77.終演
「なんか冷静になってきました」
「すまないね……」
私は村の外れにあるお産小屋にいる。
あの後、案の定転んでドロドロになった小夜ちゃんがお婆さんを連れてきてくれ、四人でここに移動した。
それから数時間。
「ま、まだなんでしょうか。大丈夫ですよね?!」
部屋の中を行ったり来たりしてオロオロしている。
ずっとこの調子の小夜ちゃん。
一度慌てすぎて床に置かれた桶をひっくり返してお婆さんに怒られていた。
「初産だから時間がかかるのさ。どうだい蕾さん」
「えっと……うっ」
返事をしようとした瞬間今までで一番の痛みが襲う。
「そろそろかね」
そう言ったお婆さんは私を部屋の中央にある柱の所まで移動させた。
この時代ではしゃがんだ状態で子供を産むらしい。
驚いたけどやるしかない。
「だいぶ間隔が短くなってきたね。だけどまだいきんじゃいけないよ」
「は、はい」
痛みで息をするのすら苦しい。
どんどん体力が奪われていく。
「蕾様っ」
小夜ちゃんの声がだんだん遠くなる。
目が霞んで視界が歪む。
背をさすってくれている小夜ちゃんの手の感触だけが私を現実につなぎ止めてくれていた。
「いいよ、いきんで!!」
朦朧とした意識の中、聞こえたお婆さんの言葉に私は弾かれたようにお腹に力を入れた。
ありったけの力を込める。
息を整え力を入れ、また息を整える。
ただがむしゃらにそれだけを続けた。
出産って考えてたより何倍も辛い。
だけど今私は一人じゃない。
この子も必死に頑張ってる。
この世界に生まれようと必死に。
だけどだんだんと周りの声が聞こえなくなってきた。
自分の荒い息だけが耳に響く。
「頭が見えたよ!あと少しだよ!」
そんな声が微かに聞こえた。
だけどもう力が入らない。
自分の体を支えるだけで精一杯で、なかなかいきむことができない。
少しでも気を緩めたら倒れてしまいそう。
神様、どうかもう少しだけ私に力を下さい。
この子は私と義長様がここで生きていたという証なの。
だからどうか……
「蕾様っ!!」
あ、もうだ……め……
柱を掴んだ手から力が抜けていく。
『ライ』
名を呼ばれハッと目を開く。
手に愛しい温かさが触れた。
そして目の前に……
「義長……様……?」
呟くと彼は微笑み私の頬を撫でた。
その瞬間全身に力が湧いてくる。
私は力いっぱいいきんだ。
するとフッと今まで感じていた重みが消えた。
「あ……」
誰かの呟く声がした。
次の瞬間部屋の中を赤ちゃんの鳴き声が響き渡る。
声を聞いて私はただ荒い息を吐き出した。
頭がボーっとしてただ呆然とする。
チラリと横に目をやると、お母さんが満面の笑みで泣く赤ちゃんを産湯に入れる姿が目に映った。
それからだんだんと喜びが湧き出してきた。
「蕾様お生まれになりましたよ!!」
涙を流しながら小夜ちゃんが私に語りかけた。
「よく頑張ったね」
お婆さんが背を撫でてくれる。
「蕾さん見な。元気な男の子だ」
そう言ってお母さんが私の前にしゃがみこむ。
目の高さになった腕にはまだ泣いている赤ちゃんが。
「あ……」
涙が溢れた。
赤ちゃんの顔には少し義長様の面影がある。
義長様の子なんだから当たり前か。
「ハハ、でも私の要素は一つもないや」
思わず笑う。
わが子に触れようと手を伸ばしたが、そこで私の意識は途切れた。
***************
目を覚ますと目の前には木の天井。
なんかこんなこと前にもあったな。
ぼんやり天井を眺めているとだんだん頭がハッキリとしてきた。
そうだ、私あのまま気を失ったんだ。
起き上がろうとしたけど、体が鉛のように重く途中で諦める。
「いよいよ私も、かな」
何故か分からないけどもうすぐ自分は死ぬのだと確信した。
まるで今は神様が最後にくれたささやかな時間のように感じる。
そっか、私死ぬのか。
だけど、不思議と恐怖はない。
ふと隣に暖かさを感じゆっくりそちらに目を向ける。
そこにはスヤスヤと眠る赤ちゃんがいた。
私の、私たちの子供。
自分が産んだくせになんだか妙な気分だ。
まさか自分が子供を産むことになるなんて考えもしてなかったから。
小さな頬にそっと触れる。
するとくすぐったそうに身をよじり、また幸せそうに寝息をたてた。
「ほんと義長様にそっくり」
今でこうなんだから成長したらもっと似てくるのかな。
そう思うと涙が溢れた。
あぁ出来ることならこの子の成長を近くで見ていたい。
この子はどんな声をしているんだろう。
どんな事を考えるんだろう。
どんな風に笑うんだろう。
だけどそれは叶わぬ願いなのだと全身を包む鈍い痛みが私に突きつける。
グッと力を入れ起き上がった。
脇に置かれた着物をはおり、髪を結っている紐を解いた。
義長様に貰って、ずっと使ってきたもの。
それを赤ちゃんの腕に巻き付け、額にキスをした。
「この子に沢山の幸せが訪れますように」
***************
「ハァハァハァ」
重たい足を引きずりながら必死に歩く。
もうすぐ命が終わるのなら、最後にどうしても見ておきたいものがある。
足が絡んで地面に膝をついた。
だんだん体の感覚がなくなっていく。
それと比例して胸の痛みが増す。
せめて、せめてあそこまで。
自分に鞭打ち立ち上がる。
やっとのことでたどり着いたのはこの前小夜ちゃんと見た桜の木の前。
大好きな桜。
義長様が私だと言ってくれた花。
ホッと息をつくと一気に全身から力が抜ける。
どっと疲労が襲い私は木にもたれかかって座り込んだ。
前に目を向けると山にかかった夕日が村をオレンジ色に染めていた。
あの山の向こうの功山寺がある。
義長様達はあのひっそりとした悲しい場所で眠っているのだろうか。
私は目を閉じる。
脳裏にここで出会った人達の顔が浮かぶ。
民部君。
内藤さん。
鶴寿丸君。
野上さん。
百合さん。
忠。
凜太朗。
小夜ちゃん。
そして……
「義長様」
ここに来て沢山の人に出会い、かけがえなのないものを見つけ、失い、そして残した。
ここでの日々は幸せなことより辛いことの方が多かったかもしれない。
だけど私はここに来たことを不幸だとは思わない。
義長様と過ごした時間はとても短かったけど、人生で一番幸せな時間だったから。
「私と出会って、愛してくれてありがとう」
手を伸ばし呟く。
意識がゆっくりと薄れていった。
義長様。
私、精一杯頑張れたかな。
貴方との約束は守れなくなっちゃった。
だけどもう一つの約束は必ず守るから。
どんなに遠く離れても、どれだけ時間がかかっても、私を見つけてくれるって信じてるから。
ずっと貴方を待ち続けるわ。
ううん、私だって貴方を見つけてやる。
だって、私には貴方だけなのだから。




