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桜の蕾《完結》  作者: アレン
6章
73/99

73.消えゆく

部屋に戻ると義長様は雨戸を開けて庭を眺めていた。

私がいない間に着替えたみたいで、真っ白な着物に身を包んでいる。



死装束だ。



それが分かった瞬間心の中にあった希望が崩れる音がした。


私の目に涙が溜まる。


「ねぇ、考え直してよ……」


泣きながら言う私に義長様は困ったような笑みを浮かべながら近づいてきた。


「ライ」

「貴方を失いたくないの」

「あぁ」

「貴方がいなくなったら、私どうしたらいいのか分からないよ」

「すまぬ」


義長様が私を抱きしめる。


「私は大内の人間として死にたいのだ。分かってくれ」

「うっ……っ……」


家のため、主君のため命をかけてきた人たちを見てきた。

義長様も最後まで大内の当主として生きたいんだ。


「嫌よ、嫌……」


だけど私は足掻くようにそれだけを発し続けた。

そんな私の髪を撫で。


「桜」


耳元で私の名を呼ぶ。


「私が今日まで私でいられたのは桜がいたからだ」


顔を上げると義長様は大好きな笑顔で私を見つめ、瞳に溜まった涙をそっと拭った。


「なんの力もなく、ただ道具と成り果てるしかなかった私を大内の当主にしてくれたのは桜だ。お前がいたから『大内義長』でいられた」


ありがとう、と微笑む。


それに私は首を振る。


そんなことない。

私はそんな大それたことしてないもの。

ただ側にいたいと願っただけ。


「桜に出会ってから、私の世界は色付いた。そして様々なことを与えてくれた」


私の頬を愛しげに撫でる。

その手に涙が伝う。


「誰かに側にいてほしいと思う時がくるとは考えもしていなかった。私は一人で生きていくものだと思っていたから。だが、お主は私の側にいると言ってくれた。それが私にとってどれほど幸せなことだったか」


