58.小さな手
「イタッ」
「ジッとしてて下さい」
百合さんに腕の手当をしてもらっている。
消毒液が傷に染みて痛い。
「百合さんもっと優しく」
「十分優しいですよ」
いやいや薬をそんなにグリグリ刷り込まないでよ。
涙目になりながらやっと包帯が巻き終わる。
「はいおしまいです」
「あ、ありがとう」
苦笑いを浮かべながら腕をさする。
本当に痛かった。
横に目をやると心配そうに見つめる小夜ちゃんとその隣に座る鶴寿丸君。
大人しく座る彼は落ち込んでいるようだった。
治療中何度もこちらを見ていたから、私のこと心配してくれてたんだと思う。
鶴寿丸君に話しかけようとした時、襖が開いた。
「ライが怪我をしたと聞いたが」
「殿」
入ってきた義長様は私の腕の包帯を見て眉を顰めた。
近づいてきてそっと腕に触れる。
「大丈夫か?」
「うんそんなに大した怪我じゃないから」
「何があったのだ?」
そう聞かれた瞬間鶴寿丸君がピクリと震える。
それを横目に確認しながら私は義長様に笑顔を向けた。
「ちょっとはしゃぎ過ぎちゃって。派手に転んじゃったの」
義長様の目が鶴寿丸君の方へ向けられる。
鶴寿丸君は緊張したように縮こまっていた。
しばらくして義長様がため息をつく。
そして私の頭を撫でた。
「気をつけろよ。あまり心配させるな」
「うん。ごめんなさい」
***************
あれから三日。
鶴寿丸君の姿を見ていない。
一日に何度も来ていたのに炊事場にも私の部屋にも全く来なくなった。
「どうしたんだろう鶴寿丸君。調子が悪いとかじゃないといいけど」
「それはないと思いますよ。きっと顔を出すのが気まずいのでしょう」
小夜ちゃんは着物をたたみながら淡々と答える。
その表情は怒っているようには見えないけど。
「まだ鶴寿丸君のこと怒ってる?」
「そうではないですけど。せめて蕾様にお礼くらいは言ってほしいものです」
やっぱりちょっと怒ってるみたいだ。
私のために起こってくれてるから嬉しいけど、小夜ちゃんと鶴寿丸君がギクシャクするのは放っておけないよね。
「私ちょっと鶴寿丸君探してくるよ」
「一人で大丈夫ですか?」
「うん」
流石に建物では迷子にはならないはず。
心配そうな小夜ちゃんに笑いかけ私は鶴寿丸君を探しに出掛けた。
***************
とは言ったもののどこにいるのやら。
一応部屋を訪ねてみたけど当然姿はなかった。
他にっていったらどこになるんだろう。
考えてみてこの前鶴寿丸君とはぐれた時のことを思い出した。
彼は行き止まりで蹲っていた。
多分不安で泣いていたのに、それを誰にも見られないような場所で。
もしかしたら自分の弱いところを見せたくないのかもしれない。
義長様みたいに。
私は片っ端から行き止まりを巡った。
そして何個目か、いや何十個目かの所でようやく端っこでうずくまる鶴寿丸君を見つけた。
「鶴寿丸君?」
声をかけると小さな体が少し震える。
私はゆっくりと近づいた。
顔を上げないけど前みたいな拒絶もしてこない。
私は目の前まで来て鶴寿丸君の隣に座る。
「こんな所にいたんだ。鶴寿丸君が来なくて寂しかったのよ?」
そう言うと鶴寿丸君がゆっくりと顔を上げた。
「すまぬ」
「え?」
謝った鶴寿丸君の目線は私の腕に向けられていた。
あぁ怪我のことを言ってるのか。
「怪我は大丈夫だから」
「それだけじゃない。蕾は私を助けてくれたのにあんな態度をとってしまった」
後悔の色が滲む表情。
私は鶴寿丸君の頭を優しく撫でる。
「いいのよ鶴寿丸君が無事だったからもう」
「だが……ありがとう助けてくれて」
「うん」
微笑むと鶴寿丸君の表情が少し緩んだ。
良かった。
私はそのまま頭を撫で続けた。
鶴寿丸君はそれを振り払う事なくまた顔を伏せる。
「どうしてこんな所に?」
私は気になったことを聞いてみる。
鶴寿丸君は顔を上げることなく呟いた。
「誰も来ないから」
「なんで」
「弱いところを誰にも見られないから」
やっぱりそうだったのか。
こんな小さな子がそんなこと言うなんて。
私はギュッと手を握った。
「見られたくないの?」
「私は父上の、陶晴賢の息子だ。弱いところをなど見せられない」
あれだけみんなをまとめ上げていた陶さんの息子だから。
だから自分も強くないといけない。
だけど。
