ノウゼンカズラの家 第九回
「よくわかったね」
喜びよりも、驚きと戸惑いが余計、顔に出ていたかと思います。彼女に家を教えた覚えはなく、ましてみずから遊びに来ることなど、想像していませんでした。
前歯の欠けた「痛々しい」笑顔で、コズエは応えました。
「蜘蛛の巣」
「え?」
「家の前の木に、大きな蜘蛛の巣がずっとあるって、サエちゃん、言うとったから」
コズエが指さしたほうを見上げ、覚えず身震いしました。当時住んでいたのは、古い、マッチ箱みたいな貸家でしたが、一応門がついており、覆い被さるように、ザクロの木が枝を張っていました。
そこにもう何週間も前から、大きなコガネグモが巣をかけていたのです。巣の中心で脚を四方へぴんと伸ばし、頭上から見下ろす大型の蜘蛛は、門を通るたびに、いやでも目につきます。とくに朝には、昨夜の壮絶な狩りと食事の痕跡が、生々しく残されていました。
蜘蛛は、中が崩壊寸前のこの家を、いつか乗っ取るつもりで見張っているのではないか? そんな妄想を抱いてしまうほどに。
きっとわたしは朝、このことをコズエに話していたのでしょう。彼女は、わたしが来る方角へ検討をつけて、門の前の蜘蛛の巣を目印に、訪ねて来たのです。
かんかん照りの午後で、彼女は帽子もかぶらず、丈の短い、薄っぺらな白のワンピースを着ていました。奇妙な連想ですが、それがまるで生贄にされる少女を想わせて、はらはらしたのを覚えています。
「公園で遊ぶ?」
「うん。誰もおらんなら」
やはり学校の子、とくに同じ学年の子には逢いたくないのでしょう。あるいは、わたしが「苛められっ子」といるところを、見られたがらないと考えたのでしょうか。
「もう一つの」という言葉を、意識的に避けながらも、なぜ自分から公園で遊ぶことを提案したのか。断る理由はいくらでも作れたのに、なぜそうしなかったのか……あの奇妙な夢が胸に引っかかっていたのは、確かなようです。
突然の彼女の訪問は、わたしを不条理な世界へ引き込もうとする、何か言い知れぬ力を感じさせました。
住宅に挟まれた細い路地の向こうが、公園でした。そこを通り抜けるまえに、早くも多くの子供たちの奇声が響いてきました。わたしたちは、恐ろしい野蛮人の声を聴いたように顔を見合わせ、ついに誰にも見つからないまま、踵を返しました。
「もう一つの公園なんて、本当にあるの?」
またみずから、そう尋ねていました。
わたしとは別の意志が、わたしの口を借りて言わせたような気がしました。
すると綺麗なトカゲを見つけたときと同じような、弾むような声が返ってきたのです。
「うん。行ってみるね?」
不意に、コズエに手を握られたとき、どきんとしたのは、異様に冷たい彼女の指のせいばかりではありません。
ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード。
いきなり何事かと思われたかもしれませんが、ビートルズの有名な曲ですね。レット・イット・ビーという最後のアルバムに入っているだけに、綺麗だけど、どこかもの悲しい。あの曲を聴くたびに、わたしはあの日、彼女に手を引かれて辿った道を思い出すのです。
それはまさに、長く、曲がりくねった道でした。まるで猫になった気がするほど、見知らぬ路地を通り、柵の破れめを潜り、見知らぬ階段を上っては下りました。
他人の家の庭を横ぎったのも、一度ではありません。草ぼうぼうの空き家もあれば、青く刈られた芝生の上を、ピアノを練習する音を聞きながら、忍び足で通り抜けたりしました。
塀に挟まれた路地を抜けると、雑木林の斜面に行き着きました。目の前には、たしかに小さな公園が、ひっそりとうずくまっています。
不揃いな石を塗り込んだコンクリートの塀。公園の名前は、どこにも見あたりません。噂どおり、ぶらんこがひとつだけ、まるでちょっと前まで誰かが乗っていたように、かすかに揺れていました。
わたしたち二人のほかは、周りに人影はありません。
「ここが、そうなの?」
「うん!」
コズエは笑顔でうなずくと、公園に駆け込みました。無頓着にぶらんこに座って、きい、と鎖を軋ませながら、またわたしのほうへ笑いかけました。
赤く透きとおった髪が揺れるとき、風の中にきらきらと光を放ちました。生贄みたいな、白いワンピース姿を眺めるうちに、ハッと思い出したのです。
もう一つの公園には、妖怪博士に食べられた女の子の幽霊があらわれる……
そのときでした。
どこからともなく、一輪のオレンヂ色の花が、彼女のスカートの上に、ふわりと舞い降りたのは。