伝わってくる。あの化け物は、隔壁に爆弾を仕掛けて破壊しては、真っ直ぐに艦橋を目指している。
「檣楼の防備は?整ったか?」
「はい、閣下。計画通りに全て設置し終わりました」
重機関銃16丁、対物ライフルも40丁はこしらえた。狭い廊下に向け、これ程の火力が集中するのだ。例えいくら頑強な装甲であっても、これならば吹き飛ばせるだろう。
後は、あれが来るのを待つのみである。
「敵、第2区画に侵入しました」
「わかった。よく敵の動きを観察しておけ」
「了解しました」
残る隔壁は1枚のみ。一つ壁を隔てれば、そこには敵がいるのである。しかし、ここで、化け物は妙な動きをし出した。
「あれは、赤外線カメラか何かか?」
「はい。恐らくは」
化け物は、ひどく人間らしい動作で望遠鏡のような何かを取り出し、隔壁を見ている。まあ十中八九、こちらの出方を探っているのだろう。
しかし、それだけでは済まなかった。
『そこで私を見ている皆様、少々残念ですが、ショーはお見せ出来ません』
突然、化け物は、ここに話しかけてきた。どう考えても、明らかにこちらが監視していることを知っている。
『さようなら』
と、化け物が言った瞬間、三次元データが次々と欠け出した。みるみるうちに、こちらからは見えない領域が広がっていく。そして、数分の後、モニターは真っ暗になった。この化け物は、ソビエツキーソユーズのセンサーの位置をも把握していたのだ。
「くそっ。悪魔が」
「閣下、落ち着いて下さい。前線に警告を」
別にそれほど荒れてはいないのだが、パヴロフ少将は諫言を寄越してきた。
「わかった。そうしてくれ」
今は、これしか出来ることはない。だが、例え敵が見えなくても、重機関銃弾の嵐ならば、まず、外れることはない。心配することもない筈だ。
そこからは暫く、双方ともに動きはなかった。先程まではあれ程暴れまわっていた化け物であるが、それが急に大人しくなったのだ。
まさか、爆薬が切れて隔壁を破れないのか、とも思われたが、あれがそんなバカをしでかすとも思えない。つまるところ、不安が増すだけだ。
そして数分後。
「隔壁、崩れました!」
何の前触れもなく、隔壁を崩れ落ちた。ジューコフ中将は、モニターに目を凝らす。モニターの向こうでは、ジューコフ中将が命令するまでもなく、見えない化け物への攻撃が始まっていた。
まずは重機関銃で動きを止め、後に対物ライフルで確実に仕留める算段だ。
「さあ、どうなった?」
攻撃も一段落。およそ廊下は弾痕だらけとなった。ここからは見えないが、あの化け物も傷を負ったことだろう。
「閣下、その、部隊からは、敵の姿は見えないとの報告が……」
「見えない?ちゃんと探したのか?」
「はい」
いや、そもそも廊下の何処に隠れられるのか。部隊が探していないのならば、つまり、化け物はそこにはいないということだ。
だが、同時に、そこ以外にあの化け物は存在し得ない。他の区画は完全にモニターされており、センサーが壊された様子もない。化け物は、センサーが壊された区画にいる筈なのだ。
と、ここで、部隊上空のセンサーが一つ、動作を停止した。
「ん?なん……だ?これ?」
部隊の頭上に、一本のワイヤーが走っている。それはちょうど、センサーが壊れた箇所へと伸びていた。
そして、続いて何かが飛んできた。まるで空中ブランコでもするかのように。
「閣下!」
「な、あいつか!」
「陣の中に飛び込まれました!」
ワイヤーをブランコの鎖のように使い、見事に部隊の真ん中に着地したのは、まさしく、あの化け物であったのだ。
「閣下!彼らに接近戦は不可能です!」
「閣下!撤退を!」
重機関銃を持っていても、対物ライフルを持っていても、最早それは無用の長物である。こんな接近戦では、それらは何の役にも立たない。
兵士が次々と死んでいく。一切為す術もなく、草刈りでもされるように倒れていく。それは、ただの虐殺であった。
「撤退を許可する!各々指揮官の判断でもって、持ち場を離れろ!」
だが、撤退するとは言っても、何の作戦もない。既にあれへの有効打を失なった以上、出来ることと言えば、逃げだけなのだ。一言で言うと、終わっている。そう言うしかないだろう。




