第2話 フードの中身は
俺が彼女を見つけたのは暗くどんよりとした朝の事だった。
いつものように魚を獲りに川へ向かう途中の山道を歩いているとすぐそばの木の根元に黒い影があるのが見えた。街が近いとはいえここは森の中。魔物が潜んでいる可能性もあり、怪しいものを見たらすぐに逃げるよう言われている。しかし一度も近くで魔物を見た事がなく、幼い頃から怪獣が大好きだった俺が魔物を見ずに逃げるなんてことは当然できなかった。
俺は木の影から思い切って、しかし恐る恐る根元でうずくまるそれを覗き込んでみる。黒くて長い毛が見えた。お客さんたちが良く話している黒狼だろうか。しかし黒狼は短毛のはず。
俺は好奇心を満たすためにさらに体を乗り出す。黒く長い毛の先に肌色の皮膚が見える。眉毛のようなものがあって、赤い唇があって――
「……あれっ?」
それは明らかに魔物ではない。木の根元で倒れているのは、同じ年頃の少女であった。俺は慌てて少女に駆け寄る。大きな外傷はなく息をしているが声をかけても応答はない。俺は呼んでも揺すっても起きない彼女を担ぎ上げ、喫茶店へと走った。
ベッドに寝かせて2時間余り、彼女は突然目を覚ました。
「……ここは……貴様は誰だッ!?」
鼻先に鈍い光を放つ銀色の何かを向けられる。それがナイフだと気付くや否や、俺は慌てて彼女から飛びのいた。
「もっ、森で倒れてたから運んだんだよ! 危ないから下ろして下ろして」
「運んだだと? ここはどこだ」
「喫茶やまねですよ。目が覚めたんですね」
背後から声がして振り向くと、水を持ったモモがドアを開けて中に入ってきたところであった。俺がナイフを向けられているというのにモモは全く動じることなく彼女に近付き水を渡す。
店名付きのエプロンをつけた同じ年頃の女性を見て安心したのか女の子は俺に向けたナイフをゆっくり下ろして水を受け取った。
「そうか……そういえばこの近くに喫茶店があったんだったな。すまない、助けてもらったのに無礼をはたらいてしまった」
「い、いや、良いんだよ。それよりなんであんなところで倒れていたの?」
何気なしにそう聞くと、たちまち少女は苦虫を噛み潰したような表情になった。聞かなきゃ良かったかと思ったがもう遅い。少女は拳を固く握りしめながら口を開く。
「魔物に襲われたのだ。奴め、卑怯にも後ろから殴りかかってきた。襲われたと認識するより早く気を失ってしまったよ」
「ぼ、冒険者? 君が?」
彼女は俺と同じくらい若くそして女性だ。ボディービルダーのような体をしているわけでもない。いたって普通の、ちょっと目つきの悪い少女である。
うちの喫茶店に来る冒険者ときたらほぼ山賊と変わらないような身なりの者や上半身がほぼ裸に近いようなゴッツイ男ばかり。
彼女は「その質問には答え飽きている」と言わんばかりにため息をつく。
「名はライムと言う。嘘だと思うなら冒険者名簿を見てみると良い」
「あ、いや……疑ってる訳じゃないんだけど」
「そんなことより店は良いのか。喫茶店なんだろう?」
ライムと名乗った少女は掛け時計を見ながら怪訝そうな表情を浮かべる。時計はちょうど午後3時を告げていた。確かに喫茶店のピークタイムではあるのだが……
「じ、実は事情があってね」
俺は頭を抱えながらそれはそれは大きなため息をついた。
実はつい最近近所に喫茶店がてきたのだ。向こうはうちのような個人経営ではなくいわゆるチェーン店。それゆえか値段も安くメニューも豊富。店内の証明も明るく入りやすい雰囲気である。
冒険者は金のない者も多く、かなりの客をそちらに奪われてしまったのだ。
おかげでうちの店はピークタイムにも関わらず閑古鳥が鳴いている始末。
「そうか……大変だな。こんなに美味しいのに」
事情を話し終えると、ライムは湯気の立つコーヒーを一口飲んでため息をつく。
