八紘一宇の旗印
一応言っときますが、「はっこういちうのはたじるし」です。僕としては、結構お気に入りの回です。
大和の艦橋に、東郷大将は入る。
乗組員の間では、いつも通りの業務が行われている。大和は、周辺の戦闘指揮所としての役割をも担えるのだ。もっとも、今は大したものではない事務仕事が中心だが。
しかし、東郷大将は、その仕事に入らない。艦長は一段上の席に陣取る訳だが、東郷大将は、そこから、眼下の乗組員を見つめる。
乗組員も、その様子に気がついたようだ。作業の手が遅まり、視線が東郷大将に集まる。
そして、東郷大将は、深呼吸をすると、静かに話を始めた。
「諸君。傾注。一度、作業を止めたまえ」
何事から思いつつも、乗組員は手を止める。そして、完全に視線が東郷大将に集まる。艦橋は、虚無に包まれた。
また、東郷大将は、艦内へと放送も開始したようだ。
「大和」
「はい」
「大和の一切の対外通信を遮断せよ。一切の電波を外へ漏らすな」
「了解しました」
その瞬間、全ての通信がダウンした。今、外への通信は不可能となった。その理解し難い命令に、艦橋はざわめく。
だが、更なる東郷大将の言葉に、皆は耳を傾けた。東郷大将は、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「諸君。先のジャカルタへの核攻撃。あれを赦せるか?」
突然の質問に、誰もが何も言えなかった。質問の意図もよくわからない。
静寂の中、最初に口を開いたのは、東條中佐であった。
「その、あの核は、必要悪でありました。例え幾万の人々が犠牲となっても、それで幾百万の命が救えるなら、それは、国家の取るべき道かと」
確かに、最も多くの命を救いたいならば、これは最適な行為であった。
「そうか。恐らく誰もが、そう思うだろうな。だが、それは正しいのか?例え相手がテロリストでも、平和的な手段を最後まで試すべきではなかったのか?」
「そっ、そう言われましても……敵は降伏しなさそうでしたし……」
「それは、わからん。我々は、相手の意思を確認はしなかった」
東郷大将の突然の変わり身に、東條中佐は上手く言葉が出せない。平常においても人道主義者の東郷大将だが、今回は何か別のものを感じる。
「ですが、それは軍令であって、覆さざるものです」
「そうだ。だが、これは正しい行いだったかと聞いている」
東郷大将の目は、これまでに無いほど鋭い。今回は、軍令にすら疑いがかかっている。東條中佐は、今にも逃げ出したい心地だ。だが、これに応えない訳には行かない。
「人道の視点から見れば、悪です。間違いありません」
「それで、この軍令は正しかったか?」
そこまで来るかと、東條中佐は尻込んだ。そろそろ、侵さざる領域にまで、話は進んでいるのではないだろうか。
「軍令は正当な手段と正当な権限によって出されたものです。つまり、正しいです」
「そうだな。中佐は正しい」
東條中佐は胸を撫で下ろす。しかし、その後に更なる爆弾が飛んでくるとは、思わなかった。
「では、こうなる。核攻撃は、非人道的である。悪だと。いかなる言葉で飾ろうが、人類の正義に対する反逆だと。しかし、それを命じた軍令は間違っていないという。軍令は正義だと。ここ2つは相反する。では、どちらが正しいんだ?」
これは、余りにも究極の選択だ。人道か軍令か。それを選べと。無理難題に過ぎる。だが、東條中佐はかろうじて答えを導いた。
「それは、人道、であります。私は、軍人となる時、誓いました。『我ら、帝国の御剣、帝国の御盾となり、遍く人々の安寧泰平を守り、八紘をもって一宇と為さん』と。なので私は、軍令よりも、人道を優先すべきだと考えます」
それは、帝国軍人の誓いである。「八紘」即ち世界を、「一宇」即ちひとつの家のようにし、全ての人々が仲良く暮らせるようにせよと。それは、八紘一宇という言葉で表される。
八紘一宇という言葉は、20世紀の初頭に作られた言葉だ。古くは、ナチスドイツが台頭していた頃、ユダヤ人救済の理論的根拠とされた。その後、東亜の独立戦争に協力したこともまた、この精神に依るものである。また、国連や大東亜連合に関しても同様だ。
そこには、軍令への服従は含まれていない。故に、帝国軍人は、この八紘一宇の精神に従い、人道を守るべきである。
「そうか。わかった」
その瞬間、東郷大将の表情が穏やかになった。それは、いつもの東郷大将であった。だが、更に東郷大将は、不気味な微笑みをも浮かべたのである。
「そうか、そうか。中佐がそう言ってくれて、安心した。諸君らも、異論はないな?」
東郷大将は、周囲の者にも問いかける。ここにいる軍人も皆、帝国軍人として誓いを立てたものである。例えそれが建前でも、誓いは誓いだ。異議を唱える者は誰一人いなかった。
「結構。では、八紘一宇の精神を現す為、ここに、私は発表しよう」
ここまで言って、何が飛び出してくるのかと、乗組員らは身構える。だが、そんなものでは済まない衝撃が、彼らを襲う。
「これより、我々は、帝国政府に対し、叛乱を起こす」
『『『えっ???』』』
東條中佐も、ただ愕然とする他なかった。ただ一人を除き、艦橋の誰もが、その言葉を理解出来なかったのだ。
400年も経てば宣誓も変わるんですよ。