ノウゼンカズラの家 第八回
夏休みに入って一週間ほど、コズエと顔を合わせませんでした。
これまでも、朝、一緒に登校するだけの間柄だったので、当然なのかもしれませんが、遊ぶ約束はできたはずです。なのに、コズエの口からも、そしてわたしからも、とうとう「遊ぼう」と言い出さないまま、休みを迎えたのでした。
(一緒に行かん?)
もしかするとわたしは、朝の通学路以外でコズエと行き逢うのが、恐ろしかったのかもしれません。とくに「もう一つの公園」に誘われて以来、わたしは頻繁に、奇怪な夢を見るようになりました。
花が、降ってくるのです。
一枚一枚がばらばらの花びらではなく、ちょうど子供の両手で包みこめるくらいの花そのものが、あとから、あとから、音もなく降ってくるのです。
わたしはコズエと二人きりです。そこは……もう一つの公園なのでしょうか? でも公園と言うには薄暗くて、多くの木が周りに立っているのがわかります。
雨の森にいるように、色彩も不鮮明な、粒子の粗い夢です。コズエの欠けた前歯の穴が、彼女の顔じゅうでちらちら揺れます。ただ、あとからあとから降ってくる花ばかりが、色も形もはっきりと見えるのです。
木立の奥には、闇の塊があります。まるで真っ黒な巨獣がうずくまっているように、そこだけがとくに暗くて、野獣の凶暴な息づかいさえ感じるようです。
そしてコズエはわたしの手を引きながら、その闇の塊のほうへと導いてゆきます。
わたしはそこへ行くのが恐ろしくて仕方がないのですが、彼女の手を振りほどくことができません。それにあとからあとから、花が降ってきますから、幻惑されたような、どこか心地好い麻痺が、恐怖を遠い思い出のように封じ籠めてもいました。
闇の中に人影が見えます。闇は、人影の背後から放たれるかのようです。まるで後光を逆さまにしたように。
その人は大人の男性のように見えますが、背はかなり低いほうでしょうか。こちらへ向かって手招きするたびに、男の周囲の闇がまるでイソギンチャクの触手のように、膨らんだり萎んだりします。
花は相変わらず、あとからあとから降ってきます。地面に触れたとたん、跡形もなく消えてしまい、わたしたちの体に触れたときもまた、同様に消滅します。
これ以上、暗闇に近づいてはいけない。
コズエを止めなければと、気持ちばかり焦るのですが、ボール状の塊が喉に詰まっているように、どうしても声を発することができません。
すでに闇の触手は、木立ごとわたしたちを包み込むように、周りで収縮を繰り返しています。所々で闇の一部がちぎれて、足もとに転がっては、大きな蛭のように、ぶくぶくとのたうち廻ります。
男のすぐ背後に家が建っていることに、ようやくわたしは気づきました。後光を逆さまにしたような暗闇の正体は、この家にほかなりません。
家というよりは、小屋に近いのかもしれません。ずいぶんいびつな形をしており、蔓草がびっしりと絡みついています。そしてあれは煙突なのでしょうか? 壁の方々から曲がりくねったブリキの管が、節足動物の脚みたいに無数に突出しています。
降りしきる花たちは、その管の先から、闇の触手と一緒に吐き出されてくるのです。
ようやくわたしは踏み留まり、コズエの腕を強く引っ張りました。
(サエちゃん、どうしたん?)
こんなに間近で顔を見ているのに、表情すら判然としないほど、粗い粒子が揺らめきます。まるで今にも人の形を失い、解体されてしまうかのように。
(そっちへ行っちゃだめだよ。だって、あの男の人は……)
(あの男の人は?)
そのあと、何と答えたか覚えていません。実際に叫び声を発したようで、自分の声に驚いて目が覚めてしまうのです。
体じゅうの汗が、重い、厭あな気分と一緒に、ねっとりとこびりついています。目が覚める間際に見た彼女の顔は、ほとんど形が崩れて、骸骨にしか見えませんでした。
こんな夢の話をして、何の意味があるのかと思われたことでしょう。
ただ当時のわたしは、どうしても現実と無関係とは思えない夢を、多く見ていたのです。予知夢と言えば、胡散臭く響くでしょうか。
例えば、算数の図表の問題が解けずに苦しんでいる夢を見た次の日、不意打ちのテストで、夢で見たとおりの図表があらわれました。あるいはまた、飼っていたインコが洗面台の流しに吸い込まれる夢を見て、慌てて拾い上げようとしても間に合わない。翌朝、インコは籠の中で冷たくなっていました。わたしが餌やりを怠ったせいでした。
もちろん幾晩も、あれほど永く感じられる夢を見たのは、初めてでしたが。それだけに、底知れぬ不気味さがつき纏っていました。
コズエが突然、わたしの家に遊びに来たのは、七月最後の日でした。