体は大丈夫だと言うので店に場所を移した。あまりに店内の客が少ないとますます人が来なくなってしまうから、まぁいわばサクラの役割を担ってもらうことにしたのだ。
ライムはまたコーヒーをすすり、そして申し訳なさそうな顔をした。
「すまない、金もないのにコーヒーまで頂いてしまって」
ライムが目を覚ました時、懐に入れていた財布が無くなっていたのだという。どうやら気絶している隙に盗まれてしまったらしい。
ライムの言葉にモモは満面の笑みで明るく首を振った。
「大丈夫大丈夫! あんまりにも人が来ないから豆が古くなっちゃいそうでね、私達もガブガブ飲んで減らしているところなの!」
「お、おいお客さんもいるのにそんな大声で……」
「あ。ゴメンなさいまだ古くないですからね。大丈夫ですよ」
モモは臆することなく店内唯一のお客に声をかける。あの不気味なフードの客だ。
あの客だけは頻度も変わらず律儀に店へ通ってくれた。前はヤツが来てたまに血の付いている硬貨を置いていくとげんなりしたものだが、今や数少ない大事なお客様だ。血が付いていようと金は金。
客はモモの言葉には反応せず、いつも通り無言で財布を取り出し硬貨を机の上に置く。そしていつも通りに席を立つのだが――なぜかライムも一緒に席を立った。
「ライム? どうした?」
俺の言葉を無視し、ライムはツカツカとローブの客に近寄っていく。そして目にも止まらぬ速さでナイフを取り出し客に向けて振り下ろした。
「うわぁっ!?」
俺は思わず情けない悲鳴を漏らした。
一方、客は慌てた様子もなく振り下ろされた刃を軽い身のこなしでかわす。ナイフは客の身体には届かなかったものの、ローブの留め具を切り裂くことには成功しその薄汚いボロ布は宙を舞った。
ネズミ色のフードから真っ赤に燃えるような髪が零れ落ち、輝くばかりの白い肌が露わになる。
目を疑った。
あの薄汚いローブの中身は女の子だったのだ。但し体中に禍々しい文様が走り、背中にはコウモリのような黒い翼を生やしている。
「お見事。何度もここに通ったけど私の正体を見破ったのはお前が初めてだよ。魔力に敏感なのか、それとも……これかな?」
少女は犬歯を覗かせて笑いながらライムの目の前で財布をブラつかせる。
「私を襲ったのも貴様だな、卑劣な魔物め」
俺はライムの言葉に目を丸くし、そして思わず素っ頓狂な声を上げた。
「まっ、まものぉ!?」
「ふふ、なんだお兄さん。魔物が喋るのはおかしいか」
そう、俺は「魔物は動物と一緒、理性は無く喋らない」とおじさんから教わっていたのだ。だからどちらかというと魔物≒猛獣のイメージだったし、まさか魔物がコーヒーを飲みに喫茶店へ通っていたなど考えてもいなかった。
俺は隣で平然としているモモに尋ねてみる。
「し、知ってた?」
「知らなかったよ?」
「……なんでそんな平然としてるの?」
「この喫茶店、色んなお客さんが来るから」
「そ、そう……」
モモの肝の座り具合にも驚きつつ、俺は再び初めて見る魔物に目をやった。魔物は恐ろしい物、とお客さんたちから散々教わっていたがこの人に限ってはちょっぴりパンクなお姉さんにしか見えない。
「知らないのも無理はない。人型の知性ある魔物は数も少ないからな。おっと。一部の冒険者しか知らんのが普通だ。よっと」
魔物はニコニコと話しながら華麗にライムの刃を避けていく。そして苦もなく彼女の腕を掴み、捻り上げた。
「あッ……ぐっ!」
「手負いの上にこんな小さな刃で私を殺せると思っているのか冒険者」
ライムの手からナイフが滑り落ちる。同時に魔物は片手でライムの首を掴んで持ち上げた。ライムやモモとほとんど体格が変わらないにも関わらず、猫でも持ち上げているかのようにやすやすと。
「うあッ……!」
しかし感心してもいられない。ライムは苦しそうに声を上げ、足をバタつかせる。
