燃料切れ
崩壊暦214年9月19日09:25
「何?燃料がないだって!?」
大和の艦橋で、現地の軍官から報告を受けた東條中佐は、驚きのあまり体裁をも崩してしまった。
予定では、大阪で燃料を補給した後、ハワイを経由してアメリカに戻る筈だった。だが、その燃料が空港にはないと言う。
「本当に、ないのか?」
「はい。民生用の燃料は多少ありますが、艦隊を動かすだけの量はとても……」
基本的に、飛行艦は、莫大な量の燃料を食う。一般的な、翼の揚力を利用した飛行機と比べれば、一機あたり、数十倍の燃料が必要だ。だが、その備蓄はないらしい。
「だが、大量の石油とガスが忽然と消える訳はないだろう?どこに行ったんだ?」
「そ、それが、手違いで、長崎の方にあるとのことです」
「長崎だって?どうしたらそんなことになるんだ」
東條中佐は、酷く混乱している。ただただ疑問しか浮かばない。まさか、関西に送るべきものを九州に送るなど、全く意味がわからない。
「いつ届くんだ?」
「およそ3日後となります」
大量の燃料を運ぶには、それなりに時間がかかる。だが、幸いにもここは外洋に面している為、船が使える。内陸の都市の場合、燃料の輸送にも専用の飛行艦を使う必要がある為、長崎大阪間は比較的マシではある。
「では、失礼しました」
「ああ。なるべく早くしてくれよ」
担当者は足早に去っていった。
「どうしますか、閣下?」
東條中佐は、東郷大将に要件を伝える。
「そうだな、とりあえず大本営に伝達して、指示を仰ごうか」
「了解しました」
第一艦隊は、もはや万事休すと言った状況だ。だが、艦隊一個が動けないと言うのは、戦略次元での重大な問題である。ひとまずは、帝都にこれを伝えるのが先決だろう。
参謀本部に通信をかけると、一瞬で応答が来た。手短に状況を伝えると、ことの重大さから、替わって出てきたのは山本中将である。
「なるほど。それはまた信じがたいですね」
山本中将は、大して驚いているようには見えない。東郷大将といい、将官クラスの人間は、これほどに豪胆なのだろうか。東條中佐には、理解し難いものである。
「それで、動けない我々はどうすれば良いのかな?」
「ええと、燃料が届くまでは3日かかるのですよね」
「そうだ」
「でしたら、その間は大阪で休暇を楽しんでいて結構ですよ、閣下」
山本中将は、優しげな笑みで言う。大本営の判断は、待機である。まあ、待機以外に何か有るのかと言われると、特に無いのだが。
「おお、そうか。では、満足するまで、大阪で楽しい時間を過ごしていよう。諸君、休暇だ」
東郷大将は笑っているが、その目は笑っていなかった。だが、その周囲は逆である。東郷大将の一声で、艦橋は歓声に包まれる。いい大人が、子供みたくはしゃいでいる姿は、第一艦隊ではそうそう見ることはない。
「では、失礼します」
「ああ。さらばだ」
山本中将の姿が消える。そして、士官らも動き出すのである。
およそ1時間後、東條中佐は、軍用車に乗って大阪を走っている。軍用車を私用に使うなど本来は犯罪に等しいが、バレなければ問題はないのである。
大阪もまた、帝都と同様、若しくはそれ以上に栄えている。だが、帝都と違うのは、比較的、国旗や軍旗の掲揚が少ないことである。東條中佐自身は大して気にしてはいないが、こういう意識の差もあるのだと考えさせられているところだ。
そして、東條中佐が一人向かっているのは、大阪の本州側である北部地区である。何故かと言うと、神崎中佐に、北部地区にしかない店で売っている羊羹を買ってきて欲しいと頼まれたからである。神崎中佐は、反対側の南部地区の店を当たるらしい。
何故だが扱き使われている東條中佐だが、特にやることもなかったにで、退屈しのぎにはちょうどいいと考えた次第である。
「やけに大型車が多いな」
本州と淡路島を繋ぐ橋の上で、東條中佐の車は、多くの大型車に追い抜かれている。まあ、人口を分散するための土地となっている北部や南部に生活物資を運んでいるのだろう。大阪の工業地帯は、殆どが淡路島に固まっているのだ。
そして、橋から見えるのは、美しい自然の海である。旧文明が崩壊して200年。汚染された自然はほぼ浄化され、それを汚す人工物は見当たらない。人類以外の生物にとっては、屍人の跋扈は大歓迎だったことだろう。
橋を渡りきり、車は本州側にやって来た。だが、東條中佐は、予想外過ぎるものに直面することになる。
「おい、嘘だろ………」
東條中佐の視界は、今や完全に黒煙に覆われている。