春の木漏れ日 三
「いない、か」
あれから三日。
ライはここに来ていない。
もう一度話をしなければならない。
このままではライと距離が空いたまま変わらないだろうから。
しかし、自分からライを探しには行っていない。
心の中であの時のような言葉や表情を向けられるのが怖いのだ。
「怖いか」
フッと笑う。
誰かに対してそんな感情を覚えるなんて。
誰にどう思われようと何も感じなかったはずなのに、ライには嫌われたくないと思うのだ。
それだけ彼女は私にとって特別なのだと思い知る。
館に戻ろうと林を抜けると丁度こちらに民部が歩いてきた。
「御屋形様もうお戻りになられるんですか?」
「まぁ」
「本日は蕾様はご一緒ではないんですか?」
聞かれて一瞬言葉に詰まる。
「あぁ……」
「そうですか。お伝えすることがあるのですが」
「どうした」
「先ほど使いの者が来て、近々陶様がお戻りになられると」
「そうか」
返事をしながら上を見上げると頬に雨粒がおちてきた。
「雨が降り始めましたね」
次々と降る雨を受けながら何故かライの顔が浮かんだ。
すっかり辺りは暗くなり部屋へ戻ろうと廊下を歩いていると、角から誰かが飛び出してきた。
その人物を受け止める。
それが娘だと気付いた瞬間ライなのではと思う。
「も、申し訳ありませんっ」
慌てた様子で離れた娘はライではなかった。
しかしこの娘は確かライの世話をするよう言った小夜という娘だ。
「本当に申し訳ありませんでした」
そう言って慌てた様子で去っていこうとした小夜の手を掴んで引き止めた。
顔を青くしている彼女の様子に何故か嫌な予感がしたのだ。
「何かあったのか?」
聞くと小夜は目を泳がせる。
「えっと……」
「ライに何かあったのか?」
小夜の目が見開かれる。
そして今にも泣きだしそうに表情を歪めた。
「蕾様が戻られないのです。お昼からは何もなかったはずですなのですが」
まだ戻っていない?
もう夜も更けきっているのに。
「探しているのですがどこにいらっしゃるのか全く分からなくて」
「分かった。私も探そう」
「えっ」
「お主は向こうを探せ。私はこちらを探すから」
目を丸くしている小夜に背を向け歩き出す。
焦りから歩く速さが早くなる。
どこで何をしているんだ。
しばらく探すが全く見当たらない。
焦りだけが増していく。
「くそっ」
イラつきから壁を拳で殴る。
言い争いさえしていなければ直ぐに見つけることが出来たかもしれないのに。
自分が傷つきたくないからとライを避けていたから。
後悔がつのっていく。
ふと顔を上げるとむこうに人影が見えた。
あれは……
私は走りだす。
「おい」
肩を掴みこちらを向かせる。
相手は驚いた顔をし私を見た。
「と、殿?!」
「ライの、蕾の居場所を知っているか?」
聞くと百合は目を見開き視線を逸らした。
「えっと……」
「どこにいるのか知っているのか」
「い、いえ」
歯切れの悪い返答。
私は肩を掴む力を強めた。
「どこにいる?!」
声を荒らげると百合は肩を震わせる。
「昼によもぎを林の奥に取りに行っていただけないかとお願いしたのです。しかし夕方になっても戻られなくて……」
「林の奥か」
あの辺りは崖になっているところが多い。
まさかライは……
最悪の情景が浮かぶ。
「も、申し訳ありません。こんなことになるなんて思っていなかったのです」
縋るように百合が言ってくるが、掴んできた手を振り払う。
「話は分かった。ほかに知っていることは?」
「あ……蕾様を探そうと林に入ったとき男を見たのです。関係あるのかは分からないのですが」
言葉が終わらないうちに私は歩き出した。
嫌な予感しかしない。
「頼むから無事でいてくれ」
私は林へと急いだ。
奥へ入って行くにつれ歩きにくくなっていく。
一度雨が降ったからライの足跡など残っていない。
闇雲に探しても埒が明かないな。
確かライはよもぎを探していた。
ならばよもぎを探せばたどり着くか?
