74.手紙
「蕾……」
忠が私の肩に触れる。
「早く逃げる準備をしないと、ここに俺たち以外の毛利の兵が来る」
言いにくそうに顔を歪める。
そうだ、今の私達には悲しんでいる時間さえない。
私は大きく息を吐き体にグッと力を入れ立ち上がる。
「そうだね。荷物まとめてくるよ」
涙を拭い忠達に笑顔を向ける。
私にはまだやらなきゃならないことがある。
だからここで立ち止まってはいられないんだ。
立ち上がった小夜ちゃんと共に私達はお寺の奥へ向かった。
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荷物をまとめながらふと民部君から託された義長様の手紙を見る。
いったい何が書かれているんだろう。
好奇心にかられ私は手紙の中を見た。
そこには短い文章が。
和歌……かな。
そういえば昔の人って最後に句を読むんだっけ。
私はそっと紙を折りたたみ荷物の一番上に置いた。
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準備が整い私達は玄関に戻った。
「お待たせ」
私の声に待っていた三人が振り向く。
「忘れ物はないか?」
「うん」
私は忠の言葉に頷いてから住職さんの方を見た。
「色々とお世話になりました」
「いえ。八郎様方の供養は私が致しますのでご安心を」
「はい」
私は荷物から手紙を取り出す。
「あの、これを」
「これは?」
「殿の最後の言葉です。私じゃ未来に残せないから」
多分このまま持っていたら手放せなくなってしまう。
なら今ここでこの人に託そう。
私達を助けてくれた。
そして義長様のことを好きだと言ってくれる古川先生に似たこの人になら安心して任せられると思うから。
住職さんが差し出した手紙を受け取る。
「中を拝見してもよろしいですか?」
「ええ」
私が頷くのを確認してから住職さんは手紙を開く。
そしてそれを読んだ後悲しげな瞳をした。
「貴方はこれをお読みになられましたか?」
「いえ、文字が読めなくて」
首を振った私に住職さんは頷き手紙に目を落とした。
「誘ふとて 何か恨みん 時きては 嵐のほかに 花もこそ散れ。こうして死ぬことになっても、恨む事など何も無い。たとえ嵐が来なくても、いずれ花は散るのだから、という意味ですね」
誰かのすすり泣く声がした。
人生を他人に狂わされ、多くの人に見下され、そして裏切られ。
誰かを恨んでもいいくらいの人生だったはずなのに。
「あの人らしいです」
そんな人生だったとしても、それでも義長様は笑うんだね。
これが自分の人生なんだって。
住職さんが私の手を強く握った。
「必ず未来に残しましょう。あの方の、そして貴方の想いを」
「ありがとうございます」
私も彼の手を握り返した。
「蕾様そろそろ」
「うん」
小夜ちゃんの言葉に私は住職さんの手を離そうとした、だけど離れかけた手をもう一度掴まれる。
「あぁそうです。貴方に渡さなければならないものがあった」
そう言って住職さんは私の手を離して自分の懐から紙を取り出した。
「八郎様から貴方へと。先程行かれる前に託されたのです」
そういえば私が民部君と話してる時、義長様は住職さんと話してたっけ。
「ありがとうございます」
受け取った紙は四つ折りになっていて手の平に収まるほど小さい。
私は恐る恐る開いてみる。
中には文字が。
それを見て私は目を見開いた。
あぁ、やっぱり貴方は酷い人だ。
「こんなの残していくなんて」
書かれた文字は私にも読める。
ううん、ここでは私にしか読めない。
まだあの屋敷にいた頃。
私が教えた現代の平仮名で。
『あいしてる』
涙が溢れた。
義長様は好きだとかそう言うことは言ってくれなかった。
自分の気持ちをあまり表に出さない人だったし、そもそもこの時代では愛とかそういうのを言い合うことはほとんどないらしい。
でも義長様は行動で私のこと好きだって示してくれてた。
それは私にも充分伝わってた。
だけどやっぱり言葉にしてほしいなって思ったりもしてた。
恥ずかしこと平気でする人だったけど、まさかこんなことしてくるなんて。
どこまで貴方のこと好きにさせるんだろう。
私は紙をギュッと抱きしめた。
「ありがとう。私もよ」
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お寺を出て林を進む。
忠と凜太朗を追って歩いているけど、辺りには人の気配は全くしない。
「誰もいないのね」
「この辺は俺たちの持ち場なんだ。それに他は今頃……」
凜太朗が言葉を濁す。
今頃他の人は義長様達の方へ行っているんだろう。
「そっか。じゃあ今の内に行かないとね」
笑った私を凜太朗は複雑そうに見つめていた。
しばらく歩くと林を抜けた。
少し先には山が連なっていて、あれを二つほど越えれば小夜ちゃんの村があるらしい。
「俺たちはここまでだ」
忠と凜太朗が立ち止まり振り返る。
「これからどうするんだ?」
「小夜ちゃんの村にとりあえずは」
「私の村は山と山の間にあって他の人はほとんど訪れないんです。ですからしばらくは安全かと」
小夜ちゃんの言葉に二人はホッと安心した顔をした。
あ、そういえば。
「忠にこれ返さなきゃ」
私は荷物から地図を取り出した。
「次会ったときに返すって約束だったでしょ?」
本当は忠達の村へ行って、だったけどそれは難しそうだから。
「あぁ」
地図を受け取り彼は何か思い悩むように俯いた。
そして顔を上げると小夜ちゃんの方を見る。
「なぁお前の村ってどの辺なんだ?」
聞かれた小夜ちゃんは困ったように私に視線を送った。
助けてくれているとはいえ毛利方である二人を警戒しているんだろう。
私は大丈夫だと微笑んだ。
それに小夜ちゃんは微笑んで忠を見る。
「地図ではこの辺りかと」
指さした所に忠は印を付ける。
「分かった。事が収まったら会いに行くよ」
「そうだな。その頃には蕾も子を産んでるだろうし、見に行ってやるよ」
私に微笑む忠と凜太朗。
「うん、この子のこと見に来てね」
私は頷いて、そして二人の方へ駆け出した。
「おっと」
「うわっ」
驚く二人を抱きしめる。
「ありがとう。こんなことになっても私の友達でいてくれて」
そう言うと二人はそれぞれ私の頭を撫でる。
「それはこっちの言葉だ。俺たちのこと信用してくれてありがとう」
「ごめんな、こんなことになっちまって」
「ううん」
私は一度ギュッと抱きしめ、そして体を離した。
「それじゃあ私行くね」
笑顔でそう言った。
忠と凜太朗はそんな私に毛利で別れた時のように手を振って微笑む。
「「あぁまた会おう」」
私は二人に背を向けた。
胸元にしまった紙を握りしめる。
涙はここに置いていこう。
やるべきことをなすまで、私はもう泣かないから。