私だって貴方にたくさんのものを貰った。


貴方が手を差し伸べてくれて、守ってくれて、大切にしてくれて。

だから私は今ここにいられる。


「ただ一つ、心残りは子をこの目で見られぬことだな」


そう言って愛しげに私のお腹を見つめる。



じゃあ生きてこの子に会ってあげてよ。


そう言いたいのに涙が詰まって言葉が出ない。

ただ嗚咽だけが発せられる。


「桜との間に子が出来たと知った時、どれほど幸せだったか。あの瞬間生きていてよかったと心底思った」


あの時の義長様を思い出す。


あの頃に戻りたい。

あの幸せな時にもう一度。


「桜と子は私の宝だ。たとえこの身が失われようと、側で見守り続けよう。だからお主は生きてくれ」


生きてくれ、なんて。

なんて酷いことを言うんだろう。

私が貴方なしで生きていけるわけないじゃない。

そう知ってるくせに。


「子を頼む」


そうやって私が断れないような事を言う。


私にとっても子供は宝物だ。

だってこの子は義長様との子なんだもの。

絶対に無事産んであげたい。




あぁ、私を置いていこうとする義長様なんて嫌いよ。



だけど心底愛しい人。


貴方がそう望むなら……



「分かった……」


小さく呟くように言った私を義長様は抱きしめる。


「ありがとう」


私は彼の胸の中でただただ泣いた。

温かさと匂いを少しでも覚えておきたくて、すがるように体をくっつける。



しばらくして義長様が私を離した。


「そろそろ行かねば」


微笑んで立ち上がる。

そして手を差し出し、私はそれをとって立ち上がった。






その後は無言で部屋を出る。



来た時には趣があると思った庭はもの寂しく、まう桜は悲しみを誘う。








玄関に辿り着くと住職さんと小夜ちゃん、入り口の方には忠と凜太朗が。

そして義長様と同じ白に身を包んだ民部君、野上さん、鶴寿丸君。


「すまぬな。お主達まで巻き込んでしまって」


義長様が申し訳なさそうにそう言うと、野上さんが首を振った。


「何を仰りますか。私共は最後まで御屋形様のお供を致します」


民部君と鶴寿丸君も頷く。

それに義長様は嬉しそうに微笑んだ。



「蕾」


鶴寿丸君が私の方へ駆けてくる。


「鶴寿丸君……っ……」


私は彼を抱きしめた。


「蕾、私は陶晴賢の子として死ぬのだ。だからそんな悲しそうな顔をするな」


顔を上げ、合わせた鶴寿丸君の瞳は義長様と同じ覚悟がある。


「なぁ蕾、一つ約束してくれないか?」

「何?」

「元気な子を産んでくれ。そしてその子を大切にしてあげてくれないか」


その言葉に目を丸くする。

鶴寿丸君は泣きそうな笑みを浮かべた。


「そして、たまにでいいから私を思い出してくれ」


私はギュッと彼を抱きしめた。


ばかね。


「忘れるわけない。鶴寿丸君のことずっと覚えてるから」

「約束だぞ」

「うん」


笑った鶴寿丸君は私から離れ野上さんの方へ駆けて行った。



なんて強い子なんだろう。


ううんそうじゃない。

こんな時代じゃなかったらもっともっと生きていくはずなのに。


鶴寿丸君だけじゃない。

義長様も民部君もまだ若いのに。

野上さんだってきっと現代したら若い方。


そんな人たちが今死を覚悟し、そして笑う。

堂々とした姿はとても美しい。



「蕾様これを」


民部君が近づいてきて私に一枚の紙を差し出す。

折りたたまれたそれは何度か見たことのある手紙と同じだ。


「これは?」

「御屋形様が先程書かれたものです」


義長様の方を見る。

彼は住職さんと話していてこちらの話は聞いていない。


私は紙に目を落とした。

多分私が部屋を出ていってた時に書いたんだろう。

ということは、これは義長様の遺書。


「どうかこれをこの世に残してください。あの方の言葉を、想いを消さないでほしい」


私は手紙を握りしめ頷いた。

民部君はホッとしたように笑う。


「ありがとうございます。ではこれでお別れです」

「あ……」

「どうかご無事で」


言ってから彼は私の後ろに目をやる。

振り向くと小夜ちゃんが立っていた。


「小夜さんもご無事で。貴方の主を守って下さい」

「はい。民部様の言葉、生涯忘れません」


頷き合う二人。


昨日何か話したんだろう。


去っていく民部君を小夜ちゃんは目に涙を浮かべて見ている。

私も彼女の視線を追うように義長様達の方を見た。






「ライはここまでだ」


涙がこぼれそうなのをグッと堪える。


本当は最後まで着いて行きたい。

義長様こ側に最後まで。


だけどもし私が毛利の人たちの前に出てしまったら確実に子供のことがバレてしまう。

そしたらきっとこの子を無事産んであげることは出来ない。


「……うん」


震える声で頷く。


それに義長様は微笑み、そして入り口にいる忠と凛太郎の方を見た。


「忠と凜太朗だったな」

「はい」

「お主らが毛利でライのことを助けてくれた友人だな」


その言葉に目を見開く。


毛利に友達がいるってことは話したけど、彼らがそうだとは言っていない。


二人も驚いた顔で義長様を見ている。


「先程お主らが話しているところを見てな。少し聞いてしまったのだ」


そうイタズラっ子のように笑う。


その表情に二人の緊張が溶け、肩の力が抜ける。


「そこでお主らに頼みがあるのだ」


義長様が私の方を見る。

私は彼が何を言おうとしているのか気づく。


「ライをここから無事逃がしてはくれないか」


貴方は最後まで私のこと守ってくれるのね。

敵である二人に頼み事をするなんて普通ありえないだろうに。


忠と凜太朗は顔を見合わせ、そして頷いた。


「分かりました」

「必ず蕾を逃がしますから安心して下さい」


二人の言葉に義長様はありがとうと微笑んだ。







外がざわつきだす。

こちらの様子を伺う人影が現れ始めた。

もう時間なんだろう。


「ライ」


声に顔を向ける。


「時間だ」

「うん」

「また逢う日までしばしの別れだ」

「うん……」



嫌だ、時間よ止まってしまえ。

このまま、この時のまま。



「ライ、笑ってくれ」


その言葉に私は目を見開く。


「最後にお主の笑った顔が見たい」


義長様の言葉に民部君、野上さん、鶴寿丸君が頷く。



みんな酷いのね。

こんな時に笑えだなんて。




私はギュッと手を握りしめる。

そして真っ直ぐ彼らを見つめ。



「ありがとう。みんな大好きよ」


そう笑って言った。



私の言葉にみんな笑みを浮かべ、そして背を向ける。





私は堪えきれず手を伸ばした。



「義長様っ」



振り返った義長様の頬に指が触れる。

だけど義長様は微笑みだけを残し、触れた指は彼から離れた。




こんなことが前にもあった。

そう、昔見た夢。


誰かが、ううん義長様が消えてしまう夢。






歩く彼らを桜吹雪が隠していく。

気づくと義長様の姿はもう見えなくなっていた。

それでも私は彼らの行った方向をジッと見続ける。


「お見事でしたな」


そう言って住職さんが私の肩を叩く。

彼を見ると優しげな目で私を見つめる。


「ですがもう良いのですよ」


その言葉に私は目を見開く。


「もうお気持ちを殺さなくてもよいのです」



私は自分の手を見つめた。


さっき触れた義長様の頬の感触はどんどん消えていく。




もうあの体温を、感触を、匂いを感じることは出来ない。


大切な人がこの世から消えてしまう。





「うっ……ひっく……」


私はその場に崩れ落ちた。


次から次へと感情が溢れてくる。





「ああああああっっ!!」



泣きじゃくる私をそっと誰かが抱きしめる。

それは小夜ちゃんで、彼女も泣いていた。






静けさの包むお寺の中を、私の泣き声が響いた。



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