作者の想いは読者に見える
はじめましての方もそうでない方も、こんにちは。
執筆はじめて恐らく四年目。まだまだ未熟な書き手、星影と申します。
今回のエッセイは元々、活動報告にきまぐれで書いた内容が基だったりしています。
それを「エッセイとして投稿してみたら?」という嬉しいお言葉を、執筆仲間からいただきまして。
せっかくですので、投稿させていただくことにいたしました。
まぁ、ご挨拶はこの辺にして。
突然ですが、貴方はどんなことを考えて物語を書いていますか?
「自分のキャラクターの可愛さを知ってほしい」
「もっとブックマークを増やしたい」
「読者にも物語に浸ってもらいたい」
などなど、様々なことを考えていらっしゃると思います。
そんな、書き手がひっそりと胸に秘めている強い想い。
それはきっと、作品を手に取ってくれた読み手にもなんとなく伝わっています。
何を言っているんだと思われるかもしれませんが、これは私が実際に多くの『なろう作品』を読んで感じたことなのです。
若干宣伝が入りますが、いま連載している『私に世界は救えません!』が大事な場面を迎えているということもあり、私は執筆を中断し、小説家になろうのお話を読み漁っていました。
他の書き手の表現を学ぶことで、大切な場面をもっともっと魅力的に描けたら、と思ったのです。
ランキングのお話をチラっと読みに行ったり、お気に入りユーザーさんの作品を読ませていただいたり、SNSで「作品を読ませて下さい」と、作品を募ったりもしました。
数日間、様々な作品を読み続けたことで、改めてこう思ったのです。
じっくりとお話を読むと『書き手が何を思ってその物語を書いてるのか』それが透けて見えてきてしまうのだ、と。
例えば
「私のキャラたち、可愛いでしょう!?」
「爽快感たっぷりにしてみたよ、どう?」
「こういうハーレムって、夢だよね!」
「こんな展開、好みなの!」
そんな言葉で、書き手の声が大きく聞こえてくるお話がありました。
確かにキャラクター、可愛いです。
優しくて、時には拗ねたりなんかもしていたり。
ドジっこで純真で、思わず守ってあげたくもなります。
強い力で敵を圧倒し、賞賛を浴びる勇者はやれやれと言った様子ですが、その活躍は眩いばかりです。
ハーレムも、夢の展開ですし、書かれている展開は心躍るようなものでした。
はっきり言うと、読んでいて『楽しい』です。
ノリも良く、光がちゃんと残っていることも多いので、心が大きく動かされることもありませんし、疲れません。
気軽に読めるので、携帯小説向きなのかもしれません。
私としては、今後どんな展開になって、どうやって終わるのか。
大きな流れが気になった作品たちでした。
その一方で、書き手の声が、ほとんど聞こえてこない作品もあります。
私の読み方が下手というのもあるかもしれませんが、そのお話で書き手が何を言いたいのか、どんなことを描きたいのか、今一つ掴みきれないのです。
首をかしげながら読み、書き手の描きたいものを、察していく感じでした。
私の場合はですが、このタイプの作品とは相性が悪かったようです。
そして最後は、書き手がそっと問いかけてくるタイプの作品です。
例えば
「見知らぬ世界に飛ばされて、理不尽な扱いを受けてしまったら」
「愛する人が、死を前に苦しんでいたら」
「便利な一方で、政治利用されかねない能力を持ってしまったら」
「時を越える方法を知ってしまったら」
……アナタだったらどうします?
こんなふうに、作品の一歩後ろに隠れて、書き手が静かに問いかけてくるお話もありました。
不思議なことに、こういった作品は、ワクワクする場面も、切なくなる場面も「自分ならどうしよう」「このキャラクターならどうするのかな」と、読みながら考えさせられてしまうんですよ。
完全なる私の主観ですが、こういうお話は『楽しい』というよりも『面白く魅力的』に感じました。
テレビを“ながら”で見ているのではなく、映画館で面白い映画にどっぷり浸っている感覚に似ています。
「どんな場面も見逃したくない」
そんな気持ちにさせてくれるのです。
このタイプの作品はなぜか、読後に何かが残る感じがしました。
「そのキャラクターがどんな場面で、何を思うのかを追いかけたい」
「彼らの行く先を見届けたい!」と強く思わせてくれるのです。
これもまた主観というか、私調べなのですが、こういった作品を書かれる方というのは『読み手』の目線を意識して、小手先の技に走らない方が多かったように思います。
書き手として表現したい“何か”があり「読み手にわかりやすく、より面白くなるように書こう」そうやって試行錯誤される方が多いのです。
「読みやすく書けているか心配」
「大事な場面だから、伝え方を考えなきゃいけない」
「人称や細かい表現は大事」
「他人に読んでもらってから投稿している」
などなど、このタイプの書き手からは、こんな言葉を一度は聞いていたりもしていまして。
「細かく描写すると読者が嫌がるから、あえて描写しない」とか
「鬱展開は避けられちゃうから、入れない」とか
そういった小手先の読者目線ではなく、その作品をより魅力的に読ませるためにはどうするか、という読者目線なのです。
書きたいテーマを書き手が丁寧に描こうとしているかどうかは、必ず読み手に伝わります。
小手先の技を使おうとしているのも、じっくり読む読者は恐らく感じとっていると思います。
手っ取り早く、気軽に楽しみたい『さらっと読み勢』からすれば、小手先の技を使った読者目線はありがたいものなのだろうと思います。
次から次に新しい楽しい展開が来るのは、楽しいことだと思うので。
ただ『じっくり読み勢』の私からすると、小手先の技を使われたことで描写不足に感じて物語に入り込めなかったり、盛上りに欠けてヌルイという印象になるなぁと、今回数多くの作品を読んでみて思いました。
そして、不思議なもので、書き方次第で、地の文が多くても邪魔になんかならないのです。
地の文だけで数百文字書かれていた作品もありましたが、臨場感に溢れており、思わずあまりの緊張感に手に汗握りました。
読み手に嫌われがちという鬱展開だって、物語に彩りを添えてくれたり、深みを出してくれたりもするように思うのです。
「このキャラクターを追いかけたい」
「いまは辛いかもしれないけれど、いずれは何かが変わるかもしれない」
読み手をそんなふうな気持ちにさせてあげられれば、鬱展開でもちゃんと追いかけてくれますよ。
小手先の技なんか使わなくても、とっつきやすく魅力的なお話は書けるのです。
読者を想って丁寧に書こうとした作品は、他とは書き方が違うので、読み手にはわかると思います。
たった一言の表現に、キラリと光る何かがあるんです。
何気ないセリフに、大きな意味がこもっているように感じられるものなのです。
いろいろと偉そうに語ってきましたが、残念なことに私はまだまだ未熟者で、思考錯誤の真っただ中です。
少しでも読み手の心に残るお話を、私も書きたい!
そう思うので、読者目線と自分が描きたいことを念頭に置きつつ、丁寧に書くことを心がけて頑張りたいなぁ。
そんなことを一度読み専になってみたことで、ふと思ったのでした。