79.空虚
修学旅行から一週間。
どこかまだそわそわした雰囲気が残っていた生徒もそろそろ日常に戻り始めていた。
生徒の座る教室。
黒板の前で話す先生。
机に置かれたノートや鉛筆。
そして自分が袖を通している制服。
全てが当たり前の事のはずなのにそれに違和感を感じて仕方がない。
進んでいく時間から取り残されているような。
私の心はまだ倒れて目を覚ましたあの日から動いていないような気がする。
チラリと机の端に置いた手帳に目をやった。
手に取り開くと内側のポケットに紙が挟まっている。
それはあの日ポケットの中にあった『あいしてる』と書かれた紙。
こんなのイタズラだって分かってる。
もしラブレターとかだったとしてもこれじゃ誰が書いたのか分からない。
それに高校生が全部平仮名で書くっていうのもおかしいし。
なのにどうしても捨てることができない。
しかも手放したくないと思ってこうやって学校にまで持ってきてる。
ちなみに簪もカバンの中だ。
相変わらずこれらを見ると切なく愛しい気持ちになるのに、どうしてそう思うのかは思い出せない。
それに最近同じ夢を見る。
起きたら泣いているとても悲しい夢を。
***************
「桜お昼食べないの?」
声がしてハッと我に返る。
目の前には小夜子姿が。
「あれ、授業は?」
「何言ってんのよ。とっくに終わって今は昼休み」
周りを見るとみんなそれぞれお弁当を食べたり話をしたりしている。
「大丈夫?」
心配そうに覗き込む小夜子に私は首を振って笑みを浮かべた。
「大丈夫!ちょっと考え事してただけだから」
「ふぅん。まぁ分からなくもないけどね」
納得したような笑みを浮かべ小夜子は横に目を向ける。
私も同じように横を向くとクラスメイトの女子が立っていた。
「桜ちゃんまた呼び出しなんだけど」
指さした方を見ると男の子がこちらの様子を伺っていた。
またか……
「分かったありがとう」
私は笑みを返して立ち上がる。
「人気者は大変ねぇ」
「からかわないでよ」
「フフ、だって面白いんだもん」
ケラケラ笑う小夜子に私はムッと口を尖らす。
「まぁ行ってきなよ。今か今かとそわそわしてるだろうから」
そう言って小夜子は私の背を押す。
確かに待ってくれてるんだから早く行かないと。
「分かった」
「いってらっしゃい」
手を振る小夜子に背を向けて私は男の子の方へ走った。
「あっちも気が気じゃないだろうなぁ」
後から声をかけてきた子から、小夜子が私の背を見ながら不敵な笑みを浮かべていたと聞いた。
「お待たせ」
男の子に笑みを向ける。
「いや、いきなりごめん。ちょっと話があるんだけどいいかな」
「うん大丈夫」
「ここじゃあれだから場所変えていい?」
「うん」
私が頷くと男の子は歩き出す。
私もそれについていった。
***************
着いたのは中庭。
周りには誰もいない。
立ち止まった男の子は意を決したように私に振り返った。
「あのっ俺隣のクラスの橘っていうんだけど」
「はぁ」
何度か見たことはある子だ。
だけど話したことはなかった。
「話すの初めてなのにこんなこと言うのどうかと思うんだけど……」
顔を赤らめて話す男の子。
その先の言葉は分かる。
「俺と付き合ってくれないかな?!」
最近変わった事がある。
修学旅行から帰ってから、何故かモテるようになった。
告白もこれで何度目だろう。
こうやって呼び出しされるのは大体小夜子だった。
それが羨ましいと思ってたのに。
私の心には悲しみだけが生まれる。
「ごめんなさい」
また同じ答えを口にする。
その度相手はそうかと悲しそうな笑みを浮かべ一言二言言って去っていく。
そしてその後姿を眺めながら思う。
あの人は違う。
一体誰と違うのか。
秀じゃないから思うのかな。
自問しても答えは出ない。
その度、胸が苦しくなる。
***************
「また告白断ったらしいね」
帰る準備をしていると小夜子がニヤニヤしながら話しかけてきた。
「まぁ」
「遂に桜にもモテ期が来たのねぇ」
しみじみと言う小夜子。
確かに今私はモテ期なんだろう。
だけどちっともうれしくない。
だっていくらモテたって好きな人から告白されなけれ意味がない。
好きな人に……
「何でこんなことになってるんだろ」
「桜雰囲気変わったからね。大人っぽくなった」
そうなのか?
特に何をしたわけでもないんだけど。
「やっとみんな桜の魅力に気づいたのよ」
「けど私は……」
教室の前の方にいる秀に目を向ける。
私が好きなのは秀なんだ。
だから他の人に告白されても……
「大丈夫よ。あっちもそろそろ動き出すだろうから」
「へ?」
「いや、こっちの話」
小夜子の言葉に首を傾げつつ帰る用意を続ける。
教科書を入れようとした時、入れていた簪が目に入った。
モテ期も悩みどころだけど、それより私の頭を占めている悩みはこれが何なのかということだ。
「おーい手が止まってるぞー」
小夜子が声をかけてきてハッと我に返る。
いけない、また考え込んでた。
「最近ずっとぼんやりしてるよね。声かけても返事しない時あるし」
「あー……ごめんね」
心配そうに覗き込む小夜子に苦笑いを浮かべる。
確かに最近物思いにふけると周りが見えなくなってしまう。
「悩みがあるんだったらちゃんと相談してよ?」
「うん、ありがとう大丈夫」
笑って返すと小夜子は悲しそうな表情を浮かべ、私の頭を撫でた。
「あんたの悪い癖よね」
「へ?」
小夜子の言葉に首を傾げる。
そんな私に小夜子は首を振った。
「ううん何でもない。さぁ帰ろうか」
「うん……あ、今日委員会があるんだ!」
思い出して慌てて立ち上がる。
時計を見ると始まるまでもう十分ほどしかない。
「ごめん今日は先帰ってて!!」
「分かった。あんまり慌てすぎて転ばないでよ」
「うん!」
小夜子に手を振り私は急いで教室を出た。
その時、一瞬秀と目が合った気がした。




