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ノウゼンカズラの家 第三回

「慧眼でいらっしゃる!」

 おどけてみせたつもりの顔が、引きつっていたに違いない。そんな隙を見逃さず、時嶋サエは畳みかけてきた。

「では、あの鹿苑寺という家政婦は、実在するのですね」

 ろくおんじ、とはまた大仰な偽名を冠したものである。いわゆる金閣寺がその通称であり、美架に打ち明けたところ、世にも厭な顔をされた。

(ですがまあ、今わたくしたちが目にする金閣は、単なるフェイク。怨念を金箔で塗り固めたような現物は戦後間もなく、裏日本の哀しい修行僧によって、焼き尽くされてしまいましたから。案外わたくしには、そんな金ピカのフェイクが似つかわしいのかもしれませんわ)

 自嘲的な調子で、皮肉を言われたものである。いかにも間の抜けたふうに、私は手を振った。

「モデルが存在することは、否定しませんよ。ただ創作を標榜する以上、ノンフィクションとは厳然と、区別されなければなりません。あれは所詮、実在の人物を素通りした、私という一個人の妄想に過ぎないんです」

「鹿苑寺さんに、逢わせていただけますか?」

 私の拙い言い訳など聞く耳持たず、彼女はなおも食い下がる。気圧されて口ごもる私に気づいたのか、どこか苦しげに付け足した。

「すみません。つい気が急いてしまいました。まずは酒井先生に、私の話を聞いていただいて。そのうえで、その、鹿苑寺さんに、伝えていただければ……」

 時嶋サエも「鹿苑寺」が偽名だということには、気づいているのだろう。それでもなお、奇妙な才能を持った家政婦が実在することは、少しも疑っていないようだ。

 なるほど、堀川の会合でちょっとでも私を観察すれば、一目瞭然なのかもしれない。美架が示したような明晰な推理が、私ごときの頭からひねり出せる筈がないことなど。

 それにしても、いったい彼女が勅使河原美架に、どんな事情を訴えたがっているのか? 作家としての好奇心が疼くのを、私は痛いほど意識せざるを得なかった。

「鹿苑寺公香」は目下、行方不明中であるけれども。

 残りのキリマンジャロを飲み干し、私用にもう一杯注文した。サエの目の前のカップはというと、まだほとんど手つかずのまま。

「お聞きいたしましょう。あなたのご期待に添えられるかどうか、心許ない限りですが」

 これは好奇心に対する敗北宣言と言えた。

  ◇

 だからこれは、「霊異研究家」時嶋サエから、聞いた話である。

  ◇

 わたしが生まれたのは北九州もだいぶ大分県に近い、田舎のほう。ミヤコ郡カンダ町という所です。「京都郡苅田町」と書きますので、機械で読みとれなかった郵便がよく、関門海峡を越えて行ってしまうことが、あったようです。

 七歳の頃まで、わたしはその町に住んでいました。

 地図で調べてみると、海沿いの工業地帯に隣接しており、記憶の中の印象と異なります。実際に父は、地元の部品工場で働いていたのですが、わたしには海や工場を見た覚えが、全くと言ってよいほどないのです。

 どちらかというと山がちな田舎のイメージでした。 

 夏が近づくと、一面に蛙の声が喧しく響き渡りました。街灯が乏しかったせいか、陽が暮れると地面は何も見えない、黒一色に塗り潰されました。道の真ん中を歩いているうちに、川に嵌まっていても不思議ではないような、そんな恐怖感を、まざまざと思い返すことができます。

 住まいはありふれた新興住宅地の中にあり、母は常に家の中にいました。趣味程度に生徒を集めて、手芸を教えてもいたようです。鷹揚な父と異なり、母は一人娘の私の躾に厳しいほうでしたが、その頃いよいよ両親の仲は、崩壊寸前にまで冷えきっていたのです。

 母は私を叱らなくなり、朝、起こしてもくれなくなりました。父は午前五時前に一人で起き出して、ご飯も食べずに出勤します。外でパンでも齧るのでしょう。わたしが目を覚ます頃には、台所に冷たいご飯と味噌汁が載っていましたが、母は布団の中でした。

 すでに半年も前から、離婚調停が着々と進められていたことなど、もちろん知る由もありません。

 けれども、家に父の同僚が大勢集まり、母を断罪するように取り囲んだかと思えば、次の日に母が突然、欲しくもない人形を買ってくれたり。両親の間に取り返しのつかない異変が起こりつつあることは、子供心にもひしひしと感じられました。

 ただわたしには、その印象を口に出すことが憚られました。それは手の届かない別世界で進められていること。子供が口を出したとたん、たちまち禁忌に触れるような、大きくて恐ろしい出来事に感じられたからです。

 わたしは夜中に声を殺して泣くようになり、ますます遅刻が増えました。

 だから、クラスの違うコズエと友達になったのは、その頃ますますひどくなっていた、わたしの遅刻癖が原因でした。

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