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第1話 見知らぬ世界で


 青い空、白い雲、それらに彩りを加える多種多様な鳥の群れ、そしてそれを追っかけまわす翼の生えた獅子。初めて見たときは驚いたがこれがこの世界の通常であり、なんら珍しい光景ではない。俺は長い釣竿を肩に乗せ、木で編んだ籠を片手に森を抜けていく。籠の中を覗くと、目が三つついた美しい鱗の魚が小さく跳ねるのが見えた。


 単刀直入に言うと俺は今、生まれた世界とは別の世界に迷い込んでしまっている。


 俺がこの世界に来たきっかけを話すのは止そう。なぜならすごく地味だからだ。トラックに跳ねられたわけでもなく、神様と漫才をしたわけでもない。話すのが恥ずかしくなるほどあっさりとこの世界に迷い込んでしまった。

 そして残念な事に、俺は前いた世界と全く同じ状態でこの世界に迷い込んだ。魔法の力も素晴らしいスキルも、何一つ身についていない。酷く恥ずかしいからあまり言いたくはないのだが、知っている限りすべての呪文を唱えてみたことをここに告白する。


 と、ここまで愚痴ばかりを連ねてしまったが、俺に起こったのは決して悪い事ばかりではなかった。地獄にも仏がいるものである。

 この世界に迷い込み、人気のない鬱蒼とした森の中を歩くこと3日。とうとう衰弱して気を失った俺が次に目を覚ましたのは暖かいベッドの中であった。森の中で喫茶店を営む老夫婦が俺を発見し、助けてくれたのだ。

 今は優しい老夫婦に甘え、住込みで喫茶店を手伝わせてもらっている。




「おかえりジュン君、釣果はいかほどかな?」


 森の中にポツンと佇む木造の小さな喫茶店。ここが俺のお世話になっている「喫茶やまね」である。立地条件は良いと言えないが、森で仕事をする木こりや狩人、冒険者たちの憩いの場として結構人気がある。

 裏口を開けると、店長がフライパン片手に卵を焼きながら迎えてくれた。俺の本当の名前は純一郎だが、彼らには馴染みのない名前らしく専ら「ジュン」と縮めて呼ばれている。

 俺は彼に挨拶し、胸を張って活きのいい魚の入った籠を傾ける。中を覗き込んだ店長は目を丸くして感嘆の声を上げた。


「素晴らしい、相変わらずの腕前だね。俺と何が違うんだろう? やっぱり竿が悪いのかな」


 店長が腕を組みながら首をひねっていると、奥の方から女将さんがヒョッコリ顔をだして手招きした。


「ジュン君お帰り。お疲れのところ悪いんだけど、お料理運ぶの手伝ってくれるかしら?」

「分かりました、今行きます」


 俺は手すりにかけてあったエプロンを拾い上げ、サッと腰に巻く。

 特別な事は出来なかったが、命の恩人である店長と女将さんに恩を返すため、俺は一生懸命働いている。薪割りや魚釣り、それから喫茶店の手伝いなど仕事は山ほどあるが、ようやくそれらにも慣れてきたところだった。密かな楽しみだってある。


「あ、ジュン君お帰りなさい。お魚は獲れた?」


 細い腕で皿を運びながら笑顔を向けてくれたのはこの店の看板娘、モモだ。彼女は先輩アルバイトであり、喫茶店の仕事はほとんど彼女から教わった。

 優しくて可愛くて、でもちょっと抜けてるところがあり、それもまた可愛い。すれ違いざまに彼女の長い三つ編みが俺の肩に触れるだけで一日幸せな気分で働くことができる。

 俺はモモに悟られないようニヤケ顔を封印し、彼女の元へ静かに歩み寄る。


「バッチリ。あ、お皿運ぶの手伝うよ」

「ここは大丈夫。そこの片付けしといてくれる?」

「う、うん。了解」


 スゴスゴと彼女のそばを離れ、カップや皿を回収する。その時、視界の端に奇妙な常連客の姿が映った。フードつきの薄汚いローブを羽織っているその客はたまにフラリとやってきては珈琲とお菓子を注文していく。フードを目深に被っているうえ、注文時も声を出さないのでその客の性別すら分からない。そしてもう一つ、気になることがある。


「ありがとうございました」


 その客はいつものように無言で席を立ち、喫茶店を後にした。俺はその客の座っていたテーブルの前へ立ち、恐る恐る客が置いて行った硬貨に手を伸ばす。硬貨には赤黒いなにかがべっとりとこびり付いていた。


「やっぱりだ」

「どうしたの、ジュン君?」


 俺の異変に気付いたのか、モモが皿を片手にそっと近づいてきた。


「これ……」


 俺は硬貨を差し出す。モモは何のためらいもなくそれをつまみ上げた。


「うーん、血だね」

「血……だよね」

「うん。後で洗っとくね」


 モモはそう言いながらなんでもない顔をしてエプロンのポケットに硬貨を落とす。彼女がまったく動じないのに驚きつつも、俺の興味はあのフードの客に向いていた。


「ねぇ。あのお客さんって結構常連さんだよね?」

「そうだね、2,3日に一度は来てくれるから」

「あの人って何してる人なんだろ、知ってる?」

「興味あるの?」

「実は前にも血の付いた硬貨が置いてあったことがあってさ。 声だってほとんど聞いたことないし、格好だって怪しいし。モモは気にならない?」

「んー、ここって特殊な場所にあるからね。いろんなお客さんが来るよ。もっと変わった人が訪ねてきたこともあったし、私はどっちかって言うとジュン君の方が気になる」

「ふーん……へっ? 俺? あ、えっと、その、それはどういう……」

「ジュン君ってさ」


 湯気を吹きながら顔を真っ赤にしてアタフタする俺にモモはそっと顔を寄せる。心臓が胸を突き破って床に転がり落ちたような錯覚に襲われた。

 モモは大きな丸い目でこちらを見つめながら、その小さい口を開く。

 しかしその口から飛び出たのは思いもよらない言葉だった。


「本当は王子様なんでしょ?」

「……は?」


 頭がオーバーヒートしたのと、全く意味の分からない話が突然出てきたことで俺の思考は完全にストップしてしまった。

 それをどう解釈したのか、モモはしたり顔で俺を見つめる。


「大丈夫よ、誰にも言ってないから」

「い、いや……どこからそんな発想出てきたの?」

「だって変な服着てたし、世間知らずだし、異世界から来たなんてワケ分かんない言い訳するし。その割には貧しい感じもみすぼらしい感じもしない。これはもう、どっかの国の王子様以外ありえないじゃない!」

「ちょっと話が飛躍しすぎじゃないかな」

「あくまで認めないつもりね? 良いわ、今は何も聞かないでいてあげる。でもいつか本当の事を教えてね」


 そう言ってウインクすると、彼女はキッチンへ入っていった。俺は開きかけた口を閉じて小さくため息を吐く。以前からモモに感じていた違和感を俺は文化の違いによるものだと感じていたが、今ので確信した。

 モモはきっと「不思議ちゃん」なのである。




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