63.別れ
部屋に戻ろうと歩いていると百合さんが一人佇んでいた。
手に持つ紙に目を向け眉を潜めている。
「百合さん?」
声をかけると、百合さんはこちらを振り向き紙を背に隠した。
「驚いた。蕾様ではないですか。どうかなさいなした?」
「いや、なんか深刻そうな顔してたから」
「そうでしょうか。気のせいでは?」
そう言いながら目をそらす。
こんな歯切れの悪い百合さん初めて。
恐らく隠した紙が原因なんだろう。
「何かあったの?相談に乗ろうか?」
「いえ、何でもありませんから」
そう言って百合さんは目を合わせないまま駆けて行ってしまった。
本当にどうしたんだろう。
心配ではあったけど、これ以上何も出来ず私はただ百合さんの後ろ姿を眺めた。
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野上さんが行ってからお城は慌ただしくなった。
毛利を迎え撃つためお城の建築は急がれ、男達も戦いの準備をする。
だけど数日がたった朝。
廊下を歩いていると慌ただしい足音が鳴り響いた。
ビックリして振り向いてみると、赤に染まる野上さんの姿があった。
「ど、どうしたんですか?!」
野上さんは私に気づいた。
「蕾様、御屋形様はどこにおられる」
「いやそれより怪我が。早く治療にないと」
「そんな事今はどうでもよいのです!!」
怒鳴るように言った野上さんに私はビクリとした。
真剣な表情にだんだんと頭が冷静になっていく。
そもそも毛利を止めるために行ったはずの野上さんがここにいるってことは……
血の気が引いた。
「御屋形様は?!」
「こ、こっちだと」
私たちは急ぎ足で歩き出す。
確か今の時間だったら内藤さんと話しているはず。
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「殿!!」
「ライか。どうしたんだ」
息を荒らげる私を義長様と内藤さんは目を丸くして見る。
だけど後ろの野上さんに気づくと表情が硬くなった。
「房忠か」
「はい。申し訳ない。力及ばず少しの時間も稼げぬまま戻ってきてしまいました」
頭を下げる野上さん。
身体中傷だらけでどれほど激しい戦いだったのかを表している。
どれだけの人がここへ戻ってこれたんだろう。
義長様は野上さんに近づき肩を叩いた。
「いや、よく戻ってきてくれた」
「御屋形様……」
顔を上げた野上さんに笑いかけ、次に真剣な顔を内藤さんに向ける。
「隆世」
「ええ、これで毛利はすぐ近くまで軍を進めてくるでしょうね」
ここに毛利がくる。
私はギュッとお腹の前で手を握った。
「今の高嶺城では毛利に対抗するのは難しいかと」
「そうだな」
高嶺城はまだ完成していない。
しかも周りは前の争いのせいで灰とかし、お城のある山までは開けてしまっている。
これじゃああまりに無防備過ぎだ。
内藤さんが拳を握った。
今の状況に責任を感じているんだろう。
その顔は苦しげに歪んでいる。
私は義長様へ目を向けた。
何かを考え込む義長様。
この状況を打破する策でもあるのだろうか。
「隆世、勝山城ならば毛利を迎え撃てるか?」
その言葉に内藤さんと野上さんがハッとした顔をふる。
勝山城?
