解放交渉Ⅱ
牟田口大尉は部下のもとに戻った。
「それが、例のデバイスですか」
「そうだろうな」
牟田口大尉の手には、何も写らないデバイスが握られている。だが、それは突如光を放った。
「おっ、どう来るかな」
デバイスには、ただ文字を打つ欄とキーボードのみが出てきた。それは、何世紀か前のパソコンのようだ。本当に、それ以外の操作が許されないようである。
『デバイスは渡ったようだな』
再び、都市中に響き渡る放送が聞こえる。
『そこに、諸君らの返信を打て。ひとまずは、Yesと応えてもらおうか』
テロリストは、きっちりと動作確認がしたいらしい。雑なテロにしては、律儀な男だ。
牟田口大尉は、キーボードで「Yes」と打つ。それと同時に、声が響いてきた。
『宜しい。これで、交渉は始まる』
打っただけで、内容は伝わるようだ。テロリストも、なかなか頭が回ると見える。やけに丁寧なテロリストに、牟田口大尉はどこか憎めないものを感じた。
『さて、我々が要求するのは、先ほど述べたように、東アジアの解放、もっと言えば、大東亜連合の解体と再編成だ』
声は、早速過激なことを要求してきた。確かに、同じ国の民が全て同じことを思っている訳はなく、帝国を憎むものもいるだろう。だが、この要求は些か許しがたいものである。
「東條中佐はまだなのか?」
「もうすぐなはずで……あっ、あの車です」
ちょうど交渉を始めたタイミングで、東條中佐がやった来た。なんとも絶妙なタイミングだ。
東條中佐は装甲車から降り、牟田口大尉のもとに歩いてくる。
「中佐殿、これが件のデバイスです」
「大尉、こいつは信用できるのか?」
「いえ、全く。ですから、中佐殿は近寄らないで下さい」
実は、このデバイスが爆弾か何かではない保証などないのだ。一応、テロリストが合理的に行動する限りは爆発などはしない筈だが、万が一を考えれば、最高責任者の東條中佐を近寄らせる訳にはいかないのだ。
デバイスを直接操作するのは、あくまで牟田口大尉である。
「どうされますか?」
「そうだな、とりあえず、テロリストに要求の根拠を問おうか」
「了解致しました。その要求の根拠を問う、と」
牟田口大尉が文を書き上げると同時に、あの声が響く。
『根拠か。日本政府は、我々の経済を統制し、自由を奪った。我々は、日本のもとでしか活動出来ない。これは搾取ではないのか』
確かに、帝国は東亜の各国の経済を管理し、常に全体の利益が最大になるよう努力している。だが、それを搾取と言うか問われれば、殆どのアジア人は否定するだろう。実際、この方が人民の幸福に繋がるのは間違いない。殊、経済に関しては、自由は時に制約されるべきなのだ。
「これは、話してわかる相手じゃないです」
「まったくだ。なら、次の要求について尋ねよう。危害を加えない、という話だ」
「了解致しました」
牟田口大尉は、再びデバイスに文字を打つ。今度は少し時間を開けて、返事が響き渡った。
『我々は、日本政府が要求を呑んだ際の話だが、ヘリコプターでここを出る。その際には、それを攻撃するなということだ。もし、それを攻撃すれば、ここに仕掛けた爆弾を起爆し、人質を皆殺しにする』
「珍しく、まっとうなことを言う」
要求自体は、至極当然のものだろう。これならば、検討の余地はなくもない。だが、問題は前者の要求である。
「敵に、大東亜連合に関する条項について、再交渉の可能性を尋ねてくれ」
「はい、了解致しました」
牟田口大尉は、デバイスに文字を打つ。流石に、大東亜連合の解体を呑むことは出来ない。
『大東亜連合を、かつてのCISのような緩やかな共同体として存続させることには、一定の妥協が可能だ。あくまで、大東亜連合は軍事同盟までとする』
「割と現実的な話に持ってきましたね。まあ、無理ですが」
「ああ。交渉を続けよう」
その後も、ひたすらに交渉は続いた。テロリストがサイレンを木霊せ、軍が手紙で情報を伝える姿は、両者の立場が逆転したようである。
そして、交渉はもはや打ち切られようとしている。