松明を地面に向け必死によもぎを探す。
これで見つけられるかは分からないが今はこれしか方法が無い。
いくつか見つけていき数か所目。
一か所に集まっている場所を見つけた。
しかし奥は崖になっているようだ。
「まさか」
崖の方に近づき体を乗り出す。
明かりを下に向けてみると誰かが倒れている。
「ライ!!」
倒れているライと目が合った。
「殿……」
かすれた声。
私は急いで崖を下りライの元へ行った。
体を抱きかかえると雨に濡れたのかひどく冷たい。
「大丈夫か?痛い所は?」
頬に手を当ててみると感じる体温は熱い。
こんな目に合わせてしまうなんて。
胸が痛む。
そんな私にライは微笑みを浮かべ寄りかかってきた。
「大丈夫。来てくれてありがとう」
そう言って眠ってしまった。
ライの体を強く抱きしめる。
無事で本当によかった。
眠るライの顔を眺める。
幸い大きな怪我はなく熱も段々と下がっているらしい。
こうしてライの顔を見れたことにホッとする。
しかし同時にもしかしたら失っていたのではないかという恐怖が心を包む。
崖がさほど高さがなかったからこれくらいで済んだが、もしもっと高ければ。
見つけることが出来ずあのままになってしまっていたら。
そんな考えが次々と浮かぶ。
ライを愛おしいと思う反面失ってしまうのではと怖いのだ。
厄介だなこの気持ちは。
それでも嫌だとは思わない。
誰かをこんな風に思えるなど思ってもみなかったが、そんな相手を見つけることが出来たことが幸せなのだと思う。
ふとライがゆっくりと目を開けた。
ぼんやりと天井を見つめている彼女の額に手を乗せる。
「目が覚めたか。気分はどうだ?」
聞くとライは微笑んで頷いた。
大丈夫という事だろう。
額においた手を横に移動させると髪に隠れていた傷があらわになる。
所々ある傷に私はライから手を離した。
「すまぬライ」
「どうして謝るの?」
ライは離した私の手を握り聞いてきた。
「ライを危険にさらしてしまった」
「それは殿のせいじゃないでしょ?」
いや私のせいだ。
かすり傷とはいえ顔に傷がついてしまうようなことになってしまった。
それもこれも直ぐにライと話をしに行こうとしなかった私のせいだ。
「目を離さなければこんなことには……」
吐き出してしまった言葉。
後悔が心を覆う。
俯くと頬にぬくもりが触れた。
顔を上げるとライが微笑んで私を見る。
「そんなことない。私はあなたが見つけ出してくれて凄く嬉しかった」
言葉が心に沁みこんでくる。
私を見つめてくれるライに愛しさがこみ上げてきた。
「そうか」
泣きたいほど嬉しい。
彼女を失いたくない。
私に向け微笑むライにそう思った。
***************
「うぅぅぅ」
唸り声に似た声に閉じていた目を開け横を見る。
隣にいるライは眉間に皺を寄せて本を睨みつけていた。
ライと出会ってからどれだけ経ったのか。
こうして二人林で過ごすのはもう何度目だろう。
「また忘れたのか?」
からかうように言ってやるとライはムッと口を尖らせ私を睨む。
「仕方ないじゃない、難しいんだもん」
拗ねた表情にクスクスと私は笑った。
それに対しライはますます頬を膨らませる。
「あぁーもうやめやめ」
そう言ってライは後ろに寝転がった。
またか。
私はそんなライの姿にクスリと笑う。
こうやっていつも「もうやらない」と言うくせに次の日にはまた文字を教えろと言ってくる。
飽きっぽいくせに負けず嫌い。
からかうと面白いくらい反応をする。
手を伸ばしライの額に触れた。
髪をよけると綺麗な肌が見える。
良かった傷は残らなかったようだな。
あの時の傷が残らなくてホッとした。
綺麗な肌なのだから残っては不憫だからな。
そう思いながら額を撫でていると、ライは勢いよく起き上った。
「ねぇ!綺麗だと思わない?」
「ん?」
ライは上を指さしている。
「朝少し雨が降ったか葉っぱに雨粒がついてる。それを太陽の光が照らしててキラキラしてるでしょう?」
そう言われて上を見上げてみると、ライの言うように葉についた雨粒が光を反射しきらめいている。
確かに美しい。
「そうだな」
ライが私の顔を覗き込んだ。
「なんだ?」
「ううん。ほんと綺麗だよね」
そう言ってライは微笑みを浮かべた。
その表情に息が止まる。
普段は子供のようなのに、ふとした瞬間目を奪われるような顔をする。
そんなライを見るたび愛しさは増していく。
彼女と過ごすようになって世界に色がつくようになった。
ライに出会う前ならこの景色を美しいとは感じなかっただろう。
手を伸ばしライの髪に触れた。
「ど、どうしたの?!」
目を丸くして私を見るライに笑みが浮かぶ。
髪を掻き混ぜるように撫でる。
「ちょっ、ちょっと!」
私の手から逃れライは私を睨みつけながら髪を抑えた。
「もう何なのよ」
ライは頬を膨らませる。
「ハハハッ」
「笑わないで!」
身を乗り出して怒るライに笑みを浮かべつつ私は寝転がり目を閉じた。
ライとの優しく幸せな時。
この時間がずっと続けばいい。
出来ればずっとこのままで……




