海原を揺蕩う者達Ⅰ
「たゆたう」ですね。
ここは太平洋の真ん中である。東條少将以下の残存艦隊は、ちょうどマゼランが通った道筋を逆走し、ひたすらに日本列島から逃げている。
これが叛乱者の末路なのだろう。大海原を大艦隊で航行しようにも、それは逃避行に過ぎない。
この艦隊に、大日本帝国と闘う力はない。日本国に逃げ帰ろうとも、最早意味はないのだ。そして、残された最後の手段は逃走である。
艦隊が壊滅したとなれば、じきに日本国は制圧されるだろう。残念ながら、地上で多少抵抗したところで、なんら効果はない。そして艦隊には、彼らに差し伸べる手すらないのである。
だが、東京での戦いが全くの敗北続きであった訳ではない。そもそも、この大和が戦列に残っていること自体、小さな勝利が故である。
そんな勝利の立役者、コウと佐伯少尉の二人組と、陸戦部隊の指揮官牟田口大尉は、艦橋へとやって来た。彼らの会合は一見、他愛もない団欒とも見えるだろう。だが、それはしかし、この世界の本質を穿つ会談でもある。
「まず、少将閣下、こいつらが何者なのか、教えて頂けますか?」
牟田口大尉は、隣の二人組を指しながら言う。少女を肩車した一介の兵士が、屍人をバッサバッサと凪ぎはらっていたのである。これは、尋常ならざる光景であった。その時は突っ込む暇もなかったが、今思い出せば、全く意味がわからない。
「そうだな、まず、二人とも、正体を明かす用意はいいか?」
東條少将は、コウと佐伯少尉に問いかける。二人は、静かに頷いた。そして東條少将は遂に意を決した。
「牟田口大尉、一言で言うと、そこの少女、コウは屍人だ」
「し、屍人?しかし、どう見ても可愛らしい女の子としか見えませんが……」
「コウ、君の腕を見せてやってくれるか?」
「うん。いいよ」
状況を読み込めていない牟田口大尉を横目に、冷静沈着な三人は話を続けていく。牟田口大尉の前に立ち、屍人の少女コウは、小さな軍服の上着を脱ぎ、その右袖をまくっていく。
服の下から、およそ人間のものとは思えない腕が露になっていく。そんな怪奇を、牟田口大尉はまじまじと見つめている。
「こういうことだ、大尉。まず、これは理解してくれたか?」
「は、はい。しかし、これはどうして、これは、人間なのですか、それに、これは……」
「確かに、こんな腕を見せられたら、困惑もしますよね」
佐伯少尉は言う。コウと初めて会った時を思い出せば、そう言えば、彼女に銃を向けたのであった。
佐伯少尉は、その後のコウとの思い出話を語り出した。コウは屍人の肉体を持つが、意識は完全に人間のものである。牟田口大尉は、素直に納得してくれた。
「だが、では、少尉が屍人相手に無双をしていたのは、いったい何なんだ?」
「それはですね、この子はどうも屍人からは一切攻撃されないようでして、それを使わせてもらったのですよ」
あらゆる屍人は、まるでコウが見えないかのように振る舞った。コウがいくら刀を突き付けようと、実際に刺さなければ、反応もなかったのだ。また、それは周囲の人間にも同様のようで、コウとくっついていれば、佐伯少尉が襲われることもまたなかった。これを実戦で使おうとして思い立ったのが、コウを肩車しながら戦うという戦術である。
「大胆なことをするな、お前」
「ただの咄嗟の思いつきですよ」
「なるほど、ま、そういう将官が軍には必要なのかもな」
「そ、そうでしょうか……」
予想外の言葉に、佐伯少尉は気恥ずかしそうに肩をすくめた。コウは、よくわからないとばかりに、呆然と二人を眺めていた。まあ、とまれかくまれ、牟田口大尉の疑問は解消された訳である。
「そう言えば、と言うとなんだが、それなら、大和中の屍人を殺ってくれたのも、お前らなのだな」
「はい?私達は、艦橋に一直線に向かいましたが……」
「そう、なのか?じゃあ誰が?」
牟田口大尉は、艦橋の屍人を殲滅した後、艦内に残る屍人の掃討へと向かった。だが、実は、艦内に屍人は残っていなかったのである。全て刃で貫かれて殺されていたから、それはコウと佐伯少尉の手柄だと思ったが、それも違うらしい。
「少将閣下、ご存知ですか?」
「いや。私もてっきり、この二人がやってくれたものだと、気にしてすらいなかったんだ」
東條少将も知らないらしい。つまり、艦内の屍人は、気づいたら皆死んでいたのである。寧ろこの方が不気味であるし、現実的な脅威ともなり得る。
「総員、この、屍人を殺った誰かを探せ。味方だろうと敵だろうと、それだけの能力を持った者が艦内にいるということだ。念入りに捜索せよ」
東條少将の号令で、艦内は再び慌ただしくなってきた。だが、すぐにこの「誰が」は見つかるのである。




