66.希望
「蕾様また怪我人が!」
「分かったすぐ行く」
次々と人が運ばれ赤が広がっていく。
私はひたすら怪我に包帯を巻く作業を続ける。
同じ作業の繰り返しに気が遠くなりそうだ。
部屋には悲痛の声、漂う鉄の匂い。
朝が来て、血を流し、また朝を迎える。
それが何度も繰り返されていく。
あの赤の世界がすぐ近くに広がり、何人もの人が倒れていっている。
戦が続くかぎり血を流していく。
「兵が引いたようですね……」
小夜ちゃんの言葉にそういえば負傷者が運ばれてこなくなっていたことに気づく。
こうやってたまに休戦状態になる。
私は詰めていた息を吐き出し額の汗を拭った。
「食事に致しましょう。今日何も召し上がっていないでしょう?」
「そうだね」
落ち着いたことで自分はお腹を空いているのだと自覚する。
私たちは近くの女の人にその場を任せ部屋を出た。
廊下を歩いていると疲れ顔で歩く男達とすれ違う。
いつまで続くか分からない戦いに皆疲れきっていた。
私もここ数日で寿命が縮んだ気がする。
休戦状態はいつまで続くか分からず、休んでいてもいつ攻めてくるかと怯え、始まればいつ終わるのかと不安になる。
攻めてくるのは向こうでこっちは受け身でしか対応できないからどんどん精神がすり減っていく。
きっとこれも戦略のうちなんだろう。
***************
炊事場に辿り着くと丁度鶴寿丸君と鉢合わせになった。
「蕾も飯か?」
「うん」
「ならば私が持ってきてやろう」
そう言って鶴寿丸君は止める暇もなく駆けて行ってしまった。
「申し訳ない」
鶴寿丸君と一緒にいた野上さんが眉を下ろす。
「いえ」
野上さんはそんな顔するけど、私にとって元気な鶴寿丸君をみるとホッとする。
怖いだろうに明るく振る舞う彼を見ると自分も頑張らないとと思う。
私たちは鶴寿丸君を待つため腰を下ろした。
外を見るとと澄んだ空が広がるのに今の私には濁って見える。
ずっと赤を見ていたから感覚が狂ってしまったのだろうか。
だけどこの状況で狂わない方がおかしい。
尊いはずの命がこうも簡単に失われていく。
悲しいほどに簡単に人が死んでいく。
「蕾様ご加減はいかがですか?」
「大丈夫」
心配そうに覗き込む小夜ちゃんに微笑む。
三月も後半に入り、いよいよ出産の時期が近づいてきた。
散る命と生まれる命。
それを感じる度に今は現実なのだと思い知らされる。
「本当は休んでいてほしいのですが」
「分かってる。でも私はやれることをやりたいの」
私の出来る精一杯を。
微々たる力でも役に立つのだと信じている。
「蕾持ってきたぞ」
おにぎりを両手に抱え鶴寿丸君が駆け寄ってくる。
「ほらたくさん持ってきたから。小夜も食べろよ」
「ええ頂きます」
鶴寿丸君が全員におにぎりを配り私の隣にちょこんと座った。
大きな口を開け頬張る。
それを見て私もおにぎりを一口。
「美味しい」
塩味しかしないのにこんなに美味しいなんて。
こんな時だからこそご飯がとても大切で、幸せなことなのだと感じる。
ふと民部君の姿を見つけた。
キョロキョロと周りを見ていて誰かを探しているようだ。
「小夜ちゃんちょっと席外すね」
「え、ええ」
小夜ちゃんに断りを入れて私は民部君の元に向かった。
「どうかしたの?」
「あ、蕾様。御屋形様を見かけませんでしたか?」
「ううん見てないけど」
「そうですか……」
首を振ると民部君は眉を下ろす。
「殿がどうかしたの?」
「ここ最近あまり食事に手をつけていらっしゃらなくて。せめてにぎりだけでもと思ったのですが」
「最近って?」
「勝山城に入ってからです」
そんな。
このお城に来てから半月は経っている。
その間まともに食べてないなんて。
「私も探すの手伝うわ」
