交渉決裂
『それは、認められない。我々は、自由を求めると、何度言った?』
最初は落ち着いていた放送の声も、次第に怒気を帯びてきている。最早、交渉は決裂のやむなきに至ったと言えるだろう。
当初の要求であった大東亜連合の解体は取り下げられ、要求はおとなしくなってはきたが、依然としてその要求は認め得ないものである。具体的には、経済統制の完全撤廃、現在帝国軍の元に纏められている各国の軍を完全に独立させること、などである。
「奴ら、本気で言ってるんですかね?」
牟田口大尉は、半ば呆れながら言う。牟田口大尉には、テロリストの要求は理解出来ない。そして、この不毛な論争には、誰もが飽き飽きしているのだ。
「恐らく、奴ら自身は本気だろうな。全く、こうも考えなしに動くのがいるから、アメリカに付け込まれるんだ」
この、帝国始まって以来の大規模なテロは、アメリカの手引きで起こされたということは確定している。アメリカは、侵略の理論的な根拠がないが故に、同様に根拠を持たない過激派を支援するのだ。
東條中佐が呆れている理由は、テロリストの大東亜連合への理解の無さについてである。何故に大東亜連合に置いて中央の権限が強大かと言えば、それは諸外国の脅威に経済的、軍事的に対抗する為である。
この時代、一国のみで生き残るなどというのは、不可能そのものである。殆どの都市で必要な資源は足らず、半数以上の都市は食料を自給出来ない。故に、強力な政府が各々の都市の産業を管理し、最適な形で物資を流通させねばならないのだ。
だが、テロリストはそれを分かっていないらしい。その発言は、安っぽい自由を求めて自国を破滅させるつもりとしか思えない。
「そう言えば、私にこのデバイスを渡した男は、どうしてるんでしょうね」
「と、言うと?」
「あいつは憎らしいやつでしたが、明らかに知性と品性を感じられました。あいつが幹部クラスの人間ならば、こんな馬鹿なことはしない筈です」
牟田口大尉が持つデバイスを渡した男は、放送に馬鹿らしい文句を垂れる声とは違い、理性的な男に見えた。彼ならばこんな不毛な論争はしない筈であると、牟田口大尉は確信しているのだ。
「そうか。なら、そいつが交渉を纏めてくれると、信じようか」
東條中佐は、薄ら笑いで応える。
そんな時、再び放送が鳴り響いた。
『我々は、妥協できるところまで妥協した。これは、最後通告だ。既存の大東亜連合の一頭政を廃し、新たな自由共同体を編成することを、日本政府に同意させよ』
ついに敵は、最後通告を仕掛けてきた。しかし、内容は変わらず、これまでの繰り返しだ。
「ふざけたことをしてくれるな。で、あれば、こちらも最後通告を出すとしよう。帝国は、諸国民の民意を精確に取り入れる為、大東亜会議の開催を認める、とな」
「了解致しました」
実際の所を言うと、東條中佐も引くに引けない状況なのだ。テロリストを騙して人質を救出した後、テロリストを逮捕、殺害するというのは、普通であれば十分にあり得る選択肢だろう。だが、今は状況が特殊なのだ。
まずもって、テロリストは大阪中に響き渡る放送で会話を続けている。即ち、軍の動きはマスコミの筒抜けなのだ。そんな中で大東亜連合の再編を認めると、嘘でも言ってしまえば、東亜の安定は崩れかねない。反日勢力は、ここぞとばかりに攻撃を仕掛けてくるだろう。ならば、ここの100人を犠牲にした方が、功利性の原理からして適切である。
『これにて、交渉は決裂した!我々は、最早逃げず、人質も逃さない!我々は、最後の一人になっても、その終焉まで、闘い続ける!日本人よ、さあ、かかって来い!』
珍しく間を空けた返答は、いつにもなくシアトリカルであった。そして、それは東條中佐の努力の失敗を意味した。最早、テロリストを殺すしかない。
同時に、デバイスは機能を停止した。
「終わったな。ふう。大阪に展開中の全部隊に告ぐ。これより、テロリストを実力をもって鎮圧する。ついては、攻撃の準備をせよ」
東條中佐は、テロリストへの攻撃を指示する。
「牟田口大尉、突入はお前の班だ。頼んだぞ」
「もちろん、必ずや任務を達成しましょう」
牟田口大尉とその部下は、銃と機動装甲服を用意する。そして、ビルの入り口に向かっていく。空では、数機のヘリがビルを囲み、攻撃の準備をしている。
「さあ、行くぞ。目標は、乙目標の叛乱の鎮圧である。皆殺しではないからな」
「了解」
再び、ビルの正面玄関の前に牟田口大尉は立った。