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終末後記  作者: Takahiro
プロローグ
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この国の歴史

読まなくても普通に話はわかると思いますが、一応。

帝国国定教科書「歴史」より抜粋


西暦1941年、東条英機首相は、米国からの屈辱的な「ハル・ノート」を筆頭とする要求を受け入れ、三国同盟の解消、支那からの撤兵を行いました。


1945年、ヒトラー総統率いるナチスドイツがソ連に降伏し、ドイツの領土はソ連の管轄下に置かれました。


1945年、アメリカ、ソ連を中心として国際連合が誕生しました。しかし、その実態は両国による世界の私有化の口実でした。


1946年、ドイツ民主共和国が成立しました。また、これ以降、米ソ冷戦が激化し、独仏国境は鉄のカーテンと呼ばれました。


1941年以降の我が国では、相次ぐ不況、不作により経済が停滞し、「失われた15年」と呼ばれる時代に突入しました。


餓死者は100万人を超え、失業者は700万人を数えました。


しかし、あくまで東亜の赤化を防ぐ事を求める帝国政府は、国共内線で蒋介石率いる国民党を支援し、中華民国の安定を助けました。


1944年には、蒋介石総統は共産党の壊滅を宣言。また、日華共同宣言を発表し、両国の友好と同盟を確認しました。


1956年、インドネシア独立戦争の勃発を発端に東亜の各国で独立戦争が発生し、この年は「アジアの年」と呼ばれました。


しかし、1960年、帝国海軍とフランス海軍との衝突から、フランスが帝国に宣戦を布告し、イギリスもすぐに帝国に宣戦布告しました。


これに対し、中国政府は両国に宣戦を布告し、大東亜戦争が勃発しました。現地住民の支持を得ていた帝国軍は連戦連勝を重ねましたが、イギリス領インドの攻略に難航。


状況を打開するため、帝国はソ連のスターリン書記長に協力を要請し、インドでの権益を条件に協力を得ました。


1962年、ワルシャワ条約機構軍はフランスに侵攻し、フランスのマジノ線の攻略を開始しました。1963年、パリは陥落し、フランスは降伏しました。


また、インドのイギリス軍は降伏しました。これをもって、帝国は大東亜戦争での勝利を宣言しました。


1964年、アメリカが参戦し、イギリスとともにパリの奪還を開始しました。同時に、シベリアへの攻撃も開始しました。


1965年アメリカ軍はパリを奪還。


1967年、アメリカ軍はベルリンを陥落させ、ソ連は和平を受け入れました。


これ以降、アメリカによる世界の私有化が加速していきました。イギリス、フランスはアメリカの属国となり、ソ連は超大国の地位を失いました。


1983年、ソ連が崩壊しました。


2172年、アメリカ支配からの脱却を掲げ、帝国、イギリス、フランス、ロシアは人類解放戦線の樹立を宣言し、アメリカに宣戦を布告しました。




最後の方が雑になるのも意味があったり、なかったり。

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