「辛い時は誰かに吐き出した方がいいわ。そうした方が抱えるよりすごく楽になれる」
「だけどそんなこと」
「言ってくれた方が私たちは嬉しいのよ」
義長様のことを見てるからいつもそう思ってる。
大変で辛いだろうにいつもそれを誰にも言わない。
私の前でさえ何にもないように笑う。
「抱え込ん出るのを見てるのは辛いのよ」
鶴寿丸君が顔を上げる。
しばらく私の顔をジッと見つめ、顔を歪めた。
瞳から大粒の涙が溢れ出る。
「さ、寂しかったんだ。父上がいなくなってしまって」
泣きながらそう言った鶴寿丸君。
そうか、鶴寿丸君は陶さんを亡くしてるんだった。
「母上とも会えないし。もしかしたらもう会えないのかも……」
「そっか」
私たちの所に頻繁に来てたのは構って欲しかったんだろう。
お父さんがいなくなって、お母さんにも会えなくて、寂しかったんだ。
私は鶴寿丸君を抱きしめた。
泣きじゃくる小さな存在を。
「あの時蕾が取られたかと思った」
「いつ?」
「殿と蕾が」
あぁ探検した時の話か。
そういえばあの後鶴寿丸君を見つけた時不機嫌だったけ。
「放ったらかしにしちゃったもんね。ごめん」
鶴寿丸君が首を振る。
鶴寿丸君がいつもの元気が良かったのは、寂しさを紛らわす為だったんだ。
義長様が笑顔で心を隠すように、鶴寿丸君も明るさで寂しさを隠していた。
「もう一人で抱え込まないで。私も小夜ちゃんもいるんだから」
「小夜は私のこと嫌いになっただろう」
「そんなことないよ」
怒った感じに振舞ってるけど、小夜ちゃんは鶴寿丸君のこと心配してる。
その証拠に一日に何度も入口の方をチラチラ見てるもの。
「ちゃんと仲直り出来る」
「本当に?」
顔を上げた鶴寿丸君に笑顔で頷く。
「じゃあ早速行こう。善は急げってね」
「なんだそれは」
クスッと笑った鶴寿丸君に手を差し出す。
この前は振り払われた手。
だけど今回は小さな手をしっかり乗せられた。
「帰ろーっと言いたいところだけど」
「どうしたのだ?」
ヤバイ、探しながら来たから帰る道が分からない。
「えーと、鶴寿丸君帰る道分かる?」
一縷の望みをかけて聞いてみる。
だけど鶴寿丸君は首を振った。
「いつも野上が来てくれてたから」
なるほどお迎えがあったわけか。
さてじゃあどうしたものか。
まさか建物の中で迷子になるとは。
小夜ちゃんの心配が的中してしまった。
「大丈夫なのか?」
「うぅん。何とかなる、かな?」
笑顔で言ってみるけど鶴寿丸君の私を見る目が冷たくなっていく。
さっき上がったはずの好感度が下がっていってしまってる気がするよ。
取り敢えずここにいてもらちがあかない。
私は鶴寿丸君の手を引いて歩き出した。
外ではないんだから歩き続ければいつかは分かるところに出るだろう。
すごく不安だけど。
「本当に大丈夫なのか?」
疑わしい目で見てくる鶴寿丸君の視線が痛い。
「よい、蕾に任せると夜になってしまう」
そう言って鶴寿丸君は手を離して先に進み出した。
「あっちょっと待って」
私は慌てて後を追う。
これじゃあどちらが探しに来たのか。
計画のなさにため息をつきたくなる。
「おい」
「きゃっ」
いきなり肩を叩かれたビックリする。
慌てて後ろを振り返った。
「ライまたこんな所で何を」
「とのぉぉ」
私は思わず義長様に抱きついた。
「おっと、どうしたのだ」
「えっと、迷子になっちゃって」
ハッと我に返り義長様から離れる。
そういえば今の状態はあまりにもマヌケすぎる。
私は恥ずかしくて小さく呟いた。
私の言葉に義長様は目を丸くして、笑いだした。
「まさか城の中でか?」
「し、仕方ないじゃない。あんまりここ分かんないんだもん」
「それでもな」
あまりにウケてる義長様にムッとする。
そんなに笑うことないじゃん。
「まぁよい。ライの部屋へ行けばいいのか?」
「うん」
送ってくれるみたいで助かった。
私は頷いてから後ろを振り返る。
少し離れたところで鶴寿丸君がジッとこちらを見ていた。
「行こう鶴寿丸君」
私は彼の方へ手を伸ばした。
鶴寿丸君はそれを見て顔を明るくし駆け寄る。
そしてしっかりと私の手を掴んだ。
二人笑い合うと義長様が私の頭を撫でた。
顔を上げると義長様は私たちのことを優しげに見つめている。
この前のことで心配してたのかもしれない。
私はもう大丈夫という意味を込めて義長様に微笑んだ。




