69.長福寺
「あ、桜……」
長福寺に辿り着き私たちを迎えたのはすごく立派な桜の木。
もう時期は過ぎているのに満開だ。
桃色の花を散らすその光景は何故か懐かしく感じる。
どこかで見たような……
「見事だな」
立ち止まった私に合わせて全員が桜を見上げる。
「今年は寒さがなかなか抜けませんでしたからね。開花が遅れて今日まで残ったのでしょう」
民部君はそう言って舞う花びらを掴み鶴寿丸君に渡した。
貰った鶴寿丸君は喜んで桜の方へ民部君を引っ張ってかけていく。
それを小夜ちゃんと野上さんが追いかけた。
義長様と二人になったけど、お互い何も言わず桜を見つめる。
目線をずらして見た彼の顔には疲労の色が濃く、少し痩せたように思う。
私の視線に気づいた義長様がこちらを向いてふわりと微笑んだ。
「美しい桜だな」
「うん」
義長様の手が私の髪に触れる。
離れた手には一枚の桜の花びらが掴まれていた。
「桜と最初に会ったのは桜の木の下だったな」
「その節は助けてくれてありがとう」
「あれからもう三年か」
この世界に来て三年。
あっとゆうまに過ぎていったように思う。
本当なら高校を卒業して大学に通っていたかもしれない。
新しい友達をつくって、恋人ができたりして、日々平和に過ごしていたかも。
だけど私が経験したのは平和な現代じゃ想像もつかないことばかりだった。
全く違う生活習慣、そして死と隣合わせの日常。
辛くて何度帰りたいと思ったか。
だけど、変わらない人の暖かさや幸せを沢山貰った。
そして側にいたいと願う人に出会った。
「あの頃はまだ咲かぬ蕾だったが……」
私の頬を撫で目を細める義長様。
「この桜のように誰もが目を奪われる美しい花になったな」
これ以上ないほどの言葉。
この時代で手に入れた幸せ。
これは現代じゃ手に入らないもの。
普通の日常よりもっと大切なもの。
私はお腹に手をあて、この幸せな気持ちが義長様に届くよう花のような笑顔を咲かせた。
***************
長福寺の本堂に辿り着き、私たちは民部君と小夜ちゃんに荷物を任せてお寺の住職さんのところへ向かった。
しんと静まり返ったお寺は趣があり、ヒラヒラ舞う桜とでまるで一枚の絵のようだ。
「こちらです」
案内された部屋は雨戸が開け放たれ夕日が射し込んでいる。
「これはこれは、よくぞご無事で」
中から優しげな声がした。
私は一番後ろにいるからその人物の姿が見えない。
「あぁ、助けてくれたこと感謝している」
義長様が部屋に入り、その後をみんなが続く。
私も恐る恐る中へ。
「いえ、大内家には昔からの恩がございますから」
目の前が開け住職さんの姿が見えた。
私はその顔を認識した瞬間目を見開いた。
「ええっ、古川先生?!」
大声を出した私にみんなが注目する。
もちろん古川先生に似た住職さんも。
「あの、こちらの方は……」
住職さんは戸惑ったように義長様に問いかける。
彼の視線の先は大きな私のお腹。
全員が息を飲んだ。
「この者は家臣の妻で、名は蕾。夫が先の戦で戦死したので私たちと共に来たんだ」
淡々と語る義長様。
彼の方を見ると、何も言うなという目を向けられた。
住職さんの方を見ると彼もまた私を見ていて見つめ合う形になる。
その目は何もかも見透かしてしまうんじゃないかと感じ、指一本動かせない。
しばらくして住職さんは一つため息をつきニッコリと微笑んだ。
「そうですか、それは大変だったでしょう。どうぞこちらでごゆっくりと体を休めて下さい」
その言葉に全員の緊張が解ける。
義長様の方を見ると住職さんに頭を下げていた。
きっと住職さんは私のお腹の子は義長様の子だって気づいてる。
だけどそれがもし敵にバレてしまったらこの子はただじゃ済まされないだろう。
だから気づかない振りをしてくれた。
私も住職さんに頭を下げる。
まだ、私たちの味方になってくれる人はいるんだ。
***************
「御屋形様、これからどうするおつもりなんですか?」