もうお城はここと姫山城しかないって言ってなかったっけ。
「そうです勝山城なら……」
「あの城の方がここより守りやすくなるのではないか?」
「それはもちろん」
義長様と内藤さんが目を合わせる。
「隆世、ここを捨て勝山城へ移る」
「はい、直ぐに皆へ伝えましょう」
話は纏まったみたいだけど、完全に私は置いてけぼりだ。
立ち尽くしていると内藤さんは野上さんを連れ急ぎ足で去っていってしまった。
あ、野上さん怪我してるのに……
「ライ」
「あ、はい」
義長様に呼ばれ慌てて彼の方を向く。
「話にはついてこられたか?」
「いえ全然」
全くと言っていいほど分かってないですよ。
「勝山城って?」
「ここより西の長門にある城だ。そこならば毛利を迎え撃つことができる」
長門。
ここは周防だったはずだから隣の国ってことなのかな。
「じゃあここを出ていくの?」
「あぁ」
義長様は眉を潜めて私を見る。
私の顔、そしてお腹へと目を向けた。
「身重のライに旅をさせることになってしまう。だから」
「嫌よ」
私は義長様の言葉に声を被せた。
何を言いたいのかバレバレ。
どうせ私だけでもどこか安全な所にって言うつもりなんでしょう。
そんなの絶対に嫌。
「義長様は私に側にいろって言ったじゃない。じゃあ側にいさせてよ」
貴方から私を遠ざけようとしないで。
私は側を離れないって決めてるんだから。
義長様を睨むと、彼はフッと表情を緩めた。
「桜には敵わぬな」
そう言って私をそっと抱きしめた。
「次同じこと言ったら怒るからね」
拗ねたように言うと義長様はクスクス笑った。
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勝山城へ行くことが決まり私たちは準備を始めた。
部屋で小夜ちゃんと荷造りをしていると。
「蕾様」
百合さんの声がした。
「どうぞ」
返事をすると襖が開かれ百合さんが入ってくる。
彼女の表情は暗い。
「少しお話がありまして」
遠慮がちに言う百合さんに私は座るよう勧めた。
「どうしたの?」
「先日実家から手紙が届きました」
あの時の紙の事かな。
「それに家へ帰ってくるようにと」
「そっか」
こんな状況だ、危ないから帰ってこいということだろう。
百合さんがいなくなるのは寂しい。
だけど百合さんの表情はそれだけでここまで思い悩んでいるにしては重々し過ぎる。
「申し訳ありません」
いきなり頭を下げた百合さん。
「ど、どうしたの?何があったのよ」
百合さんは頭を下げたまま顔をあげない。
私は小夜ちゃんと顔を見合わせた。
「家に帰るからってだけじゃないんだよね。何をそんなに思い詰めてるの?」
聞くと百合さんがゆっくりと顔を上げた。
その顔は酷く歪んでいる。
「私の家は大内家臣の末端に位置していました。しかし、父が毛利に寝返ることを考えていると……」
なるほどだから百合さんを連れ戻そうとしているのか。
「本当に申し訳ありません。逃げないと言ったのに。こんな最悪の形で裏切ることになってしまうなんて」
泣きそうに言う百合さんに私は微笑んだ。
「お父さんのこと誰かに話した?」
「いいえ」
「なら安全なうちにここから出て。大丈夫誰にも言わないから」
「しかしっ」
「これは百合さんのせいじゃないもの。ここにいたら危険でしょう?」
百合さんの家が裏切ろうとしているって知れたら彼女が危険な目にあってしまうだろう。
そんなことにはなって欲しくない。
「小夜ちゃん百合さんを逃がすの手伝ってくれる?」
「はい分かりました」
私は百合さんに手を差し伸べる。
「さぁ準備しに行こう」
私を見つめ百合さんは遠慮気味に手を握った。
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「今なら民衆に紛れて行けるはずです」
日が傾き始めた夕方。
なんとか誰にも見つからず門の所まで来れた。
運良く丁度見張りがいない時だし行くなら今がチャンスだ。
「じゃあ百合さんこれでお別れだね」
「はい。本当にありがとうございました」
「ううん、いいの」
微笑むと百合さんが私の手を握った。
「蕾様生きてくださいませ。間違っても死に急ぐことのないように」
そして百合さんは私のお腹に手を添えた。
「あなたは一人ではないということをお忘れなく」
私は深く頷いた。
それを見て百合さんは微笑む。
「小夜、くれぐれも蕾様から目を話してはいけませんよ。こうは言っていますが必ず無茶をなさいますから」
「分かりました」
いつもの調子で言う百合さん。
ちょっと、さっきまでのしんみりとした空気はどこへ行ったんだ。
ムッと口を尖らせる。
と、百合さんは私の手を離した。
「では私はこれで。離れていても私はあなた方の味方ですから」
微笑みを浮かべ百合さんは歩き出してしまった。
私たちの返答など聞かないというように。
百合さんらしいや。
彼女とは色々あった。
初めなんて恋敵みたいな感じだったし。
百合さんはきっと私のことよく思ってなくて、私も彼女が苦手だった。
だけど接して、教えてもらっているうち彼女のことが好きになっていった。
私は大きく息を吸う。
「百合さんありがとう」
私の声に百合さんは振り向かない。
だけどきっと届いたはず。
「さぁ戻りましょうか」
「そうだね」
私は小夜ちゃんと共に歩き出す。
百合さんとは反対の方向へ。