「おい止めろって――」
「ちょっとあんた達ッ! 店で暴れないでよ!!」
俺が言うより早く、モモが鬼の様な顔をして魔物とライムを怒鳴りつけた。人に怒られた経験がないのか魔物はキョトンとした顔でモモを見つめる。
さらにモモはまくし立てる様に続けた。
「ただでさえお客が来ないってのに魔物襲撃事件や、まして人死なんかでたらこのお店はお終いよ! あんた達店を潰したいわけ!?」
魔物はしばらくの間キョトンとしていたが、小さく吹き出すとライムの首を掴んでいた手を離した。
「ははは、すまんすまん。確かにここのコーヒーが飲めなくなるのは困るな。ところでさっきの話だが――」
魔物は急に真顔になって俺達に歩み寄る。若干後退りしたかったが、モモが全く動じていないので我慢した。
「私はこの店が本当に好きなんだ。潰れられると困る。客が少ない今の状況は私にとっては嬉しいことだが、店にとっては芳しくないんだろ?」
「ええ、まぁ……」
「ならなにか対策をとらなきゃ、だろ? 案はあるのか」
「ええと、その――」
「一応、新メニューは考えています」
ビビってまごつく俺をよそに、モモがハッキリとした口調で魔物の問に答えていく。
「今店長と女将さんが新メニューの材料を買いに行っているところなんです。しかし起爆剤になるかというと微妙なところですね。個人経営なのでこれ以上の値下げは難しいですし正直困っています」
「ふうん、確かにそれは困ったな」
そう言いながら魔物はニッと犬歯を見せる。
そしてなんでもないような顔で、恐ろしい事を言い始めた。
「じゃあさ、これは提案なんだけど――あのチェーン店を私が襲うというのはどうだろう?」
「えっ!」
さすがのモモも驚いたのか目を丸くしている。
俺は慌てて首を振って魔物の申し出を断った。
「そっ、そんな無茶苦茶な案、受け入れられるわけないじゃないですか!」
「そんなに無茶苦茶か? 誰もお前らが魔物をけしかけたなんて思いやしないよ。魔物が人の言うことを聞くわけないと奴らは思っているだろうし」
慌てて止めようとする俺を横目に、モモは魔物に静かに質問をぶつける。
「でも向こうにはきっと用心棒が付いているはずです。返り討ちにあう可能性は?」
「私をナメてもらっちゃこまるねぇ。その辺のヤツらなら、片手で捻り潰すだけの力はあると思うよ? なぁ?」
魔物は床にうずくまり恨めしそうに魔物を見上げるライムに同意を求める。ライムは苦虫を噛み潰したような顔をして魔物から顔を逸らした。
魔物はそれを見て満足げに笑う。
「な?」
「いや、な? じゃなくて……」
「うーん、でもこのまま潰れちゃうよりは良いかも」
「ちょ、ちょっとモモ!?」
「だって人殺しは良くないけど建物を壊せばしばらくは営業できないじゃない?」
「そういう問題じゃないよ!」
「じゃあ他に良い案はある? 人の意見を否定するときには代替案を出さなくちゃ」
モモは何故か得意げにそう言い放つ。
特に案があったわけでもないが、とにかくこの場をおさめるには案を出す他ない。俺は必死に無い頭を絞った。
「ええと……やっぱり向こうには無い付加価値を付けるほかないと思うんだ」
「ふかかち?」
魔物が首を傾げるのを無視し、半分独り言のように呟き続ける。
「でもお金はあまりかけられない。それで女の子が三人いるし……メイド喫茶……ダメだ、もっと一般受けするものじゃなきゃ」
「ちょっと待て。まさか私も頭数に入れているのか」
「薄情だなぁ、お前倒れたとこを助けられたんだろー? ちったぁ恩返ししろよな」
「……お前には言われたくない」
「うーん、なにかショーをやる……とか……でもあんまり難しいことは無理だよね……あっ」
俺はポンっと手を叩き、思いついたことをそのまま口に出した。
「アイドルとか、どうだろう?」