野上さんがそう尋ねたのは食事が終わって一息ついた時だった。
「このまま毛利の言う事に従うつもりで?」
このまま大友に戻るのか。
義長様の実家に。
「あの、この近くに私の故郷の村があります。山に囲まれあまり人の来ない場所ですし、そこに身を寄せてはどうでしょう?」
そう言ったのは小夜ちゃん。
しかし義長様は首を横に振った。
「いや、それは出来ぬ。罪のない村人に迷惑をかけたくはない。それに容易にここを抜け出すことは出来ぬだろう」
確かにここへは毛利に言われて来た。
だから逃げ出せば必ず見つかる。
その時小夜ちゃんの村にいることがバレたらきっと迷惑をかけてしまう。
「素直に兄上の返事を待つしかないだろうな」
「しかし!」
義長様の言葉に民部君が声を上げた。
珍しく彼の顔は歪み怒りの色が滲み出ている。
「大友は御屋形様の要望に一切反応してこなかった、ずっと傍観していたのです。それが今回はと手を貸すとは到底思えませぬ」
「しかし今頼れるのは兄上しかおらん」
「分かっております!しかし……もしあの時大友が手を貸してくれたなら、内藤殿は死なずに済んだかも知れません!」
その場がシンと静まり返る。
聞こえるのは少し乱れた民部君の息遣いだけ。
誰もが口を開くことが出来なかった。
絶望的。
今の状況にピッタリな言葉。
頼れるのはここにいる6人だけ。
これから先いったいどうなっていくのかなんて、真っ暗過ぎて光さえ見えない。
内藤さんがいてくれれば……
今日何回それを考えただろう。
それだけ大きな存在を私たちは失った。
「過去を悔やんでも仕方がない」
そう口にしたのは悲しげな笑みを浮かべた義長様だった。
「今は私たちがすべきことを考えていこう」
その言葉でその場は解散ということになった。
***************
「なぁライ」
皆が出て行った部屋で義長様が呟いた。
「どうしたの?」
彼の方を見ると俯き肩を落としている。
「本当にこれで良かったのだろうか」
悲しみと後悔の滲む声。
「内藤さんのこと?」
義長様は答えない。
でも彼がこんなに後悔してることは内藤さんのこと以外に考えられないし。
「後悔、してるの?」
私は義長様の隣まで近づき腰を下ろした。
その間も義長様は顔を上げようとしない。
「過去を悔やんでも仕方がない。あなたが言った言葉よ」
「分かっている。わかっているが……」
私も分かってる。
あの時言った言葉はすべて義長様自身に言った言葉。
あの場で一番後悔と罪悪感を抱いているのはこの人だ。
「もしあの時大友からの援軍を動かすことが出来ていたら。もしあの時隆世を説得できていれば……そんなことをずっと考えている」
私はギュッと手を握った。
こんなに苦しんでいる義長様に私は何もできない。
溢れそうな涙を堪えお腹に手をあてる。
そうするとポンっと頭を手を乗せられた。
義長様を見ると顔を上げ笑っている。
「すまんな。このようなことライに聞かせてしまって」
さっきまで辛そうな声で話していたのに、私に心配をかけまいと何事も内容に笑う。
あなたはいつもいつも……
「なんでいつもそんな風に笑うのよ!」
泣きながら叫んだ私を義長様が目を丸くして見つめた。
私は彼の胸を叩きながら叫ぶ。
「なんで隠すの?なんで私に話してくれないの?義長様が辛いのなら寄りかかってくれたらいいじゃない!私何も出来ないけど側にいるから。だから、お願いだから……」
どんな時も貴方は心を隠して。
辛くても微笑んで。
悲しそうに笑うのに言葉にはしてくれない。
「もう心の中で泣かないで」
義長様が目を見開く。
悲しみが滲む瞳が揺れる。
そして次の瞬間私は抱き寄せられた。
絡む腕には力が入り、彼の顔は私の肩に埋められる。
その肩がほんのり冷たく感じた。
それに一瞬彼の目に涙が浮かんでいたように見えた。
私はそっと背中に腕を回し、彼の髪を撫でた。
少しでも心が休まって欲しい。
私ができるのはこんなことくらいだから。




