84.桜の季節
大学二年の春休み。
私は所属している『日本歴史同好会』の活動旅行で山口県功山寺に来ている。
日本歴史なんて堅苦しい名前の同好会だけど、実際は歴史好きが集まって色んなところに旅行に行く、というのが活動のほとんどだ。
今回も長期休暇恒例の旅行で四日間の日程で九州巡りをしていた。
ほんとは今日真っ直ぐ東京に戻る予定だったんだけど、メンバーの一人が行きたい所があると言って急遽ここに来ることになった。
「もうどこ行ったんよ」
桜が満開のお寺の中を見回しながら私は溜息をつく。
さっきまで隣にいたはずの友達が居なくなったのだ。
「先輩ちょっと抜けていいですか?」
「ん?どうしたんだ春野」
「はぐれちゃったみたいで」
苦笑いを浮かべると先輩は納得いったのか同じように苦笑を浮かべた。
「またか。お姫様は気まぐれだな」
「本当に」
「気をつけて行けよ」
「はい」
先輩の言葉に頷いて私は駆け出した。
本当に世話のかかる子だよ。
***************
探しながら歩いていると桜が密集している区画があった。
桃色に染められたそこはまるで別世界のように感じる。
足を止めぼんやりと眺めていると、奥の方に人影を見つけた。
あの髪、あの服装は。
「見つけた」
私は人影、彼女の方へ向かう。
そして声が届くくらいの距離になったところで彼女に向かって叫ぶ。
「桜!何しとんのー!!」
声に気づいた桜がこちらを振り向く。
驚いた表情をする彼女の顔を見て、私は足を止めた。
「桜……?」
「あ、美玲ちゃん」
私だと気づいた桜は微笑む。
だけどその頬には涙が流れていた。
本人はそのことに気づいていないのか驚く私を不思議そうに見つめながら近づいてくる。
「どうしたの?」
「だっ……て、あんた泣いてるし」
「へ?」
桜は自分の頬を拭い「おわっ」と本気でビックリしている。
「どうしたん?なんかあったん?」
「ううんなんて言うか、桜を見てたからかな」
そう言いながら桜は天を見上げる。
見えた瞳は悲しげで。
よく桜が見せる瞳だ。
桜はどんな時も笑っているけど、どこか目は悲しみが滲んでいる。
それが彼女を儚げに見せ、守ってあげないとと思わせるのだ。
だけど今日の桜は少し違う気がする。
悲しそうな瞳だけど、その中に少し喜びが、含まれているように感じた。
「あの、みんな心配してるから帰らへん?」
何となく彼女がこのまま消えてしまうのではないかという不安にかられた私は、桜の腕を掴んだ。
桜は上に向けていた顔をこちらに向け、頷いた。
桜とは大学に入ってからの友達だ。
関西から東京に出てきて不安だった私に一番最初に声を掛けてくれたのが桜だった。
それ以来彼女とは大体一緒に行動している。
話し掛けてくれた事がキッカケではあったけど、何だか桜とはずっと前から知り合いだったのではないか、とたまに思う時がある。
桜は綺麗で大人っぽくて、大学内では男女問わず人気がある。
入学当初から男子からの告白は絶えることなく、他大学生からも告白されたことがあるとか。
モテない私からすれば羨ましい限りだ。
だけど本人は恋愛には興味がないらしく、知り合ってから男と付き合っているところを見たことがない。
「ねぇなんで桜は誰とも付き合わんの?」
「え、いきなり何?」
みんなと合流しようと歩いている最中、常々疑問だったことを口にしてみた。
「いや、何かふと気になって」
「うーん。この人じゃないって思うから、かな」
「でもモテるじゃん。一人くらいいいかもっていう人おらんかったん?」
噂では学内一のイケメンやモデルをしている人からも告白されたとか。
「じゃあ誰かと付き合ったりしたことはあるん?」
「付き合ってた、って言うのかな」
桜は苦笑いを浮かべ少し考え込む。
「うん。多分付き合ってた」
「なんやそれ」
まさか好きになったらダメな人を好きになったとか?
彼女持ちとか、まさか不倫?!