「それは助かります。どこか心当たりはありますか?」
「とりあえずは。本丸に向かいましょう」
私たちは頷きあって歩き出した。
***************
内藤さんが通った道を思い出しながら歩く。
「本丸の場所ご存知なんですね」
「うん。一度内藤さんと殿と一緒に行ったの」
しばらく歩いて本丸の前に。
今回は民部君の手を借りながら階段を上る。
「最近の殿の様子はどう?」
「やはり疲れてらっしゃいます。心配をかけぬようそれを表に出しはしませんが」
「そっか」
毛利が攻めてきてからずっと手当をしていたから義長様を見ていない。
「ここもそうですが残してきた周防のことも心配なさっていました。今頃どのようなことになっているかと」
ここの事で手一杯のはずなのに残してきた所のことまで心配するなんて。
義長様らしいけど、その優しさのせいで自分を追い込まないかと心配になる。
最上階に付き、顔を覗かせると柵にもたれかかる内藤さんと義長様の姿を見つけた。
「内藤さんもいるね」
「ここへ来てからお二人でいらっしゃるところをよく見かけます」
「何か話してるみたいだね」
「そうですね。お呼びするのは後に致しましょうか」
私も民部君の意見に賛成だったので頷いてその場を去ろうとした。
「なぁ隆世、勝山城はいつ落ちるだろうな」
義長様の言葉に足を止める。
今なんて……
「さぁいつになるでしょうね」
答えた内藤さんの声は深刻な色はなく、普通の話をしているような調子だった。
「一年後かはたまた明日か。この城は山に囲まれる天然の要塞です。兵の士気さえ持てばいくらでも持ちましょう。しかし士気が落ちればたちまち崩れていくでしょうね」
内藤さんの意見は最もだ。
条件としては一年以上毛利に耐えた須々万沼城とここは似ている。
須々万沼城は籠城の間に兵の士気が下がらなかったからこそ長い間落ちなかった。
だけど、勝山城では日に日に兵たちの士気は下がっていき、負けの色が濃くなっている。
大きな毛利に対抗する力を私たちは持っていない。
それに一縷の望みだった大友からの援軍は、来る気配は全くない。
いつ城が落ちるのか。
考えたくなくても最近その思いが胸に巣食って離れない。
「そうか、明日か」
暗い気持ちになっていると、この場に似つかわしい笑い声がした。
それは間違いなく義長様の声で。
彼を見ると暗い表情など全くなく、可笑しそうに笑っていた。
何を思っているの?
私は本気で彼の頭の心配をした。
ここで笑うなんて。
もしかしてこの緊迫した状況で気でも狂ったんだろうか。
と、割と失礼なことを考えた。
「なら私の命もあと少しだな」
だけど次の言葉に目を見開く。
義長様は空を見上げている。
その瞳はどこか遠くを見つめていて。
義長様は自分が死ぬことをもう受け入れているの?
私を置いていこうとしてるの?
お腹に目を下ろしギュッと手を握る。
「いつ自分の命が尽きようと構わない。ただ……」
「蕾様のことでございますね」
内藤さんの言葉にハッと顔を上げる。
義長様は空から内藤さんに目を移す。
「ライを道ずれにはできない。あれは私にとっての希望だからな」
私が希望……?
「ライが居たからこそ私は大内の当主であろうとした。前を走っていくあの手を離したくないと、慕ってくれるライに恥じない己でありたいと」
義長様の言葉に涙が溢れそうになった。
そんなこと思ってたなんて。
私なんかのために。
「貴方は十分立派な当主でございます」
内藤さんが微笑みを浮かべる。
「私は御屋形様のため命を惜しむことはありません。必ずや蕾様をお守り致しましょう」
その言葉に義長様は微笑んだ。
「あぁ、頼む」
貴方はここで死ぬつもりなの?
私にとっても貴方は大切な人、失いたくない人なのに。
私は一筋涙を流した。