いやいや、桜に限ってそんなことあるわけない。
悩みながら歩いていると、ふと隣にいたはずの桜がいないことに気づく。
慌てて振り返ると彼女は少し後ろで立ち止まり桜を見上げていた。
「大好きだった。ううん、今でも愛してる。次いつ会えるのか、会えるかすら分からないけど、私はあの人に必ず会えるって信じてるの」
言葉を切った桜が私の方に顔を向ける。
「それに、私はあの人しか愛せないから」
花が咲いたような笑顔。
その表情は女の私でも引き込まれてしまいそうなほど幸せそうで、綺麗で……
きっと心の底から好きな人がいるからこそできる素敵な笑顔。
なんか桜がモテる理由が分かったような気がする。
いつも悲しけな笑みを見せる桜のこういう笑顔を見てみたいと思うのだろう。
「そっか。じゃあもしその人が見つかったら紹介してな。桜にそんな顔させる男のことすごい興味あるわ」
ヘラっと笑って言った私に桜はいつもの悲しげな笑顔を浮かべた。
ずっと何で桜は悲しそうに微笑むのだろうと思っていた。
だけど今桜の話を聞いて分かった気がする。
探してるんだ、その人を。
桜がさっきみたいな笑顔をいつもしていられるようになったらいいのに。
私は桜を見ながらそう思った。
***************
先輩たちと別れた所に辿り着いた。
だけど予想通りみんなの姿はない。
基本マイペースなメンバーだからな、待っているとはあまり期待していなかった。
だけど困った。
別れた時よりも人が増えていて、みんながどこにいるのか検討もつかない。
「人いっぱいだね」
「ほんまに。先輩に連絡してみよか」
ケータイを出そうと鞄を漁っていると向こうの方で手を振っている人物に気づいた。
「げ、あれって」
誰か分かった。
分かってしまった……
桜の方を見ると彼女も分かったようで困ったように笑っている。
「桜先輩!どこ行ってたんですか。心配して探し回ったんですよ」
満面の笑みで桜の元に駆け寄った男、井上翼は私たちの一つ下の後輩。
入学式の時偶然見かけた桜に一目惚れしたらしく、その場で告白するという大胆かつ無謀の行動をとった。
まぁ結果は言わずもがな。
それでも翼は諦めず、毎日アタックをし続け同じ同好会にまで入った。
そんな彼を私たちは密かに『桜の忠犬』と呼んでいる。
「ちょっと、私もおるのに完全無視かぁ?」
「イテッ!美玲先輩暴力は良くないですよ」
ムッと頬を膨らませる翼はいわゆるカワイイ系男子。
本人は桜に釣り合う男らしい男になりたいらしいけど、多分無理だろうな。
「みんな桜先輩がいきなりいなくなるからビックリしたんすよ。何処か行くなら一声かけてください」
「ごめんね」
心配そうな翼とそれに微笑む桜。
押せ押せで強引なところがあるけど、憎めない性格の翼を桜は後輩として好いているみたい。
彼と話す時桜は楽しそうな顔をするから。
「一人で行くなら僕も連れて行って下さいよ。先輩の為なら火の中水の中。どんな場所にでも行きますから!」
キラキラとした瞳を向ける翼に、桜はなんともいえない笑みを浮かべる。
ただこういうところさえなければもう少し桜の好感度が上がると思うんだけのな……
まぁ桜には心に決めた人がいるからどう足掻いてもダメなんだけど。
「まぁ取り敢えずみんなと合流しよ。翼はみんながどこおるか知ってるん?」
「せっかくだから花見をしようってもう少し行ったところの大きな桜の木の所に」
なんとか上手く話を反らせたみたいで、翼は桜から目を外し歩き出した。
桜はホッと息をつき私に小さく「ありがとう」と笑った。
今までなら一途な翼に答えてあげればいいんじゃないかって思ってたけど、桜のあんな話を聞いちゃったらね。
きっと桜をあんな風に笑わせられるのは『あの人』だけなんだろうし。
「先輩早くしないと置いていきますよー!」
ピョンピョン跳ねながら手を振る翼。
翼に真実を話した方がいいのだろうか。
ただ、あの桜大好きな忠犬君に諦めろと言っても簡単には諦めないんじゃないかって思うけど。
私はこれからも苦労するであろう桜の肩をポンッと叩いた。




